第3話

 田園風景はすぐに消え、私は可愛い由美ちゃんと東京らしくない住宅地で並んでいる。私の故郷にだってこれくらいの住宅地は少なくない。東京は田舎だ――なんて言う人もいるけれど、限定的にはそれも間違っていない。バイクを押すのは大変そうだと思ったけれど、意外に由美ちゃんは力持ちなのか、私にまったく後れを取ることはない。私は歩くのが早い人間だったから、相手に合わせてゆっくり歩かなくていいことを新鮮に思う。こうして私の隣で、私よりも低い頭の位置で、きれいな髪の毛をひらひらさせながら歩く由美ちゃんを見つめていると、私はこれを何十年も待っていた気がした。


「神宮寺さんは高校生? どうして神社に来たの? 答えたくなかったら答えなくていいけど」


 初対面の人に、興味があるふりをするためじゃなくて、本気で興味を持って質問するのはいつぶりだろう。ああいうのは五分続けばいい方だが、今は一時間くらい質問できる気がする。こんなの、もしかしたら十年ぶりくらいかもしれない。


「やっぱりそう見えますか? やっぱりだ」


 由美ちゃんは嬉しそうにうんうんと頷いた。


「よく高校生と間違われるんですけど、私は大学三年生です。飲み会行っても免許を見せなくちゃいけなくて、ちょっと困ってるんですよ。――でも若く見られるのって嬉しいものです。ここに来たのはカブトムシを探すためなんです」


 またもや予想外のワード。


「カブトムシ?」私は目を見開いていた。「カブトムシって、あのカブトムシ?」


「はい、あのカブトムシです」


 由美ちゃんは右手でチャーチルのようにピースサインを作った。意味は分かるが、それはどちらかというとクワガタっぽい。


「十歳年下の従弟がいて、その子が虫が大好きだから、ちょっと探しに来てたんです。昔あそこの木の下でカブトムシが落っこちてバタバタしてるのを見たことがあります」


「ふーん、そんなに離れてたらすごく可愛いだろうね。いいなあ、私も可愛い従弟が欲しいなあ」


 本当は由美ちゃんが欲しい。


「いいでしょう? 私、アルバイトしたお金でいつもプレゼント買っちゃうんです。そうそう、もうすぐお盆に会うから、またプレゼントあげちゃいます。カブトムシもあげられたらなって思っちゃいました」


 打算なしに人にものをあげられる人はいい人だと思う。笑顔がまぶしい。


「カブトムシはね、夜行性だから昼間にはめったにいないんだよ」


 私がそう言うと由美ちゃんは「そうなんですか!」と、衝撃の事実を知ったかのように驚いてみせた。いちいち面白いな、このコは。


「へー、お姉さんは物知りなんですね。勉強になります。じゃあ、今度は夜に来ないとですね」


 ふと――ふらっと軽装で、たった一人で夜道を歩く由美ちゃんが脳裏に浮かんで、私は反射的に口を開いていた。


「若いコが夜中に、それも人通りの少ない神社になんか行っちゃダメ!」


 おっきな声。――ぽかん――となる空気と由美ちゃん。言葉が、なかなか空気に溶けてくれない。しまった。なんだかよくわからないけど、よくわからないことをしてしまった。


「あ、ごめんね、急に……」


 私はそう言って頭を掻く。なんだか具合が悪くて仕方ない。


 由美ちゃんは目をぱちくりさせて、私の顔をじっと見つめる。


「いえ、びっくりしたけど嬉しかったです。さっきまでのちょっとクールで他人じゃないお姉さんが見れました。なんだかほんとに私のお姉さんみたい」


 そう言って笑った。最高だ。由美ちゃんが天使様に見えた。

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