第21話

「その、今さらこんなこと聞くべきじゃないに違いないんですけど、ショックじゃなかったんですか? その、由美ちゃんに打ち明けられた時は……」


 ちょっとして落ち着いてから聞いてみると、由美ちゃんのお父さん――象山さんは笑いながら言った。


「まあ、最初はやっぱりびっくりしたよね。その時由美は小学生で、だから気の迷いかなーとも思ったんだけど、どうやら本気みたいだったから。――でもまあ、そういうもんなのかなって」


 そういうものって……。


 私は今、ディナーテーブルについていて、由美ちゃんと象山さんとお酒をいただている。黄色っぽい照明がリッチな感じだ。それにこれも高級なウイスキーなんだろう、とても美味しい。こんないいものをコークハイにして飲むのは初めてだ。……勿体ない気がしないでもない。


 象山さんは続ける。


「ま、なんといっても受け止め方次第だよね。そりゃあ、可愛い一人娘が真面目な顔して、女の子しか好きになれない――なんていうもんだから、俺も随分悩んだけどさ。でも、いつか男に傷物にされるくらいなら、女の子同士もいいか――なんて、親馬鹿だから思っちゃったわけ。母親が生きてたら俺に何て言うかわかんないけど……それにしても相手が映子さんで良かったよ。だってほら、女子プロレスラーみたいな――っていうとそういう人たちに失礼なんだけど――そういうタイプを連れてこられたらさ、さすがに俺も、だいぶ時間が必要だったかもしれないから。でも実際は映子さんだったらいいかなって、今、思えてますよー。由美と映子さんなら、絵的にも良い感じだなって」


 象山さんはそう言って豪快にウイスキーをストレートで飲む。そして笑う。由美ちゃんに頭をこつんと叩かれている。


「由美は実際、今まで恋人が全然できなくてね。俺もずっと、いろいろ協力というか、応援してきたんだけど――一人目で映子さんみたいな美人さんを連れてくるから驚きだよ。美人美人とは聞いてたけど、ほんとにすらっとしててモデルさんみたいだね」


 私は「ありがとうございます」と小さな声で謙遜する。それにしても、象山さんはとってもいい人だ。あいつとは大違い。


「信じられないですね。由美さんはこんなに可愛いのに、恋人とかいなかったわけですか?」


 私が訊ねると、由美ちゃんが顔を赤くして、象山さんが深く頷く。象山さんが言う。


「由美は父親の俺からしても可愛い顔してると思うんだけど、奥手だから。それにやっぱり、女の子が女の子を落とすのは難しいんじゃないの? ――映子さんはどうだったの?」


 グラスを口の前ですっと止める。そういうことを聞かれると困る。


「まあ、なんていうか、私も奥手なほうなんで、そういうことには無縁でして……」言いたくないから声をひかえめにする。よし、話題転換、話題転換――話を変えてしまおう。私は声を大きくする。


「というか由美さんって奥手ですかね? 初対面ですっごい親しげに話しかけてくれて、人懐っこいコだなーと思いましたけど」


 由美ちゃんがますます顔を紅潮させる。それを象山さんが楽しそうに見つめながら言う。


「あー、そうなんだ。由美、良かったな。変な女だと思われてなかったみたいだぞ?」


 象山さんがからかうように言うと、由美ちゃんは顔を赤くしたまま何も言わずにコークハイをヤケ酒のようにぐびっと喉に通す。どうしたんだろう?


「由美ちゃん?」


 さっきからどういうわけか照れている由美ちゃんを訊ねるように見ると、私の視線に気がついた象山さんが解説してくれる。


「あのね、由美はずっと言ってたの。神社で美人さんに出会って、なんとか話しかけたくて、でもなんて話しかければいいかわからなくて――テンパっていきなり自己紹介しちゃったから、変なやつだと思われてないか心配だったって」


 象山さんがそう話す間、由美ちゃんは目を伏せながらも、私の顔を探るようにちらちら覗いていた。コークハイを両手で持って恥ずかしそうにしている様子と、あの時、私が由美ちゃんに出会って、一目でどうしようもないくらい惚れてしまった時、あの時の不思議な由美ちゃんは、由美ちゃんが私に話しかけようと緊張して努力してくれた結果のものなのだと知って、もうどうしようもないくらい由美ちゃんが愛しくなる。そうだ、私たちの気持ちはあの時から同じだったんだ。こんなことってあるんだな――こういうのを、運命っていうんだろうか。


 私は由美ちゃんが好き。たまらなく好き。想いがつのる。色づく。


 しかしそれにしても、今の象山さんの口ぶりでは、ほんとに象山さんは、ずーっと今まで、私と由美ちゃんの成り行きを見守ってくれていたらしい。こんなにもその――理解があるのって、ほんとにすごいことじゃないだろうか。


「由美ちゃんはいいなー、こんないいお父さんがいて。私の両親なんてロクでもないからね。もう嫌になっちゃうくらい」


 私はこれまで、絶対にこういうことは言わないように生きてきたのに、今はそういうことを話したくて仕方がなかった。由美ちゃんが目をぱちぱちさせながら私に言う。


「ハミちゃんのお父さんは、ハミちゃんが打ち明けた時に怒ったんですか?」


 私はゴージャスなコークハイをぐびっと飲んでから言った。


「怒ったなんてもんじゃないよ。私ね、高校生の時にあんまり辛くて親に話したんだけど、おかしいとか言われたもん。間違ってるとか病院いけとか――それで高校やめさせられて、転校させられて――そういう話ってどっかから漏れるもので、友達もいなくなって――何もかも失っちゃった」


