第26話 どうぞ、スリ、スリッパを履いて下さい。
「パパ、おはよ! やっぱりあゆみなんか作ろっか?」
緊張していたのか早く目が覚めた。パパはパジャマの上にガウンを羽織り、新聞を読んでいる。
「おはよう、もっとゆっくり寝ていればいいのに。……うん、あゆみにはデザート作ってもらおうかな」
ただ待つなんて落ち着かない。バスクチーズケーキを作ろう。クリームチーズは買い置きしてあるし、焼いて冷やしても十分お昼には間に合う。あっ、生クリーム足りるかな?冷蔵庫を確認する。───ない。
「……パパ、ちょっとコンビニに行ってくるね」
冷凍のブルーベリーも欲しかった。
快晴なのに風が冷たい。花柄マスクをして白いダウンを着る。ポケットに違和感。右側がやけに重たい。そして生温かい。
『あゆみちゃん、おはようございます。シゲルです」
シゲルさんが半分顔を出してあゆみに挨拶。すっかり忘れてた。夢じゃなかったのね。小さいオジさん。
『昨夜は寒くてですね、ここでぬくぬくとさせて頂きました。おかげ様でよく眠れました』
シゲルさんが一つあくびをする。
「今からあゆみは外に出かけますが、シゲルさんはおうちにいます?」
ジャージ一枚、しかも青はあゆみの嫌いな色。家に置いていきたい。あゆみ、アウターは白。マスクは可愛いお花でしょ。青はダメ。出てください。
『あゆみちゃん、僕を差し色に使ってください』
シゲルさんはそう言って両腕をウンと伸ばした。あゆみ、もうどっちでもいい。早く生クリーム買いに行かなきゃ。
『あゆみちゃん、昨日言ってた話なんですが、本当にジュン君に言いますか? 僕はですね、考え直した方がいいと思います』
「 DNA 鑑定の話でしょ! 言うに決まってるでじゃない」
『思春期の男の子ですよ。もし父親があゆみちゃんのパパだったら、どうして今までほっておいたのかと怒ると思うんです』
「そんなのあゆみに関係ない。私はスミコさんがパパと浮気していたのか知りたいの! ただそれだけよ。シゲルさん、もうコンビニだから、黙っていてね」
土曜日の朝なのに、ここはお客さんが多い。朝帰りのカップル。行楽を楽しむ家族。手軽なカフェとして近所の人ともよく会う。独り言言ってたらあゆみ、よけいに不思議ちゃんって呼ばれるよ。
生クリームをカゴに入れる。ついでにあゆみ、リップクリームも買わなきゃ。シンヤ先輩の好きな唇の艶キープ用。どれにしようかな。
『あ、あゆみちゃん、となり、隣を見て下さい!』
「……何? 何なの?」
となり? 背の高い人が商品を選んでいる。目が合った。やだ。
「……この色にしよう!」
リップクリームもカゴに入れる。なんか怖いよ。睨まれた気がする。目を逸らす。
『あゆみちゃん、彼の手元を見て!』
シゲルさんがポケットから顔を出してあゆみに顔と指で訴えてくる。顔を動かさないで、視線だけ彼の手元に移す。
あゆみ、見ちゃった、見ちゃったよ。ドキドキだよ。ジーンズのポケットとジャンバーのポケットに何か入れたよね。万引きだよ。そうだよね、シゲルさん。
「……あゆみ、早く帰らなくちゃ。チーズケーキ作るの」
『あゆみちゃん、ダメです。早くお店の人に知らせて下さい』
「嫌よ、かかわったら面倒だもの」
『外に出ます! 早く、早く』
あゆみ知らない。防犯カメラあるんでしょ。あの早さは常習犯かもね。気にしない。だって、今日スミコさんとジュン君来るんだよ。それだけで疲れるもの。
シゲルさんは帰宅中もぶつぶつ言ってたけど、あゆみ無視しちゃった。
───あと五分で十二時。スミコさんが来た。
「いらっしゃい。どうぞ上がって。あゆみ、スミコさんが来たぞ!」
玄関でパパの声がする。チーズケーキは美味しそうに仕上がった。あゆみ満足。
「ご無沙汰しています。スミコさん、どうぞこちらに」あゆみ歓迎完璧。
客間にスミコさんを通す。今年五十才とは思えない色気だ。パパの奥さんになれる事がとっても嬉しいんだろうな。あゆみは心から受け入れてくないけどね。もしママを裏切っていたら断固反対するからね。
「……ジュン君は?b一緒じゃないのかな」
「ええ、さっき連絡がありました。用が出来たから少し遅れるらしいの。あゆみちゃん、ごめんなさいね」
スミコさんはゆっくりお辞儀して、持参した重箱をテーブルに並べた。まるでお節料理。あゆみも料理得意だけど、こんなの見たことがない。シゲルさんが隣で唾をのむ。いつの間に? 朝ご飯まだだったものね。
「美味しそうだ」
パパも喜んでいる。ジュン君待たなくてもいいんじゃない。あっ、こんなご馳走食べたらあの事切り出せなくなりそう。
「……先生、食事の前に先にこれを……」
スミコさんがパパの前に封筒を差し出す。えっ、いきなり婚姻届ですか。
「ぜひ、あゆみちゃんに見て欲しくて」スミコさんが言う。
「あゆみ、開けてみなさい」パパが言う。
何かしら。あゆみ、お金だと思って開けちゃう。何かしら? パパ。
───DNA鑑定書 キャ〜驚きました。あゆみ、ジュン君に言う言葉がなくなるじゃない。シゲルさんも目を白黒させている。
───ピンポーン。ジュン君が来たのかしら?
パパにあゆみが迎えるように言われたから、腰をワナワナさせながら扉を開けた。
「……いらっ、キャ。あなたがジュン君? え、ええ、さっきコッ、コンビ、いや何でもないわ。どうぞスリ、スリじゃない。スリッパを履いてね」
ジュン君はさっきコンビニであったばかりの……万引き犯だった。
どうしよう、シゲルさん。シゲルさんも腰をワナワナさせていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます