第35話 みんな厳しい闘いをしています。親切にして下さい。
「もしもし、仁美、今日暇? ……聞いてるの?」ヨウコのさらに大きな声。
暇だと言えば暇だけど、体調が悪い。けど弱ってる事知られたくない。
「何、何の用?」
「暇なら一緒に映画でも行かないかなって思って……」
「行くわけないじゃん。ヨウコ、いい身分だね、亭主と子供ほったらかして映画なんて……せいぜい離婚されないようにね。じゃあ、ゴッ」
ゴホッ、ゴホッ。あー苦しかった。咳が出てきた。やっぱり風邪だね。
「仁美さん、めまいは落ち着きましたか? わたくし、風邪の引きはじめによく効くお薬をお持ちしました。お粥も作っておきました。どうぞ」
サトルがキッチンを指差している。えっ、こんな十センチくらいの身体でどうやって作ったの? 鍋に水と米どうやって入れたの?
「私、朝はパンだし食欲ないからいらない。薬も怪しいね、いらない」
人に優しくされる事が大嫌い。ましてこんな怪しいオヤジに何で看病されなくちゃいけないの。今は眠い。とにかく眠くて仕方ない。
「仁美さん、本当に良く効く薬ですから。……わたくし、今から昨日の血液検査の結果を取りに行って参ります。これ飲んで安静にしていて下さいね」
サトルはラムネ大の薬を私の眉間の上に置いた。置く場所がおかしいよね。本当に効くの? 仕方なく口に入れる。おい、こら。これラムネだよね。アレ苦いよ。やっぱり薬か。ねえ、ここマンションの五階だよ。どこに血液持ってたの?
サトルは私の質問を無視して変身している。腰に手を当てる必要ってあるのかな。半回転ジャンプの所で失敗したのか、始めからやり直ししている。
「ねえ、普通に白衣着ればいいんじゃないの? ジャンプ失敗して捻挫しても知らないよ」
サトルだっていい年だろう。少し心配してしまった。
「仁美さんは平成ジャンプですね。結婚出来ずに令和を迎えてしまいましたね」
オヤジギャグいらないから。早く一人にして欲しい。
「では、行って参ります」
サトルはそう言って窓から飛んで行った。羽根があるんだね。羽根も緑がかった透明色。白衣を着たオヤジの妖精って需要あるのかな。
貰った薬が効いたのかぐっすり眠った。インターホンの音がしていた気がする。録画機能あり、しかもスマホ連動しているうちのインターホン、こんな時に役に立つ。メガネをかけてスマホを確認すると……ヨウコだ。
『こんにちは。なんかさっき体調悪そうな声だったからお見舞いに来ました』
心配そうにキョロキョロしているヨウコ。時間を確認すると、今から五分前だ。電話してみようかな。着替えてないし、風邪うつすのやだし。やめた。
「せっかく訪問してくれたのですから、電話をして下さい」
「……ひっ、いつ戻ってきたの?」
「今さっきです。ヨウコさんらしき人がまだ下にいたような気がします」
サトルが電話をしろと急かす。すでに緑ジャージになっている。
「だから会いたくないの!……ほっといてくれる」
お節介なオヤジだ。それより血液検査の結果を教えなさいよ。あっ、別に変身タイム必要ないから。口頭でちゃちゃって言ってね。私はサトルが嬉しそうに腰に手を当てる寸前で止めた。
「あら、やっぱりいるんじゃない。仁美、風邪でも引いたの?」
「……ヨウコ、何で勝ってに入ってくるのよ! 何でカギ開いてるのよ!」
「留守電聞いたからに決まってるじゃない。体調が悪いからすぐ来てって言ってたよ。やっぱり風邪でしょ、留守電の声、低かったもの」
えっ、私電話してないよ。もしかしてさ、そこで変身しようとしてるオヤジ、あんた電話したでしょ。けどそんな時間なかったはずだ。妖精って魔法使えた?
サトルはニタリと笑った。一番会いたくない日に、一番会いたくないヨウコを家に入れた理由は何? ヨウコを早く返して問いただしてやるんだから。
「仁美、さっきから何独り言言ってるのよ。熱でもあるんじゃない。はい、これ仁美が好きな苺だよ。ビタミンたくさん取って治そうね」
ヨウコはいつもそうだ。頼んでもないのに、ズカズカと私の心の中に入ってくる。親切の押し売りはいらないんだよ。失恋した時、涙一粒こぼさない私の代わりにヨウコが泣いた。こんなにいい子を振るなんて、男たちは見る目がないってさ。結婚が決まっていたヨウコの優越感がひしひしと伝わってイラッとした。
「……ヨウコ、苺甘いでしょうね。私、酸っぱいの嫌いだから。それ食べたらさっさと帰ってよね。私、ヨウコと違って忙しいんだから。新商品の企画書書かないといけないんだからね! お茶も自分で入れてよね」
分かったよ、とヨウコは俯いた。私の毒舌にいつもなら笑うのに。なぜ?
「仁美さん、『親切にしなさい。あなたが会う人はみんな厳しい闘いをしているのだから……マザーテレサの言葉です。親切にもてなして下さい!」
「変身タイムの次はお説教タイムなの? あのね、ヨウコみたいにのほほんとしている人は、厳しい闘いなんて皆無なの! 優しい亭主がいて生活にも困らないしさ、仕事だって道楽なんだから」
私はサトルに応えたつもりだったが、ヨウコが反応した。
「仁美、しばらくここに置いてくれないかな。……家を出て来ちゃった」
急須にお茶の葉を入れるヨウコの肩が震えていた。
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