 誰にも言っていなかったことを、簡単に明かしてしまった。そんなに簡単に、思いをわかってくれる親がいるなんて、そんなのズルい。私は酷い目にあったのに、由美ちゃんは恵まれ過ぎだ。私は心の中のどこかで、由美ちゃんにそういう負の感情を抱いたのかもしれない。そんなふうに思ってしまう私が、私の中のどこかにいるのかもしれない。汚い自分が嫌になる。だけど言葉が口からあふれてくる。


「さっき聞かれたことに答えるとね、私、恋人はいなかったけど親友はいたの。高校時代の親友で、とってもとっても仲が良くて、いつも一緒にいたくらい。でも私の気持ちを話したら、もう友達じゃなくなっちゃった。もう親友って言えなくなった。その時、それがほんとに悲しかったから――」


 私は一気に話してしまっていた。さっきまでは楽しく過ごせていた時間が、急に重苦しいものになる。私は恵まれている由美ちゃんに、私の思いを知ってもらいたかった。私は由美ちゃんと違って、今まで苦難の道を歩んできたんだと、知ってもらいたかった。やっぱり私は嫌な女だ。


 数十秒ほどの沈黙を経て、象山さんが真面目なトーンで、私の瞳をまっすぐ見据えて言った。


「親ってのは、勝手に望んで勝手に我が子をこの世の中に送り出すんだから、俺は自分の子供が何だろうが、何をしようが、それが一生懸命考えた末のことだったり、それで幸せになれるんなら、認めてあげて、理解してあげなくちゃならないと思う。だけど親ってのはさ、ほんとに子供が可愛くて、ほんとに心配なんだよ。俺は由美と君がそういう関係になった時、祝福してあげられるけど、君の親御さんはそうじゃないんだろう。理解できないことを理解しようとするのって、本当に勇気がいることだから。――でも親御さんに何を言われたにしても、信じてた友達に傷つけられても、それで閉じこもったりしちゃだめだ。君は俺の目から見ても素敵な人だし、君の親御さんは何を言おうと、絶対に君のことを愛してるはずだよ」


 その言葉で、何かがしぼみ、何かが開いていく。象山さんの言葉を聞いて、楽しかった父と母との思い出が、頭の中にあふれだしてきた。どうしようもないくらいこの二人に聞いてほしくて、ぶちまけるように言う。


「こんなに嫌いな両親なのに、毎朝鏡で自分を見たり、こうやって両親について話したりすると、こんなに嫌いなのに、側にいないことを変に感じて、ちょっとだけ会いたくなってしまう。でも私はずっと嫌いでいたいから、強情に思考停止して、口をつむぐの。自分で言ってて笑っちゃう。矛盾してるね……」


 私が言葉を終えると、由美ちゃんがそっと、私の手に手を重ねてくれる。


「映子さんは辛い思いをしたんですね。だけど話し合わなかったら、ずっとこのままになっちゃいますよ。私にはお母さんがいないけど、映子さんにはいるんです。お父さんも、お母さんもいるんです。だから映子さんも、私と私のお父さんくらい、映子さんは映子さんのお父さんとお母さんと仲良くなってください。じゃないといつか後悔すると思います。絶対です」


 ――そっか、私だって、父と母の気持ちを理解しようとしてなかった。理解して、私の気持ちを理解してもらえるように努力してなかったんだ。おばあちゃんや公子に守ってもらうばかりで、逃げてばかりで、私も不寛容だったんだ。私は自分の力で大きくなったわけじゃなければ、今だっていろんな人にあまえてる。実はしっかりと恩恵を受けてるくせに、都合の悪いところ、嫌なところ、理解できないところだけにケチをつけて、それ以外を見ずに知らないふりをするのは間違ってた。私がどう向き合っていくかだった。


 私の手に重ねられた由美ちゃんの手が愛おしい。


「由美ちゃん、私って今まで、自分の悲劇を探すのに必死になってて、誰にも自分をわかってもらえるように努力してなかったみたい。努力してもいないくせに、今、自分の思いに応えてくれない人がいるからって――過去に傷ついたことで臆病になって――運命にもてあそばれたみたいな顔をしてたみたい。ただ逃げてただけなの。私って、ほんとに身勝手で嫌な人間みたい」


 懺悔ざんげすると、由美ちゃんは私の手をそっと握ってくれる。


「ハミちゃんは嫌な人間じゃないですよ。私の大切な、大好きな人です。私の恋人だもん。そんなこと言わないで。私はそんなハミちゃんが大好き。ずっと一緒にいたいよ」


 顔をあげて由美ちゃんを見ると、記憶の中のおばあちゃんと同じ、とっても優しい目をしてくれていた。私は子供になってしまった。


「ねえ由美ちゃん、もっと私の側に来てよ。ずっと私の側にいてよ。近くに来て。そして私の手をもっと、ぎゅっと、ぎゅっと握ってほしい。おねがい」

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