緑色のジャージ
第33話 私に説教するのやめてくれる。
「……課長、女性に年聞くのってセクハラですよ!」
「……すまんね、砂山さん。これも上司と部下のコミミ、コミュニ、あっ、コミュニケーションってやつだから。さあ、お開きにしょうか、会計してくる」
井上課長は私のツッコミを上手くかわした。会社ではおとなしいくせに、飲むと大きくなるんだから。やってられないね、全く。あゆみちゃんもゴマスリが上手だと事。胸に手なんか当てちゃってさ、今どきの若い子は……嫌い。
「あゆみちゃんは僕が送って行きます。方向同じだし、夜道は危険ですから」
兼子君、その濃い顔でドヤ顔するのやめてくれる? ミナちゃんがホテル行きを疑っている。出来ちゃった婚で迷惑かけないでよね。三人で帰りな!
課長はミナちゃんだけの会費を奢る。そりゃあ、私の方がお給料ありますけどね、露骨なのよ、なにも私の前で言わなくてもいいじゃないの、全く。
私はこの会社に勤めて今年で二十二年目だ。企画部は今年で五年目。それまでは総務部や経理課を行ったり来たりしていた。
あー、つまんない。家に帰っても一人。どこかに遊びに行く元気もない。久しぶりの連休なのに予定がない。金曜の夜の活気づいた街が……嫌い。
「仁美、仁美じゃないの」後ろから肩を叩かれた。誰?
「やっぱり仁美だ。いつもと髪型が違うけど、そのコートで分かったよ」
経理課のヨウコだ。私と同期入社のヨウコは後輩三人を連れていた。
「……あっ、ヨウコ。何? なんか用?」
内心嬉しかったが、素直に表せない。
「今、経理課の忘年会の帰りなんだ。今からこの子達ともう一軒行くんだけど、仁美も一緒に行かない?」
「行くわけないでしょ、もう帰る。……あんたの後輩怯えてるし。気分悪い」
私は見てしまった。ヨウコの後ろで三人の後輩が唇をへの字に曲げてるのを。私が経理課に在籍中、いじめ倒した事を覚えてるんだね、きっと。気分悪い。
「……それよりヨウコ、いい身分だね、亭主と子供ほったらかして飲み歩くなんてさ。せいぜい離婚されないようにね。おやすみ」
ヨウコは後輩と違って私を終始笑顔で見つめている。そういう所が癪にさわる。私が経理課から企画部移動の時も送別会なんて計画しちゃってさ、私に恥かかせたよね。結局あんたと二人だけでさ。思い出すとイラッとするよ。
私は手も振らないで駅に向かった。ヨウコのバイバイって声が聞こえる。フン。
ヨウコが気安く触ったカシミアのコートの肩の部分を……二回払った。
電車を待つ間、ヨウコ達の顔を見た事で、経理課時代の後輩たちの事を思い出していた。コピーもろくに取れなかった事、電話の応対も下手くそだった事、満足に美味しいお茶を入れられなかった事。
何度教えたら覚えるの! 幼稚園からやり直しなさい。泣くな! 泣けば済むと思っている。どうせ腰掛けでしょ! 足引っ張るなら早く辞めてね。
私が怒るとみんなヨウコに泣きついた。ヨウコはその度に私に忠告した。ヨウコは姑息だ。人気取りしてさぞかし気分が良かったでしょうね。
ヨウコは二十代で結婚して子供産んで……辞めるのかと思ったら、今だに経理課に君臨している。しかもみんなから慕われてさ。そんなヨウコが嫌い。私の持っていないもの全部持ってさ。私の事きっと惨めで可哀想って笑ってるくせに。偽善者。
「『人を批判していると人を愛する時間がなくなります』アイゼンハワーの言葉です。仁美さん、人を批判していると、人を愛する時間がなくなります」
なんか声が聞こえる。何? 駅で誰かが説教たれてるのかな。今、私の名前言ってたよね。気分悪い。無視しよう。
「仁美さん、『人の価値はその人が得たものではなく、与えたもので決まる」アインシュタインの言葉です。どうぞ心に書き留めて下さい」
キャ、何? 説教たれてるスピーカー発見。足元になんかいる。人間の形してるよね。瞬きしてる間に膝の上に乗り、同じ事をもう一度言った。気分悪い。
「あんた、何? 私に何か用? 説教なら間に合ってるからどいてくれる」
手で追い払おうとした時、肩の上に飛び移る人型の人形。
「仁美さん、わたくし、サトルと申します。小さいオジさん族の一人です。あなたの心は今、批判や嫉妬でどす黒いですね。そんなあなたにもう一度言い……わっ」
気分悪いよ、何、このオヤジ。私はパシッと払い落としてやった。
「批判じゃないでしょ! 事実だしさ、嫉妬じゃないでしょ。何このオヤジ。緑のジャージなんか着ちゃってさ、ダサいよ。説教するならさ、ほら、そこのベンチで居眠りしてる中年オヤジにしてきなよ!」
私はイライラマックスで落ちたオヤジを蹴飛ばそうとしたけど、さすがにやめた。誰も本当の私を、私の気持ちを理解してくれない。どれだけ会社のために働いてきたか知ってる?
オヤジ、ああ、サトルって言ったね、私がこの二十年以上どれだけ犠牲を払ってキャリア積んだか知ってる? 寿退社していく女子社員を何人見送ってきたか。
あのさ、結婚して幸せなの? 子供生んで幸せなの? みんな夫や姑の愚痴ばっかじゃない。お局様とあだ名をつけられても、嫌われても自分に自信持ってやってきたわけよ。男に頼らないでさ、この年まで独身で頑張ってきたんだよ。
「仁美さん、イライラしすぎです。自分に自信のある人は堂々としています」
サトルの言葉にドキリとした。痛い所を突かれた。気がつけばシワもシミも白髪も現れ始めた四十五歳。私には何も無い。将来が不安なのかもしれない。
「……あんたに私の何が分かるの! 何にも知らないくせに!」
私は突然現れた小さいオジさん、サトルにイライラをぶつける。
「『理解される事は、人生の中で最も重要な事ではない』リンカーンの言葉です。あなたのイライラは寂しさの裏返しですね。あまり怒ってばかりいると身体によくありません。わたくし、医師免許もあります。診察いたしましょう」
「医師免許? だったらダサい緑ジャージじゃなくて白衣着なさいよ!」
「分かりました。今夜からわたくしがあなたの担当医です。白衣着ますね」
説教好きな医者、サトルはヨウコと同じ笑顔で私にそう言った。
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