第17話 かかと落としをやってみろ!
腕時計を確認するとまだ朝八時前だ。二階にある道場に行く為階段を上がる。
「誰もいるわけないじゃん。勝手に入ったらやばいよ!」
不法侵入になる。鍵がかかっていて当たり前だし、マサル何言ってるの!
『許可は取ってあるから大丈夫、早く開けて!』
勝手な事ばかり言うマサル。開けたと同時に肩から畳に飛び降り奥まで走っている。歩幅も十センチないから進まない。
俺も靴を脱ぎ、靴下を脱いで畳に足を置こうとした。真冬の道場は寒い。
「マサル、やっぱ、無理。俺帰るわ。霜焼けになるのやだから」
『シンヤ、違うだろ、お前が抱えている問題の根がここにあるからだろ?」
何? 俺は問題なんて抱えてないんだよ! こんな汚ったない場所で素足で歩けるかっていうんだよ! 俺はマサルをキッと睨みつけた。
───二度と来たくない場所。二度と踏みたくない畳。
『シンヤ、いいから早く入れ!』
マサルがいつの間にか竹刀を持って立っている。
「俺に命令しないでくれる。……分かったよ、入るよ」
俺が通っていた道場とは違う。畳ではなく、畳に似たマット、奥には掛け軸がある。【千日を以って初心とし、万日を以って極とす】なんか聞いたことがあるフレーズだ。嫌な予感。窓ガラスを確認すると、ペロンとシールが剥がれていた。
「マサル、もしかしてここ
『シンヤ、安心しろ! もうここは使ってないから誰も来ない。……グズグズ言ってないでほら早くしろ!」
マサルはそう言うと突然掛け軸に向かって正座をした。
『正面に礼!』
声が小さい。聞こえなくて立っていると、マサルが竹刀で俺の足を叩いた。
『シンヤ、お前は和道流だったな。ノンコンタクトの伝統空手だ。仕方ない、今日は基本練習を主にやる! はい、まず正面に礼!』
何だよ、今日はって。だからもう空手に興味なんかないんだよ。
『興味はなくても未練はあるだろ! はい、構えて!』
「いきなりやったら痛めるだろ! マサルはバカなのか? ストレッチが先」
ジョギングして体は温まっていたが、手首や足首、股関節の準備をしてない。ストレッチは怪我をしない為にも必要だ。
───座って股を広げる。後ろからアキラが押してくれたよな。白い道着を着た小柄だったアキラの事を思い出した。
『アキラも女の子によく泣かされて小学校に入るなり、空手道場に通わされたんだったな。思い出したか?』
マサルが言う。
シンヤ君と同じ道場が安心だとアキラの親が入れた。二年後に入ったアキラが鬱陶しくて無視したのに、準備体操だけは一緒がいいって離れなかった。
『じゃあ、正拳突きから始め! まずは中段だ! 相手のみぞおちを突くイメージで二十回、ハイ、イチ、ニッ、サン。声出して!……もっと腰を入れて!』
マサルがうるさい。久しぶりだけど体が覚えている。
『
「……こんなのただのお遊びだよ! 正式種目になったからって俺オリンピック目指してるわけじゃないんでよろしく!」
汗が出てきてイラッとしながら言うとマサルは竹刀でマットを叩く。
『つべこべ言うな。突きが終わったら受けだ。上段受けは半身を切れ』
背中にジワリと汗が気持ち悪い。上着を脱いでTシャツ一枚になる。マサルは容赦なく今度は蹴りだと言った。
上段蹴り、前蹴り、上段回し蹴り、内回し蹴り、外回し蹴りと一通り終わる。
『最後にかかと落としだ、やってみろ』
「……、……」
『シンヤ、お前が一番好きだった技だ。やってみろ!』
俺はマサルの命令に固まる。それは実践空手、フルコンタクトでの技で、俺はそんなのやってきてない。寸止めの流派だから。
『シンヤ、思い出したか? 思い出したみたいだな。まあいい。次は形だ。和道流ならまずは
「出来ない」
『じゃあナイハンチは?』
「……出来ない」
『だったら、クーシャンクーだ。これなら出来るだろ!』
「そういう問題じゃないんだよ! ……マサル、あんた何で俺の過去を知ってる? アキラが空手やっていた事も、俺が、俺がかかと落としをした事も……」
体は温まっていたのに、足の震えが止まらなかった。
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