第14話
え? どこいった?
いつもの空間が酷く広く感じられた。
部屋にぽつんと一人、私は自分でもびっくりするくらい素早く立ち上がる。残り香はするが、由美ちゃんがいない。
「由美ちゃん……?」
これってまずくない? もしかして酔っ払って出てった? 何かあったらどうしよう。夜道に由美ちゃん一人なんて――
私は青ざめながら部屋を飛び出した。そのまま玄関から出ようとすると――浴室からシャワーを浴びる音が聞こえる。
ものすごい安堵。
なんだ……お風呂入ってたのか……って、風呂入ってんの? 私は浴室のドア越しに言った。
「由美ちゃん、お風呂入ってるの?」
風呂場独特の反響する声が耳に届く。
「はーい。お先にお湯いただいてますよー。大丈夫です、ちゃんと掃除しましたから」
お、ラッキー、掃除しといてくれたんだ。ってそうじゃなかろう。……もういいや、いちいち気にしてたら夜を越せないわ、これ。
「ねえ由美ちゃん、着替えどうすんの?」
「…………はい?」
「私ね、身長百七十あるの。由美ちゃんは?」
「百五十三センチです」
「…………着替えどうしよっか?」
「……はだか?」
私は裸の由美ちゃんを想像してしまった。……身体が熱くなる。ってちょっと!
「て、適当に服とタオル持ってくるから、ドアの前に置いとくね」
私は顔を真っ赤にしながら部屋に戻った。クローゼットを開けて、由美ちゃんでも着れそうな服を探す。まあ、全部着れないことはないのだか、せっかくなので似合うやつを用意してあげたい。実家から、由美ちゃんにベストサイズくらいの服を何着か持って来てあげたい。とはいえそんなこと言っても不可能だし、ここにあるのはサイズが違う。ぶかぶかの服着てる由美ちゃんもエッチだけど……ってさっきから私、危ないな。でもワイシャツ一枚の由美ちゃんが見てみたいかも。
クローゼットから服を引っ張り出していると、思いもよらないものが出てきた。中学一年生の時に着ていた冬用の体操服。胸のところに『浜』と書かれた赤い長袖体操服。私は、なんでこんなものを実家から持って来たんだろうと思いながらも、たぶん由美ちゃんにぴったりサイズだから、申し訳ないけどこれで我慢してもらおうと思った。何も外を歩くわけじゃないんだし、いいよね? それにブルマの由美ちゃんは可愛いだろうし、合宿みたいで変な気も湧かないだろう。
私は体操服上下とバスタオルを用意して、浴室の前に置く。自分も部屋着に着替える。
ふう、今日はいろいろどきどきするな。今、そこに由美ちゃんが裸でいると思うと、下腹部がじんじんする。……自重しろ、私。
数分ほどテレビを観ていると、青春ドラマの放送が終わった。ちゃんと観ていたわけではなかったけれど、それを区切りとばかりにテレビを消す。
私は静かになった部屋で、浴室からシャワーの音だけが聞こえる部屋で考える。
由美ちゃんは友達の家に遊びに来てるんだから、変なことしちゃダメだぞ。公子にも言ったじゃないか、今がいちばん幸せなのに、それを台無しにするようなことはしないって。私は由美ちゃんに嫌われたくない。だけど我慢できるだろうか? だってこの部屋、布団だって一枚しかないんだよ?
冷蔵庫から麦茶を出して、それを一気に飲み干す。頭は冷えない。
そのまま畳の上に腰を下ろして同じ問答を繰り返していると、さっと扉が開いて、体操服姿の由美ちゃんが部屋に入って来た。茹でたてで顔が上気していて、私の心臓の鼓動はさっきよりもさらに早くなる。
「ハミちゃん、これって体操服ですよね?」
由美ちゃんは私の体操服の胸の部分を引っ張って、『浜』と書かれたところをじーっと見ている。私が、さすがに体操服は嫌だったのかなと思って、「嫌だった? ちゃんと洗ってあるからね?」と、消え入りそうな声で言うと、由美ちゃんはにやにやと笑い始める。
「ねえ映子さん?」
急に名前で呼ばれる。
「ん? どうしたの?」
畳の上に膝を三角に立てて、両手を身体の後ろについて座っている私の目線にあわせるように、由美ちゃんは四つん這いになる。そしてそのまま猫みたいに近づいてくる。私の前までやってくると、ちょこんと体育座りをする。
「体育座り」
ニッコリ笑ってそう言った。
このコ、めっちゃ酔ってるな。後から酔いがくるタイプなのかな?
