第22話
十二月になると、東京はずっとカラフルになる。デパート勤務の私にはクリスマスフェアなんかが厄介ではあるけれど、それでも売り場がクリスマスモードになっていくことに、柄にもなくわくわくしていた。ケースの中に綿を飾ったり、接客テーブルの前にクリスマスツリーを飾り立てたり、いつもはただお客さんを姿勢よく待っているだけなので、楽しさがものすごい。そんな中、視界の端に由美の姿を捉えて私は手を止めた。由美はこっちに手を振っていた。
「また来てるね」
「これから映画観に行くんで」
先輩に言葉を返して、私は由美に手を振り返した。由美がこっちへやって来る。
「ハミちゃんお疲れ様です」
キャスケットにトレンチコートの由美はいつになく可愛らしかった。
「もう終わるから待っててね」
今日は夕方までの勤務だった。タイムカードを押して帰るだけだ。
「ねえねえ、何を観に行くの?」
先輩は身を乗り出して由美に言った。
「今日はですね、薬師丸ひろ子の『Wの悲劇』を観に行きます」
「へえ、この間は『ゴジラ』観たって聞いたけど」
由美はニヤニヤ笑いだした。
「そうなんです! 知ってますか? 映子さんってすっごい怪獣好きで、観る前も観てからもずーっといろいろ話してくれて、ほんと面白かったんですから!」
いかん、由美が余計なことを話しとる。
「あーっ、由美ちゃん、従業員出口のほうで待ってて!」
私の怪獣映画好きっぷりを先輩に話されたくない。
先輩も由美と同じ顔になった。
「いや、浜さんもう手遅れだよ。観た次の日、ずっと僕に言ってたじゃん。
「あ、それ私にも言ってました!」
二人が共鳴しだして、私はものすごく恥ずかしくなった。私のことをよく知る人が揃ってるのって、なんだか恥ずかしい。
前作『メカゴジラの逆襲』以来に帰ってきた『ゴジラ』は特撮なんかも非常に良くできた映画だった。九年ぶりのゴジラは相変わらずの暴れっぷりで、その姿を劇場で観るのが幼いころの私とおじいちゃんの恒例行事だったから、新作だというのに懐かしさがした。私が東京に来てから初めてのゴジラだったから、知っているところが破壊されていくという興奮は実家にいた頃には味わえないもので本当に楽しかったが、私に言わせれば今回の映画は
由美が行ってから先輩が言った。
「神宮寺さん、今日も来てたね。ほんとに仲いい」
「親友ですから」
さすがに私は由美との関係をはっきりと周りに話すことはしなかった。そこまでの必要はないだろう。
「また感想聞かせてね」
「はい、ぜひ。ではお先に」
私は先輩に手を振ってからタイムカードを押した。今日は輸入時計が三本も売れた。制服から私服に着替えてエレベータで降りる。従業員出口を出ると、鼻の上までマフラーを上げた由美ちゃんが細めた目をこっちに向けていた。
「ハミちゃん、遅い。凍え死ぬ」
しまった。私は平熱が七度を超えるくらいの暑がりだ。一方由美は異常なほどの冷え性だった。
「ごめん」
由美は同じ顔のまま空に人差し指を向ける。その指に白いものがのった。
「雪降ってます」
「ごめん」
手をついて謝ったものの、由美に睨みつけられるのなんて初めて?だったから、私はおかしくなって可愛く思えた。表情がゆるくなってしまう。
「早く行きましょう。私はハミちゃんみたいに赤ちゃん体温じゃないんです」
そう言ってそっぽを向いた由美は、だけど細い手を差し出してくれる。私たちは手をつないで歩いた。由美の手袋はもこもこしてて温かかった。
薬師丸ひろ子の『Wの悲劇』は私の予想に反して傑作と言えるほど面白かった。等身大の女性の姿がこれでもかというほど生々しく描かれていて、薬師丸ひろ子本人の女優としてのキャリアも重なって、本当に良くできていたと思う。由美が観終わってからずっと、劇中の「おじいさまを刺し殺してしまったの!」というセリフのモノマネをしているのがおかしかった。しかもけっこう似ているものだから、重ねておかしかった。
「そうだ、年末に私の姉がこっちに来るんだ。由美にも会ってほしいんだけど、いい?」
レストランから出て二人で駅のほうまで歩いているとき私は言った。
「公子さん? 年末ってすぐじゃないですか」
公子のことはよく話していた。
「うん、小学校の先生だから、二十八まで仕事なの。だからほんとに年末なの。三十か大晦日」
由美は高いところから声を出した。
「会います! 会いたいです! ハミちゃんと同じ顔なんですよね? 面白い!」
そりゃあ、双子なんだから同じ顔です。
「でもやっぱり違うよ? だって公子は髪長いし、なんか私よりちょっと……怖いかもよ?」
私はそう言って笑ってしまった。公子はけっこう、昔から男子なんかを殴りつけるタイプだったから。
「余計に会いたいです。で、ハミちゃんの昔の話を聞きたいです」
……会わせたくなくなってきた。だって公子、絶対面白がってあることないこと言いそうだから。でもやっぱりそれ以上に会ってほしい。
「あまり変なこと聞かないでね。公子はけっこう、適当なことを言うから」
「善処しまーす」
由美の頬をつまんだ。ひやっとして可愛い声を出す。
「それでね、私、正月は実家に帰ろうと思うんだ。だからそのまま公子と一緒に行くと思う」
由美は立ち止まって私をじっと見上げた。
「そうなの? 私、てっきり一緒に初詣に行けると思ってた」
由美の頬を開放してあげる。
「私も行きたい。嘘じゃないよ。でも、私、やることがあるの。両親にさ、これまでのことを話さないといけないから。由美のこともしっかり話したいから」
正月を実家で過ごすのなんていつぶりだろう。誰かと過ごすのだって久しぶりだ。
由美は一歩、私に近づいた。
「戻ってきてくれる?」
由美は見たことのないほどの不安をのせた顔をした。私はびっくりした。安心させてあげたくて両手を柔らかいほっぺに添えた。
「当たり前でしょ、何言ってんの」
私にはよくわかった。すごくすごく幸せな時やなんてこともない時に、それが永久に失われるんじゃないかって恐怖にかられることがある。そんな時、すごくすごく寂しくなる。
「私は由美から離れないから。離さないから。だからそんな顔しないで」
由美は私にしがみついた。
「私、ハミちゃんがこれからやることがわかりますよ。だから応援してますよ。それで新しいハミちゃんになって帰ってきてほしいです。――今日、ハミちゃんちに泊まってもいい?」
私は由美の頭をそっと撫でた。
「うん、いいよ。いつだって来ていいんだから」
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