第36話 ヨウコ、親友でいてくれてありがとう。

「家出してきたって事?何で?私がいつも忠告していた通りになったら大変だよ!まあ、夫婦喧嘩なんて犬も食わないって言うよ、早く帰りな」


 私は、内心焦った。の字もないヨウコだから平気で言えた言葉だった。ヨウコは美人で気さくで、入社した当時からモテまくった。けれど一番冴えない男性と結婚して社内を驚かせた。私も正直驚いた。美女と野獣ってこういう事なんだろうなと思った。優しいだけが取り柄のブサメンだった。


「……まさかあの人が浮気するなんて、ありえない。仁美も知ってるよね、うちの夫の若い頃、あの頃よりさらにブサメンになってるのに、女がいるのよ!ねえ、世界の七不思議より不思議よね。最近、君はキレイだねとか、愛してるとか全く言ってくれなくて。もうこれは浮気してるとしか思えないの!」


 ヨウコが苺をパクパクしながら一気に話す。あんまり傷ついてないじゃん。


「ヨウコ、信じてあげなよ。私、ヨウコだけはそんな事言うなんて思わなかったよ。……批判ばっかしてたらさ、愛する時間なくなちゃうよ。もったいないよ」


 なんかどっかで聞いた事がある言葉だけど、言ってみた。ヨウコはフンと鼻をならし、お茶をズズとすすった。


「仁美、聞いてよ。息子が今年から就職して家を出たの。もう夫婦二人きりなの。だから私も仕事辞めてのんびりしたいわけよ。そしたらね、これから何が起きてもいいように稼げるだけ稼いでくれって言うの。今までどれだけ働いてきたと思う?私の事少しも理解してくれなかったって事よ!」


 ヨウコは冷蔵庫を漁りながら、愚痴が止まらない。


「……ヨウコ、理解される事って人生の中で最も重要な事じゃないの。赤の他人だった男と女が夫婦になったんでしょ、お互い理解し合えるなんて無理よ」


 これもどこかで聞いた言葉のような気がする。棺桶入ってからあの人はこうだったって思うよ。幸せだったか不幸だったかもその時分かればいいんじゃない。


「あら、こんなところにお粥があるじゃない。卵入れていい?ネギとシラスも入れちゃおう。海苔ってあるかしら?……梅干しと明太子あればもっと嬉しいけど」


 ヨウコは話を聞いているようで聞いていない。お腹が空いているからと勝手にサトルのお粥をアレンジして食べ始めた。


「仁美さん、人の不幸は蜜の味ですね。仁美さん、体調悪いのに饒舌ですね」


 サトルがサラッと嫌味を言う。確かに今日の私はよく話す。ヨウコだからかもしれない。私もお粥とヨウコが剥いてくれたりんごを食べた。なぜかイライラが消えたような気がする。


「今晩ここに泊めてね。夫に心配かけてやるんだから」


 ヨウコはそう言って玄関にある荷物を私の寝室に運んだ。そしてスーツケースの中からゲームやDVDを出す。

 

「懐かしいね、この映画。一緒に休みを合わせて観に行ったね」

「そうそう、ヨウコ映画館で号泣して……こっちが恥ずかしかったよ」


 結婚してからもヨウコは、独身の私と遊んでくれたっけ。同じ経理課の時は毎日一緒にお昼食べたよね。栄養が不足してるってお弁当も作ってくれたね。


「ヨウコ、旦那さん、浮気なんかしてないと思うよ」


 二本目の映画を見終わって、私はボソリと言った。ヨウコみたいに優しい奥さん裏切るわけないと思う。私がヨウコの夫なら絶対にしない。


「……仁美、ありがとう。やっぱり仁美は私の親友だ。嬉しい」


 ヨウコが抱きついてくる。親友?そう思ってくれるの?どうして?私ずっとヨウコに嫌味ばっか言ってきたのに。羨ましくて嫉妬して不幸になればいいのにって思った事もあるんだよ。


「仁美、このゲームやろう。仁美が企画部に移ったきっかけのゲームだよね」


 ヨウコがボード版ゲームを床に広げる。年に一度全社員からオモチャの企画を募り、私も適当に書いた。それが社長賞を取り、企画の才能を買われて移動したんだった。


「私、自分の事のようで嬉しかったの。仁美の才能が羨ましかった。私なんか誰でも出来る部署にずっといて、家ではただの主婦で……。価値のない人間だって落ち込んでたもの。仁美はすごいよ。クリエイティブな才能があるんだよ!」


 ヨウコが私の事をそんな風に思っていたなんて……。サトルがりんごをかじりながら私にVサインをしている。


「ヨウコ、人の価値ってね、その人が得たものじゃなくて与えたもので決まるんだって。ヨウコは家でも職場でもみんなに自分の時間とエネルギーを与えてきたじゃん。私だってヨウコからたくさんの優しさ貰ったもの」


「だったら、仁美も私にたくさんの思いやりをくれたじゃない。息子が熱出して休むたびに、仁美が私の仕事をさりげなくフォローしてくれて。どれだけ助けられたか。仕事をずっと続けられたの、仁美のおかげだよ、ありがとう」


 ヨウコはホロリと涙をこぼした。今年四十五才の女二人がゲームを前にして涙している。サトルが両手でVサインをした。


「これね、実は人生ゲームのパクリなんだ。会社での男尊女卑がなくなりますようにって考えたゲームなの。ヨウコの頑張ってる姿を見て考えたんだから、ヨウコのおかげなんだよ」私はいつに間にか二十代の頃と同じ笑い方をしていた。


 笑ったから元気になったのかな。頭痛もない。ふらふらもしない。


 ───その夜遅くにヨウコの夫が迎えに来た。ヨウコの行きそうな場所はここしかないと言った。ずっとヨウコの親友でいて下さいと言われて……また泣いた。サトルがハンカチで拭いてくれる。もう呼び捨てに出来ないね。


「サトル、あっ、失礼。サトル先生、どうしてヨウコが来るように仕組んだ、あっ、取り計らってくれたの分かりました。感謝します」


 私はドクターサトルに心からお礼を言った。とても気分が良い。


「仁美さん、それでは血液検査の結果を報告いたします」


 夜中なんですけど。ドクターサトルの変身タイムの時間は突然やってくる。







 

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