私が困惑するのを楽しむように、由美ちゃんは私の顔を覗き込む。
「ねえ映子さん?」
「はいはい、次はなんですか?」
真面目に取り合っても仕方ないと気づき、子供に対するようにそう言うと、不意に――その場に押し倒される。由美ちゃんは仰向けの私の上に乗って、両手を私の両手と繋ぐ。両手を繋いで私の手をふさぐ。すごく軽い。
引きはがそうと思えば簡単にできるのだが、私は完全に、由美ちゃんに組み敷かれてしまった。私と由美ちゃんの息づかいしか、この部屋に音はない。
……なんだこれ? どういうこと? もしかして……
「体育の体操……ってこと? ちょっと酔いすぎだよ、由美ちゃん」
私の腰の上に乗る、由美ちゃんの太ももの感触がする。由美ちゃんの風呂上がりの熱い体温を感じる。由美ちゃんの甘い匂いがする。由美ちゃんは由美ちゃんらしくない、真剣な顔をしている。私の顔は真っ赤だと思う。
「ちょっと由美ちゃ」
「映子さんは」
私の言葉は遮られる。
「映子さんは、男女の友情は存在すると思いますか?」
…………? 由美ちゃんは何が言いたいんだろう?
この状況で由美ちゃんが何を言っているのかわからなくて、あやすようにこう言う。
「あはは、それは哲学といっしょじゃないかな、答えは出ないよ。それよりちょっと、この体勢は恥ずかしいかも。重くはないけど恥ずかしいよ」
私が笑い流すようにそう言っても、由美ちゃんは表情を変えない。表情を変えずに言葉を続ける。
「私は知ってるんです。それは存在するんですよ。だって私は、男の子には友情以上のものを感じたことがないんです」
「そっか、それより……」
……え? このコ、今なんて言った? 男の子には友情以上のものを感じたことがない? それって……
「由美ちゃん、それって――」
「映子さんは、私のことが嫌いですか?」
――これはそういうことなのか? それとも、酔っているだけ?
「嫌いじゃないに決まってるよ。由美ちゃんのこと、好きだよ」
私は緊張しながら探るようにそう言った。すると由美ちゃんは
「ひゃっ! ちょっと……!」
由美ちゃんの手が、私の服の中に入っていた。柔らかい手が私のお腹に触れる。私の心臓がばくばくする。由美ちゃんのシャンプーの匂いがする。柔らかく温かい身体が、私の身体に触れる。由美ちゃんの綺麗で長い髪の毛が、私の鼻の近くに来る。いい匂いがする。
――間違いない。これはそういうことなんだ。私はこの時をずっと待ってきた。だけどいざ
「ちょっと由美ちゃん、冗談が行き過ぎてる! 由美ちゃん、酔っておかしくなってる! ちょっと離れて。私たち女同士なんだよ?」
私はそう言い終えてから、自分の臆病さを呪った。どうしてこんなに度胸がないのだろう。いちばん幸せな時に、どうしてこんなに不安になるんだろう。どうでもいいあれこれを考えて、目の前の由美ちゃんを素直に受け入れられない。
「酔ってないもん」
由美ちゃんは急にしゅんとして、私に泣きそうな顔を見せる。
私はそんな由美ちゃんの顔を見て、自分がしてしまったことの罪深さを知った。私と同じ思いを持っている由美ちゃんが、私に拒絶されるということ。それがどれほど由美ちゃんを傷付けるのか、私は知っている。あの夏だ。私の臆病さが、意気地のなさが、由美ちゃんを悲しませてしまったのだ。
私は何を怯えているんだ。私は何を恐れているんだ。私たちは女同士? 馬鹿みたい。私がいちばん憎んでいる人たちと同じようなことを、私自身が口にしてしまったなんて、吐き気がする。
震える手で由美ちゃんの体操服の
長いような時が経ってから、私はやっと由美ちゃんを解放した。急いで息をする。自分がしたことを考えて、恥ずかしくて顔を見ることができない。
「私の気持ちはわかってくれた? ごめんね由美ちゃん、どうしてかうまく伝えられないんだけど、こうするのが怖かったんだ。由美ちゃんが大好きなのに、受け入れることが怖かったんだ。だけどそれは由美ちゃんもなんだよね。なのに私――ううん、ありがとう。由美ちゃん、私、由美ちゃんがほんとに大好きだよ」
恥ずかしさから由美ちゃんの顔を見れずにそう言うと、由美ちゃんは私の胸に顔をうずめる。照れ隠しだろうか、顔が赤いように見えた。
「私も映子さんが好きです。初めて会った時から好きです。大好きです」
恥ずかしさが限界を迎えて、そっと由美ちゃんの肩を押す。私の胸から顔が離れて、互いの赤い顔を認め合って、もっと恥ずかしくなって視線をそらす。
落ち着け私! 落ち着け!
「由美ちゃん、私もお風呂入ってくる。さすがに身体洗わないとムードがないよ。続きはそれからね?」
なんとかそう言うと、由美ちゃんは私の頬にキスをする。私の顔がほてる。
「心と身体の準備ができたら来てください。あまり待たせると覗いちゃいますからね?」
私は着替えとタオルを手に、由美ちゃんのおでこをつんと突いてから、部屋を後にした。
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