第8話 嫁が怖いんです!
「あなた、まだ寝てるの、早く起きて散歩にでも行って下さいよ!」
久しぶりの土曜休みなのに叩き起こされた。妻のカヨコは気性が激しい。
「……朝ご飯と昼ご飯用意してありますからね、夕方までには帰りますから」
そう言ったかと思うと掃除機をかけ始めた。朝から晩まで働いてくる夫に対してその態度は何だ! 休みの日くらいゆっくり寝させてくれよ!
結婚して20年、一度も言った事のない言葉をまた飲み込む。
「今日は、ユカとショッピングとランチしてきます。なんか伝えておく事ある?」
カヨコが掃除機を止めてめんどくさそうに聞く。また太ったかな、スリッパがきつそうだ。
「……たまにはお父さんにも顔……」
ブイーン、途中でまたスイッチを入れ始めた。顔を見せなさい! と言い切る事が出来なかった。
ユカは今年二十歳。短大に入る時家を出て以来一人暮らしをしている。隣町に住んでいるのに三ヶ月に一度くらいしか家に寄り付かない。
言いたい事は山ほどあるんだよ。学生時代は給料の四分の一を仕送りし、就職したのにお金が足りないとお小遣いを要求してくる。そんな娘には弱い中年親父は何も言えない。言ったら楽になるんだろうな。
「あらやだ、こんな所に空き缶置きっぱなしだわ。あなた昨日こんなの買って飲んだの? だめじゃない、健康診断の結果悪かったでしょ!」
カヨコが空き缶を手に取ってよく見ている。一番甘いミルクコーヒーだ。血糖値が高いから絶対に避けなければいけない飲み物だ。いつ買ったんだろう。いつ飲んだんだろう。
───思い出した! 昨日変なオモチャに声をかけられて、コーヒーを催促されような記憶が……ミツルと名乗った気がするな。持ってきたかもしれない。
カヨコが部屋を出て行った後、トレンチコートのポケットに手を入れてみる。あの人形が発売されたのは千九百六十年代だ。売れば高い値が付くとポケットに入れてきた記憶がある。ジャージ姿はレアだ。もしかしたらもっと高く、いや、そんなわけないか、顔はしっかりオジさんだった。
『おはようございます。課長。よく眠れましたか? 私は先ほどの掃除機がうるさくて目を覚ましてしまいました。朝食を頂いたら愚痴を聞きたいと思います』
グニャリとした感覚、人間の腕を掴んだ時と同じで生温かい。その得体の知れない人形が喋った。
『……そっと出して下さい。いや私は普段から鍛えていますからあなたの手に掴まりますね。私の事をミツルと呼び捨てにして下さって構いません』
なんて丁寧な人形だろう。もしかしたら本当に小さいオジさん族かもしれない。どれどれ、パソコンを開いて検索してみる。
➖小さいオジさん➖
日本の都市伝説の一つ。その名の通り中年男性の姿をした小人。
目撃者の話から身長は八センチから二十センチ。色んな場所に出没する。
二千九年頃から見たという噂が相次ぎ、特に芸能人に多い。
薬の副作用とか、薬物使用の幻であるという仮説もある。
『そうです、この説明の通りです』
ミツルさんがマウスの隣で言う。やはり呼び捨てには出来ないんだよな。
「
『はい、そして私たちは課長と同じように感情や思考を持っています。どうぞ、安心してなんでも話してくださいね』
ミツルさんはニコリとする。同じオジさんなのに爽やかだ。こぼれる白い歯、垂れた目元、キリリと整った眉毛。
「ミツルさん、陽の下でよく見るとカッコいいですね。ダンディです! さっきの画像とは大違いだ。小さいオジさん族の中で一番モテてると思いますが」
ミツルさんはふっと笑って下を向いた。わあ、なんて謙虚なんだろう。この人形もとい、このオジさんとなら仲良く出来そうだ。
妻が用意していった朝食を食べ、愚痴を聞いて貰う事にした。コーヒー缶と同じくらいの大きさのミツルさんは、ティッシュ箱に腰をかける。足が長い。
「ミツルさんは顔だけじゃなくスタイルもいいです。僕なんかビール腹でなんともお恥ずかしい。嫁に言われるんですよ、結婚詐欺だって。自分こそ出会った時はぽっちゃりした可愛い感じだったのに。一目惚れしたのに」
愚痴が止まらない。ミツルさんは聞き上手なのか否定も肯定もせず静かにうなづく。どんな動作をしても様になる。
「娘のユカも、嫁に似てきまして僕を邪険に扱うんです。僕のどこがいけないんでしょう。あのですね、会社では課長という立場でありながら、みんな馬鹿にするんです。確かに昔はたくさんのアイデアを採用されました。若い世代はぼくがこの会社を盛り上げてきたことを知らないんです」
『課長さん、あなたには才能があります。あなたのやる気をそいでいるものを見つけましょう!』
「やる気を失うものですか、思い当たるといえば、一つだけ。嫁が怖いんです」
あと二年で退職なのに課長止まりなんて、ヒラと一緒だとか、あなたはアイデアが枯渇するタイプ、今まではまぐれだと言いたい放題だ。よアイデアを話してもそんなの売れる訳がないとダメ出しの連続だ。それから嫁が怖くなった。
「それにしてもミツルさんはどうしてそこまでしてくれるんですか?」
『……そ、それは。あっ、今から元気になる所に行きましょう!』
「元気になるところですか?」
『課長さんの得意なカラオケです』
僕はミツルさんとカラオケボックスに行くことになった。
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