第2話
測っていたわけじゃないけれど、動悸が収まるまで十分くらい目を閉じていた私は、今ようやく賽銭箱から百八十度身体を回転、真後ろに身体を向けてみた。かわいいあのコはいなくなっていた。
私はがっかりしたと同時に、だけどしっかり十分お祈りしているところを見られなくてよかったと、もう二度と会うこともないだろうにそう思った。私だったら神社で何かを念じている人には近づきたくない。
苦笑しながら、あのコが立っていたところに立ってみた。可愛いコだった。私好みのかわいいコだった。こんな気持になるのは高校以来で、私もやっぱり女なんだな――いや、私の場合、女は関係ないか――なんて、くだらないことを考えて、私はやっぱり笑った。
一人きりで笑うのは好きじゃなかった。独り言は「よっこいしょ」だって好きじゃなかった。でもそんな私が今は笑えてしまって
「可愛いコだったね」
なんて言ってるんだからおかしい。今日の私はどうやらおかしい。神社なんていういつもじゃないところにいるからだろうか。ここ数年感じていなかった、懐かしさのある高揚が私の頭めがけてつま先から昇っている。今日は良い日になった――と、私は思った。
しかし、石畳の地面をスタンスミスで歩いて鳥居をくぐり、石の階段を降りる――降りようとすると、なんとびっくり、可愛いあのコがそこにいる。
まだ帰ってなかったんだ――と、思って、私は止まった脚を前へと進めた。
直前、その不在にがっくりしたくせに、いるならいるで緊張してしまう。どうしちゃったんだろう。意識しないように意識しながら、階段を一歩一歩踏みしめる。
彼女はピンクのポロシャツ、大きなベルトを通した青いジーンズ、星のマークの入ったハイカットスニーカーの姿で、ハンドルバーに
「
唐突に耳に届く柔らかい声。自分の瞳が大きくなる。バイクにまたがる彼女は、こちらへまっすぐ小さな顔を向けていた。
どきっとした。振り返った。誰もいなかった。このコは私に話しかけているんだ。なんてことだ。お湯のような風が温度を失う。
それにしても、自己紹介と現在の状況説明を、なかなか見られない早さで済ませたものだ。鮮やかに予想を裏切る発言をしてくれて二重にびっくりする。だけど、本題に入るまでに長い前置きを必要とする普段のそれとの違いが嬉しくて、「どうしましょう?」と問いかけるような大きな目が可愛くて、ようやく落ち着いた私は、その可愛いぱっつんの女の子を助けてあげることにした。助けを求めるのが可愛い女の子で、自分の好みのタイプだったなら、誰がそれを面倒に思うだろう。絶対に思わないはずだ。
「エンジンかからないの?」
彼女の横に立ってみる。至近距離で可愛い横顔を盗み見る。全てが曲線で構成されているんじゃないかという顔に、またどきっとする。
「はい。急にエンジンがかからなくなっちゃって、ペダルも動かないんですよ。困りました」
困りました、か。そりゃ困るだろう。典型的な焼き付きの症状だな、これ。それにしてもこのコはいくつなんだろう? 高校生? 単車乗ってるなんて、意外にやんちゃなんだろうか? だけどヘルメット持ってるしやんちゃではないか。
笑ってしまうくらい興味が尽きない。
「オイル交換はしてる? してなかったなら、残念だけどエンジンが焼きついちゃったんだね。修理が必要だよ、これ」
私がそう言うと、由美ちゃん――一方的な好意からそう呼ばせてもらおう――由美ちゃんはまた、ぷくっとほっぺたを膨らませた。可愛い。
「オイル交換? それしてないから、自業自得ですね……」由美ちゃんはそう言って、すがるように私の顔を見上げる。「お姉さん、お姉さんは修理とかできないですか?」
お姉さんって呼ばれることも予想外のことで、修理を頼まれることも予想外のことで、私は由美ちゃんに夢中になってしまった。世の中には予想できる、口にしなくてもいいような会話や社交辞令が多すぎる。それに比べて由美ちゃんの言葉は、なんと切れ味を感じるんだろう。ほんとに全てが新鮮で、要らない前置きがなくて、平気で心にもないことを言っている、普段の自分のくだらなさを痛感する。
「お姉さんって、私のこと?」自分を指さして言った。「修理はちょっとできないかな。だって工具も何もないよ」
由美ちゃんは「あ、そっか」と誰に言うでもなく、だけど私のほうを向いて言った。「すいません、動揺してて初対面のお姉さんに変なこと聞いちゃいました」言い終えて、また何かに気がついたようにはっと眉を上げる。「あ、名前がわからなかったので、お姉さんって呼ばせていただきました。血の繋がり的な意味じゃなくてですよ?」
私はぷっと噴き出してしまう。かつてこれほど、思ったことをそのまま口にする人がいただろうか。由美ちゃんはいい正直さを持っている。一を言う前に十を計算する私とはえらい違いだ。
「私の名前は浜――
由美ちゃんにならって、私も要らない前置きを省略した。
由美ちゃんは顔をぱっと明るくした。
「知らないです。お願いします!」
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