第9話 明るくなる歌を教えて下さい!
「お一人様ですね。時間は五時間です。お飲み物は飲み放題ですが、お部屋に着きましたら何か一品注文して下さい。こちらお部屋の番号です」
一人カラオケは久しぶりだ。いや初めてかもしれない。恥ずかしい。
『昭和にはこんなオシャレな所なかったですものね。緊張しますね』
ポケットの中のミツルさんが声をかけてくれる。ああ、なんて優しいんだろう。僕の唯一の得意な趣味、カラオケに同行してくれるなんて。
「……休みといえばゴルフでしたから。ゴルフは僕あまり得意じゃないんです。かといってカラオケは会社の子たちと行っても世代が違うから……。僕が歌うと失笑が起きるんです。今日は好きな歌をガンガン歌わせてもらいますね。あっ、よかったらミツルさんも歌ってくださいね」
マイクと同じ大きさのミツルさんには、音が大きすぎるだろう。エコーは控えめ、音量も控えめに設定する。
嫁が自分に大きな態度を取るのは僕がオドオドしているせいだ。窓際課長という渾名も返上するために気分を上げて行こう!
「では、十八番からいきなり歌わせて頂きます。ミツルさん、ティッシュを小さく丸めてあるのでうるさかったら、耳栓にして下さいね」
ミツルさんはコクリと頷き、リモコンの上に座った。毎年の忘年会の余興で披露する歌を入れる。
「では一曲目です。よされ数え歌入りました」
雪国に住む老いた母親を思う優しい息子の心が歌詞に込められている。イントロの部分で胸が詰まって泣いてしまいそうだ。演歌は得意中の得意だ。こぶしも唸る。
「ミツルさん、歌詞が画面に出ますのでどうぞあなたも歌って下さいね」
♫ ♪♬🎶 よされ数え歌
ひとつ ひとりで雪の中 よされお父はどこ行った
ふたつ ふらりと雪ん中 消えて行った
みっつ 港で見つかった 見つかった
よっつ 酔って落ちたのか 浮いていた
いつつ いつかはこうなると お母は泣いた
むっつ 無理やり働いて お母病に倒れ死ぬ
ななつ なんとか生き抜いて……♩♬♬
一番盛り上がるななつのところで音が止まった。ここからサビがいいんだけど。
『課長さん、ストップ、やめて下さい。なんですか、この歌詞暗いです。これが十八番なんですか? 聞いた人失笑どころかドン引きです。私も初めて聞きましたが、落ち込みますね。次、元気になる歌お願いします』
「……そうですか、今の歌二番がいいのに。分かりました。次はバラードです。中年男の応援歌明日です。僕はこの歌で明日も会社で頑張ろうって思うんです」
『いいですね、そういうの欲しかったです。どうぞ』
♩♬♬明日〜あすからの男バージョン
ため息も嘘もついてきた 下らない人生だったけど
明日からは男だ 生きる 生き抜こう!
窓辺にそっと綱をかけ 首♫♫♩♬ また止まる。
『ストップ、課長さん辞めましょう。どこが応援歌ですか、嫌な予感がします』
「ミツルさん、この続きが良かったのに。首を吊ると思ったでしょ、首輪なんですよ。じゃ、唯一歌えるロックいいですか。本当の僕を見てください。ちょっと英語も入りますから。hahahaです」
『英語ですか、それは楽しみです、どうぞ』
♫♬♩♬ hahaha
ハッ、ハッハッ hahaha ハッハッハッ
たぶんみごとにだまされた ハッハッハッ
やぶれかぶれの ロックンロール ha ha ha
ぶっちぎりだぜ 俺の家 車も 何もかも
hahahaのハサン hahahaのハサン ハサンセンコク!イエッ!
ハッ、ハッハッ haha ♩♬♫ プツ 音が止まる。
『課長さん、破産宣告って縁起でもない。えっ、それにどこが英語でしたか?』
「えっとですね、hahahaです。ミツルさん、僕全部途中までしか歌えなくて、不完全燃焼なんですけど! 余計にストレスがたまりそうです」
暗い歌、縁起でもない歌しか知らない僕が悪いんだけど、それにしてもあんまりだ。カラオケに行こうと誘ったのはミツルさんの方だ。
「ミツルさん、明るくなる歌を教えて下さい。まあ、きっとウィスパーボイスでしょうけど、聞きますんで」
ちょっと嫌味を込めて言ってみた。
『課長さん、とてもおすすめの曲があるんです。入れますね』
ミツルさんは器用に足でタップしておすすめの曲を流した。愛してるとよくあるタイトルが画面いっぱいに出て来た。歌詞を追った。僕はミツルさんに教えられて何度もオススメの曲を歌った。
♫♬♩♬愛してる
君と出会ったのは 四月 桜の木の下で
初めてキスした 五月 爽やかな風が吹いた
ケンカもしたね 六月 涙が雨で流されて
ずっと一緒に生きていく 海に誓った七月
今 同じ景色を見ているのか 分からないけど
僕は君だけを愛してる 愛していると……誓う
ありきたりの歌詞。鼻でフンとしてしまうような歌詞だったが、三回目で僕は気がついた。カヨコと出会ったのも、ケンカしたのも、プロポーズしたのも歌詞と同じで……僕は急にカヨコに会いたくなった。
『さあ、家に帰りましょう。カヨコさんが帰ってくる時間でしょう!」
ミツルさんがニコリと僕を見る。家に着くまで愛してるのメロディが再生される。
「ただいま、カヨコ、あい、愛してるよ!」
「……何、気持ち悪い。それよりあなたどこに行ってたんですか?」
そう言いながらカヨコは照れて、僕に優しくなった。
僕はお礼にミツルさんのジャージを洗濯する事にした。カヨコが娘に電話して明日、家に来るように言ったからだ。とても嬉しくてなんでもいいからミツルさんにお礼がしたかった。
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