第34話 変身タイムをお楽しみ下さい!
コンタクトレンズを外し、髪を一つにまとめて洗顔する。眼鏡してなかった事も、髪を下ろしてなかった事も企画部の人達は気がつかなかった。馬鹿みたい。
もう誰も私のことなんか関心ないんだよ。誰かに声かけられる事期待した私が……馬鹿だった。
「ヨウコさんが気が付いていましたよ。髪型がいつもと違うって言ってました」
「ギャ、あんた、こんな所にいたの! 今からお風呂入るんですけど」
帰り道、小さいオヤジを連れて来た事思い出した。コートのポケットに無理やり入ったのをエコバッグに詰め替えたんだった。
「ちょっと待って下さい。お風呂の温度設定が高すぎます。冷え切った身体で入ったら、仁美さん、あなた危険ですよ!」
「……うるさいわね、私は熱いのが好きなの!」
洗濯物のカゴの上でサトルが大きく腕を交差してバツをしている。アルコール飲んでないし、私は冷えきった身体を早く温めたいの。
「あのね、去年このマンション買ったばかりなの。中古だけど、浴室はこだわってリフォームしてるんだからご心配なく」
私はサトルに浴室換気乾燥暖房機を取り付けた事を説明した。
「仁美さん、浴室をリフォームするだけではいけません。あなたのリフォームも大事です。わたくし、今からあなたの健康チェックいたします。準備しますのでお待ちください。興味あればどうぞ、変身タイムをお楽しみ下さい!」
何、健康チェックって、それより変身タイムって何? サトルはドラム洗濯機の上に飛び移ると、腰に手を当てた。そして前に一回ジャンプ、後ろに二回ジャンプ、そのあと右に回転してからの左に半回転ジャンプで着地し、決めポーズ。
「……長いんですけど。で、何? 緑のジャージが白衣に変わっただけなの?」
「仁美さん、その言い方冷たいです。傷つきます」
「だってねえ、小さいオジさん族の医者に診てもらってもね、どうせその聴診器も注射針もオモチャみたいなものでしょ? まあ、気安めで……痛っ! 何?」
サトルは突然私の手の甲に注射針をぶっ刺した。
「あんた、消毒無しなの? いや、それより何の注射なの? 身体に変なもの入れたら承知しないから」
一瞬なのにちゃんと血管に針が刺さっている。腕は確かね。
「今、血を抜いているんです。結果は明日出ますから」そう言ってサトルは爪楊枝サイズの注射器を黒い鞄にしまった。
「私、健康には気をつけてるからどこも悪くないはずよ。それよりもういいかしら、お風呂に入りたいんだけど、ねえ、どいてくれる」
耳たぶを両手でつかむサトルに言った。何をしてるの? 今度は首に腕を回している。くすぐったい。何? セクハラですけど! 小さいオジさんでも男性だ。サトルを少し意識した自分が恥ずかしい。
ジャージ姿より白衣の効果でサトルがかっこよく見える。俳優の星野さんと向井さんを足して2で割って、綾乃さんをかけたような雰囲気だ。嫌いじゃない。
「あっ、どうぞお風呂にお入り下さい。わたくしベッドでお待ちしています」
えっ、何? 今なんて言ったの? 男の人から今まで一度も言われた事のない台詞に戸惑う。熱い。胸の鼓動が高鳴る。私はそれを悟られるのが嫌で平静を装う。
「……仁美さん、お風呂出たら脈拍と血圧測りますね。入る前と出たあとの差を……痛いです。仁美さん出して下さい、いっ、いや何をする……」
私を病人扱いしているサトルが憎たらしくて、洗濯機に閉じ込めた。一晩くらいなら窒息しないだろう。病人と恋人、一字違うだけでこんなに気持ちが落ち込むなんて。二十代で付き合った彼は二人。もちろん結婚も考えたけど、どちらも男として頼りにならなくて別れた。
「……仁美、君は一人でも生きていけそうなタイプだ」
「仁美のような気が強い子より家庭的で優しい子がいいな」
ベッドに横になり別れ際の男の言葉を思い出していたら、不意に涙がツーとこぼれた。何で? 今まで一度も泣かなかったのに。一人で強く生きてきたのに。
───自分の涙に戸惑いながら、いつの間にか眠っていたみたい。うっ、頭が痛い。風邪ひいたのかな。寒気もする。やっぱり風邪ひいたみたい。
時計を見るとまだ朝早い。八時前だ。パンを一つかじって風邪薬飲んでもう一寝入りしよう。この程度の風邪はそうやった治してきたから。
あっ、洗濯機だけ回しておかなきゃ。ドアを開けて洗濯物を放り込む。
「……仁美さん、ひどいじゃないですか! けど暖かく眠れました。仁美さん、なんだか顔色が悪いですよ! 大丈夫ですか?」
「……サトル、入れたの忘れてたよ。また緑のジャージに戻ってるし」
「白衣は診察タイムだけですから。あっ、顔色悪いの気になりますから、今から変身しますね。ちょっとお待ち下さい」
「変身? いいよ、ジャンプするの面倒臭いでしょ! 見るのもめん、あっ、わっ」
なんかめまいがする。キャ天井が回る感じ。気持ち悪いよ。
「……仁美さん、すぐベッドに戻って下さい! 仁美さん足元気をつけて」
ふらふらしながらベッドに倒れ込む。何? 貧血かな? 頭がボーっとしているよ。少し横になれば大丈夫。よくある事だ。気合で治るよ。
枕元にあるスマホがなる。こんな時に誰よ! こんな朝早く電話してくるの母親くらいだ。見合いの話なら何度も断ってるのに!
「もしもし仁美、今日暇?」
受話器の向こうでヨウコの明るい声が聞こえた。
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