第12話

「はい、到着。ようこそわがへ」


 酔っぱらってふらふらしている由美ちゃんの手を引いて、私のアパートの部屋のドアを開けた。電気をつける。


 目の前に広がるのは、毎日見ているワンルームアパート。私以外の人間が脚を踏み入れることは皆無に等しい。玄関から正面に短い廊下――そこに繋がる畳の部屋――右手にトイレと浴室の、簡素なところだ。さっきまでのダイニングバーとの違いが悔しい。


「おおーっ、ここがハミちゃんの城ですか」


 由美ちゃんはずっとしがみついていた私の腕から離れて、さっと玄関を上がる。さっきまでは困ってたけど、今は家の中だし、くっついてくれていいのに。私は寂しくなる。窮屈きゅうくつさが恋しい。


 由美ちゃんは胸を張って深く息を吸う。


「うーん、ハミちゃんの匂いがいっぱいですね」


 うそ? 私ってそんなに匂うかな?


 自分の腕とかの匂いを嗅いでいると、背中をバシバシ叩かれた。気づかないうちに、由美ちゃんがとなりにいる。めっちゃ必死になって匂い嗅いてたんだな、私。


「嫌だなー。いい匂いだってことですよ?」


 由美ちゃんはそう言って、私をまるで自分の部屋に引っ張るかのように、腕をとって引きずっていく。うーん、この絵に描いたような酔っ払い……。私は急いで玄関ドアを施錠せじょうして、つま先だけで靴を脱いで、奥の部屋へと引きずり込まれる。電気をつけて、廊下へ続くドアを閉めて――


「ハミちゃんはここで毎日生活してるんですね」


 由美ちゃんは、冬にはこたつになるちゃぶ台について、部屋中を見回してそう言った。


 ああ、昨日、掃除しておいてよかった。ここで暮らすようになってから五年くらいだろうか――テレビと本棚くらいしかないから、かえってなかなか掃除する気にならないからな。


「どう? 私の部屋は堪能たんのうできた? じゃ、お茶入れてあげる。今日はもう遅いから、それ飲んだら帰りなよ」


 由美ちゃんに背を向けて、部屋にある冷蔵庫から麦茶を出す。もう少し気の利いた飲み物があればよかったのだけど、ここにはビールとお茶しかない。コップを用意して――


「ハミちゃん、私、炭酸がいい。麦味のやつ」


 由美ちゃんは目ざとくも、冷蔵庫のなかを見ていたようだ。私は振り返らずに言う。


「ダメだよ由美ちゃん。もうこれ以上飲んだら帰れなくなるから。酔ってるでしょ?」


「酔ってないです。それに大丈夫ですよ、今日は泊まっていきますから」


 当たり前のようにそう言われて、私はコップを落としそうになる。由美ちゃん、泊まっていくって、それは――それは――嬉しいけど……いけないよ? だって私はね……?


「こらこら、そんなに簡単に人の家に泊まっちゃだめだよ」


 私はコップを直してゆっくり振り返った。由美ちゃんが真後ろにいた。


「きゃっ……!」


 びっくりして、自分でも聞いたことのない声を出してしまう。お互いの体温を感じるくらいに近い。


 由美ちゃんは低い位置で私の両手を握って、私を上目遣いでじっと見つめながら言った。


「私が泊まったら嫌ですか?」


 ちょっと顔を赤くして、上目遣いでそう言う由美ちゃんは、すごく色っぽい。由美ちゃんじゃないみたい。私はかなり動揺してしまって、うわずるばかりで何も言えない。「あわわ」って、本当に人間が発する言葉なんだなと、こんな時なのにそう思う。


 やばい、やばい、やばい! これはだって、由美ちゃんは大学生で……


 そのまま由美ちゃんがまっすぐ私の目を捉えて離さないので、私は息を飲んで、意を決してこう言った。


「……ううん、嫌じゃない」


 私は今、どんな顔をしているんだろう? これってつまりそういうことだよね? それとも悪酔いしてるだけ?


 三つ年下の女の子に握られている両手がじんじんする。私も由美ちゃんの手をそっと握り返した。柔らかい。温かい。もう何も考えられない。


 由美ちゃんは、そのまま正面、こつんと私の身体におでこをつける。私の胸に、頭がのる形になる。シャンプーの匂いがする。


 私の心臓の鼓動は今、由美ちゃんに聞こえているだろうか?


「由美ちゃん、私――」


 言葉を続けようとすると、由美ちゃんはぱっと身体を離して、いつもの笑顔を見せた。


 ――え? それはなくない? ……いや、今のはただの悪酔いによるスキンシップなのか? そうだ、私は由美ちゃんのお友達。変な気を起こしちゃダメなんだ。まったく、人の気も知らないで……。


 さっきの色っぽい雰囲気が抜けた由美ちゃんは、私の部屋を見渡しながら言った。


「ちょっと待ってください。その前に家に電話します」


 そっかそっか、危ない危ない。少女誘拐の現行犯になるところだった。――でも、もうちょっとだったのにな……って、そういうことじゃないのかな?


「この電話使って。いまだにダイヤル式だけど」


 私は興奮した頭を覚ますように、由美ちゃんから目をそらして電話を差し出す。落ち着くために深呼吸をする。だけど由美ちゃんの甘い匂いがして、かえってどきっとしてしまった。

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