第19話

 二人で美味しい晩御飯を食べ終わると、私は由美ちゃんに連れられて、勝鬨橋までやって来た。これは月島と築地をつなぐ昇降式の橋で、ドラマや映画でしょっちゅう見るところだけど、実際に来るのは初めてだ。オシャレな雰囲気と開放感のあるところで、ここから見る景色はまさに東京といった感じがする。月島側の岸のフェンスに身体を預けて、水面に光をさす対岸の東京タワーやビルの光を見て、東京の夜景って綺麗なんだなと、改めてそう思わされる。


「実際に自分の目で見ると、ずいぶんしっかりした橋なんだね。それにここから見える東京はすごいよ。こっちに来てけっこう経つけど、この街のことを何も知らなかったんだなって思えるくらい」


 右腕に抱きついている由美ちゃんに言った。十一月の風は思ったよりも寒くて、由美ちゃんの体温がありがたい。今年は去年みたいに大雪が降らなければいいなと思う。


「この橋はですね、だいたい四十年前に作られたもので、実現しなかった月島での万博のメインゲートになるはずだったんですよ。お母さんに手を引かれてた時は跳ね上げ式の橋が上がったり下がったりしてたんですが、今はもう動かないですね。残念です」


 冷たい風が吹いて、由美ちゃんが私に身体を寄せる。私は人前ではこういうことをしたくないタイプだと思っていたのだが、そうでもなかったようだ。こうやって寄りそうだけで楽しくて仕方がない。


「由美ちゃんってさ、いつからこっちに住んでるの?」


 さっき江戸っ子ではないと言っていたことが気になって聞いてみた。


「三歳くらいからですね。お父さんの仕事の関係で引っ越してきました。だけど私が六歳の時にお母さんが死んじゃって、おばあちゃんのところにお世話になってたりもしてたから――だいたい十年くらいですね、こっちにいるのは」


 私は驚いた。天真爛漫てんしんらんまんな由美ちゃんに、そういう暗い過去があるとは思わなかった。由美ちゃんの横顔に、今まで見えなかったものが見える気がする。


 なんと言っていいのか困っていると、由美ちゃんは私にいつもの笑顔を見せてくれる。


「そんなそんな、シリアスにならないでくださいよ。毎日楽しいですし、今はハミちゃんがいるから全然寂しくないですよ?」


 左手で由美ちゃんの頭を撫でる。由美ちゃんは、私なんかよりも何倍も大人なのかもしれない。いや、間違いなく大人なんだろう。


「寂しくなったらいつでも呼んでね。仕事あっても予定あっても、最優先で迎えに行くから。なんなら夜中に電話してくれてもいいよ」


 そう言うと、由美ちゃんは私に太陽みたいな笑顔を見せてくれる。


「私、今がいちばん幸せです。もうハミちゃんの家に住んじゃおうかな。それともハミちゃんが私のところに来てくれてもいいんですよ? お父さんは部屋にこもってもらいますから」


 上目遣いで見られるとどきどきする。


「じゃあ由美ちゃんは、お父さんと二人で住んでるんだ。というか由美ちゃん、お父さんには私のこと、なんて説明してるの? 私との時間は、お友達との時間ってことになってるの?」


 このタイミングに、今まで気になっていたことを聞いてみると、由美ちゃんはそんなことは当然だと言わんばかりに言った。


「お友達も何も、ちゃんと説明してますよ。映子さんっていう、社会人のお知り合いができたって」そこまで言って、私の顔から視線をそらす。「恥ずかしいから、まだ恋人同士になったとは言ってませんけど」


 由美ちゃんは私の腕に顔をくっつけて、紅潮していることを隠す。


 驚いた。今の由美ちゃんの言い方だと、別に私と付き合っているということは、ひた隠しにしなければいけないことでもないようにも聞こえる。


「変なこと聞くけどさ、由美ちゃんのお父さんは知ってるの? その――」


「何がですか?」


「だからその、由美ちゃんの気持ちというかさ……」


「まだ恋人同士になったとは言ってませんよ?」


「うん。それもそうなんだけど、つまり、私みたいなのが好きってことをお父さんに話してるのかなって」


「女の人が好きだってこと?」


 私は一瞬言葉に詰まる。それから頷く。


「そう。知ってるのかなーっていうか、どう思ってるのかなーっていうか……あまり一般的なことではないでしょ? 私が言うのもなんだけど」


 私からちょっと離れた由美ちゃんは不思議そうにしている。


「もちろん知ってますよ。だってお父さんですもん」


 由美ちゃんはまた私の目をじっと見つめる。


「ハミちゃんは家族に話してないんですか?」


 あっさりとそう言う由美ちゃんに、私は面食らってしまった。


「いや、その、私も話してるよ。高校の時だったんだけど、ちゃんと話したよ。だけどあまり理解はされなかったっていうか……」


 私が言葉を詰まらせていると、由美ちゃんは何を考えているのか、急に正面から抱きついてくる。そして私が驚いて態勢を立て直した時に、私の胸のあたりから顔を見せて言った。


「じゃあ映子さん、今日は私の家に来てください。泊まってください。私のお父さんに、二人でちゃんと、私たちのこと話しましょう。お父さん、喜んでくれると思います」


 ――はい? 由美ちゃん、酔ってる? それって冗談? それとも本気ですかい? 今から由美ちゃんの家に行って、由美ちゃんのお父さんに、私たち、付き合ってます! って高らかに宣言するのかい? 


 私は狼狽ろうばいして由美ちゃんの瞳を訊ね返すように見つめ返したが、由美ちゃんの瞳には、いつかと同じ光がらんらんときらめいていた。

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