第4話

「なんだか長い間ご一緒してもらっちゃって、どうもありがとうございました」


 二人で駅までやって来た。バス停の屋根が日光を遮ってくれる。由美ちゃんが頭を下げようとするのを、私は笑って手で制した。


「気にしないで、困ったときはお互い様だから」


 本当に、こっちが感謝したいくらい由美ちゃんと過ごす時間は楽しかった。ここ数年は何なんだったんだろう。この一時間の思い出だけで、十年は満たされる気がする。


「バイクなくなっちゃったけど、由美ちゃん、どうやって帰るつもり?」


 故障したバイクは、やっぱりエンジンが焼き付いてしまっていたみたいで、経年劣化を考えると修理するより買い換えたほうがいいとのことだった。由美ちゃんはそれを聞いてちょっと泣きそうになっていたけれど、いかにも優しそうなバイク屋の店員さんはいろいろしっかり教えてくれて、だから結局由美ちゃんは、相棒への未練を断ち切ることができたようだ。買い取り価格千円で廃車にしてもらい、私は由美ちゃんと出会ったばかりの時に、由美ちゃんとその相棒の別れを見届けることとなった。


「バスで帰ります。うち、バス停からすぐなんです。ちょうどお金も手に入りましたし」


 やっぱりだからここへ来たのか、と、私は思った。何かしてあげたいけれど、こうなっては、ここで私がバス代を出すというのも変な気がする。


「バイク残念だったね。もう大丈夫? 送っていこうか?」


 言い終えてから嫌なことを聞いたかなと――はっとすると、由美ちゃんは寂しそうに、だけどすぐに笑顔を見せた。


「大丈夫です。実はさっきちょっと泣きそうになっちゃいました。一緒にいろんなところに行きましたから。でもですね、いつかは壊れちゃうわけですから、仕方ないんです。それに、思い出はいつまでも残ります。今までありがとうって感じです。」


 形あるものはいつか壊れるんだよって、昔、実家の花瓶を割っちゃった時におばあちゃんが優しく言ってくれたことを思い出す。


「そっか。じゃあ次のバイクはちゃんとオイルを交換してあげてね」


 私が由美ちゃんの明るい顔を取り戻すべくおどけて言うと、由美ちゃんは「知らなかったんですよ!」と元気に抗議した。最高に可愛くて、私はふっと、妙に冷静になってしまったほどだった。


 しばらくしてバス停に人が集まりだすと、私は由美ちゃんの連絡先を訊ねようかと考え、それをやめる。だって私は別に何者でもない。その事実が浮かれた私の頭を冷やし、ぐっと、寂しさを生む。視界の端にバスを捉えて、私の中の寂しさが大きくなるのがわかって私は右手をさっと挙げた。


「じゃあね神宮寺さん、気を付けて」


 手のひらをひらひら振るのが、私の精一杯。願わくば、私のことを少しでも覚えていてほしい。


 少しでもその姿を見ていたい――バスの窓の中、小さくなっていく由美ちゃんに手を振りたいと思うのに、そんなのおかしいという常識的な何かに囚われて、ドライなでさっと別れる自分に嫌気がさす。自分の気持ちに従いたい。それができなくてを垂れながら十メートルほど歩くと、後ろから声がきこえた。


 振り返ると、バス停に集まった人たちの中で由美ちゃんが、バイクを売ったために持て余していたヘルメットを高く上げて、私に手を振っている。


「映子さん、私、来週も同じ時間にあの神社にいますから! バイクなくなっちゃったけどなんとかして行きますから! よかったらまた、カブトムシについて教えてください! 約束してないけど勝手に待ってますから!」


 それは、カブトムシ博士になりたいくらい嬉しい言葉だった。修学旅行生のような由美ちゃんの元気が作用して、私をずっと幸せにしてくれる。由美ちゃんは、本当にびっくりするくらい人懐っこいコだ。


 私はバカなくらい、本当に大馬鹿なくらい白い歯を見せて笑って、人目なんか気にならず大きな声で――


「ありがとう。必ず会いに行くから」


 と、この私が言ってしまった。

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