第10話 家族を犠牲にしました。

『課長さん、おはようございます。これありがとうございました』


 ミツルさんは貸してあげた毛布を丁寧に畳んでいる。毛布といっても僕の使い古しのマフラーだ。ジャージは洗って干してある。ミツルさんは白いTシャツとトランクス姿になってもダンディだった。ウール100%のマフラーで巻いてあげると、とても喜んでくれた。


「そんなのでごめんなさいね。クリーニングには出してありますから」

『……いいえ、とても暖かくてよく眠れました』


 カラオケから帰ってきてから、カヨコは機嫌が良かった。夕飯は冷凍庫のカレーを温めるのかと思いきや、久しぶりにたくさんのおかずを作ってくれた。肉じゃがと鯖の味噌煮、ワカメと豆腐のお味噌汁、僕の好きな物ばかりだ。


『カヨコさん、料理得意ですね、私までご馳走になって、美味しかったです。奥様が機嫌がいいのはきっと課長さんの言葉ですよ』


 帰るなり「愛してる」なんて言ってしまったからだろうか。結婚してから2回も言ってない言葉かもしれない。ずっと仕事に追われてそんな言葉忘れていた。


「……カラオケボックスで歌ったからでしょうね、素直に言えたんですよ。不思議です。音楽は心にゆとりを与えるんでしょうね。ミツルさんのおかげです」


『……いえいえ、どういたしまして。あっ、今日は娘さんが家に来る日でしたね。私も会えるのを楽しみにしています。大きくなったでしょうね』


「えっと、ミツルさんはうちのユカをご存知でしたか?」

『……ぞ、存じません』


 ミツルさんが言葉を濁しているとカヨコが部屋に入ってきた。十年以上前から寝室は別になっている。ちょうど四十才の時、自分企画の知育玩具の営業が忙しく家には寝に帰るだけの毎日だった。


 ユカはまだ二歳で子育てはカヨコに任せっきり。ユカの成長を願って企画したはずが、一番愛しい子供との時間が取れない矛盾で苛立っていた頃だ。


 商品名は[パパはどこ?ママはどれ?]という物。パズルと鍵を駆使して囚われている玩具の親を探し、救出するゲームだ。二歳から三歳の好奇心をくすぐり、飽きないように音楽も流れる。指の感覚を鍛えるようパズルは木製にした。


『布製の人型にパパかママと認識出来る写真を貼り付けた事で、救出した時に、どの子も安心して抱きしめるんですよ。そのアイデアが良かったと思います』


 今から二十年近く前の商品なのにミツルさんは知っていた。不思議だ。


「僕の企画商品が爆発的に売れて、会社では昇進したんですが、カヨコとユカを犠牲にしてしまいました。日曜日も忙しくて、動物園にも遊園地にも連れて行ってあげられなかったんです。……仕事のために家族を犠牲にしました」


 ミツルさんは切なそうに僕を見上げている。家族を食べさせる為にガムシャラに働いてきたサラリーマンはたくさんいるんだ。会社での立場を保ち、新企画を生み出すためには何かを犠牲にする必要がある。僕の言い訳を聞いてそんな顔をしているのかもしれない。


「あなた、ユカから電話があって、今駅に着いたから迎えに来てって。お願いしますね。私はユカの好きなケーキと紅茶を用意しておきますから」


 カヨコがとても嬉しそうに言った。僕だって久しぶりにユカに会える事が楽しみで仕方ない。時計を見るとまだ九時前だ。夕方また帰ってしまうとしても親子三人で過ごす時間はたっぷりある。なんて素敵な日曜日だろう。


『課長さん、僕をポケットに入れて下さい。きっとお役に立ちますから』

 

 ミツルさんが半乾きのジャージを着ようとしている。風邪を引かせてはいけないので、ドライヤーをかけたらすぐに乾いた。やっぱりミツルさんは黄色のジャージがよく似合う。


 僕もすぐに着替えて。大きめのポケットが付いているアウターを羽織った。カイロをハンカチで包み、その上にミツルさんを乗せる。

 

 ユカを駅まで迎えに行くのは何年ぶりだろう!胸がドキドキした。

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