第11話 敬語で話しなさい!
家から駅までは車で十分くらいの距離だ。昨日覚えた「愛してる」を三回鼻歌まじりに歌う事が出来た。
『課長さん、やっぱり上手いですね』
「それほどでも、照れます」
ミツルさんは褒め上手で一緒にいると気分がいい。
ロータリーで待っていると、ユカがキョロキョロしている。車を変えた事を言ってなかったかな、いや昨日カヨコに会って聞いているはずなんだが。僕は車の中から手を振る。ユカは気が付かない。
「ミツルさん、ちょっとユカを呼んできます。ここで待っていて下さい」
助手席に置いたアウターのポケットにいるミツルさんに声をかけた。車のドアを閉め、ユカのいる場所まで走った。十メートルの所で思いがけない事態が……。
「ワー、オー、イテっ!」
昨夜遅くに降った雨が少し凍っていたのだろうか、思い切り滑って足を取られる。尻餅をつき、肘を打ち、肘に力が入らなくて、そのまま頭を……打ちつける寸前、何かがクションになった。
「……イタタ、あっ、あ、ミツルさん、ミツルさんじゃないですか、やっ、大丈夫ですか? いつの間に!」
後頭部を打ち付けなくて済んだのは、ミツルさんが手で受け止めてくれたからだった。うずくまって動けない、いや動かない。慌てて指3本でミツルさんの背中をさする。フウと声がした。良かった、生きてる。
『……課長さん、なんで後頭部がベタベタ何ですか? 私は普段鍛えています。重量挙げも得意です。両手で後頭部を受け止めるなんて大した事ではありません。けど、滑りました、ツルッとすべって、おでこが痛いです』
よく見るとミツルさんのオデコが赤くなっている。衝撃が凄かったんだろうな。
「ごめんなさい、ミツルさん、大丈夫ですか。おかげで僕は頭を打たずに済みました。ありがとうございます」とにかく謝りまくる。
「パパ、地面に向かって何頭下げてんの? さっき転んだでしょ、ダサいよ。恥ずかしくて他人のフリしちゃったよ」
ユカの声だ。久し振りに会っていきなりダサいって言われてへこむ。それより隣にいるその男性は誰だろう。軽蔑顔のユカに目で訴える。誰?
「ちいーすっ。もしかしてユカのパパって感じすっか、ヨロシクです」
「……、……」
「あっ、ユウトに会うの初めてだったね、ママに聞いてないの?彼氏だよ」
「ちいーすっ、ユウトです。ヨロシクです」
ユカに紹介されても同じ言葉を繰り返す。オモチャの方がもっと語彙が多いんじゃないか。ユウトと名乗る青年は一番苦手なタイプだ。茶髪で耳にピアスをし、真冬なのに白いインナーにデニムをはおり、ピタッとした淡い色のパンツ と白スニカーだ。服装も春なら、ノリも春の避けたいタイプだった。
「寒いから早く車に乗りなさい」
「了解っす。後ろ乗ってちゃっていい感じすっか?」
変な日本語で聞いてくる青年にイラっとしながらドアを開けた。
無言の十分後、やっと家に着き安心する。カヨコはわざと言わなかったに違いない。彼氏を紹介するなんて初めから知っていたら、僕は会わなかっただろう。
「いらっしゃい、ユウト君、寒かったでしょ、さあこっちで暖まって」
カヨコが普段より一オクターブ高い声で歓迎している。母親というものは娘の彼氏がどんなタイプでも嬉しいものなのか?それに比べると父親の目はシビアだ。
「あなた、あなたも早く来てください。ユカが話があるそうです」
「先に部屋着に着替えてくるよ」話って何だろう。心の準備なんてしてないよ。
『課長さん。落ち着いて下さい。それよりキズは傷みませんか?手当てしてからの方がいいと思います』
ミツルさんは僕の袖をまくって消毒し、絆創膏を貼ってくれた。
「ありがとうございます。ミツルさんこそオデコを冷やした方がいいと思いますが、大丈夫ですか?」
『家に到着する10 分の間に治ってしまいました。……ユカさん何の話でしょうね?』
今年二十歳になったばかりだ。まだ結婚て事はないだろう。いやそんな話が出たら断固反対するつもりだ。僕はミツルさんにそばに来て貰う事にした。家族三人水入らずの予定がおかしな方向に行きそうで不安だった。
ユウトという青年の話し方を思い出し気持ちが萎える。部下の兼子君ですら敬語が使える。兼子君も入社当時は敬語が変だったんだよな。部長にはご苦労様って言っちゃうし、取引先には了解しましたっていう。よく注意したな。
着替えてリビングに行くと、ソファーに座って三人がケーキを食べていた。
「先に食ってる感じっす。美味いです、これ」
「でしょ?このケーキユカの大好物なの。紅茶のおかわりはいかが?」
カヨコは気にならないんだろうか。食ってるじゃないだろう!
「あなた、ここに座って。さあ、あなた達、話があるんでしょ」
カヨコが僕を座らせようとした場所は、ソファーの対面だ。ローテーブルを挟んで二人と対面する形になった。なんかおかしくないか、僕が床に座るの。
「パパ、あのね、私ユウトと来年の春に結婚しようと思ってるんだ」
「……えっ?結婚って!」
「ユカと結婚する感じになったっす。お願いします」
「……すっ、すっ、すって君はまともに敬語が使えないのかね!人にお願いする時くらい敬語で話しなさい!」
床に座ったせいで上から物を言われた事も手伝って、怒りが爆発した。ミツルさんが僕の袖口を引っ張って落ち着くように促してくれている。それでも興奮する。
結婚したいと言う前に直す所があるだろう。僕は久しぶりに大声を上げた。
楽しいはずの日曜日が最悪になりそうだった。
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