29.家に錠前を掛けられる。そして母を支えた存在。

 この頃、私はたびたび家からふらふら出ていって、徘徊じみた事をしてしまう事があった。散歩ではない。意識がほぼ吹っ飛んでいる状態でのだ。


 両親は、急に家から出て行ってしまう私に対して危機感を覚えた。そして驚くべき行動に出た。


 なんと、家に錠前を掛けて私を家から出られなくしたのだ。


 そして、私はいつも両親のどちらかと一緒に行動した。どこに行くにも絶対に一人では行かせてもらえない状態だった。ある意味軟禁だった。


 しかし、それは仕方のない事だ。訳の分からない事を叫び、暴力を振るい、朦朧とした状態で徘徊してしまう娘をどうすればいいのか、両親はどうする事も出来なかったのだろう。「ならば閉じ込めておこう」と考えるのも仕方のない事だと思う。私がもし両親の立場だったら、病院か施設に預けてしまっていたかもしれない。


 母は、長年ファミレスのキッチンで働いていたが、私が一人で留守番も出来ない状態になり、欠勤が増え、そして仕事を辞めた。その後少しだけヘルパーの仕事もしたが、やはり私が一人で居られなくて退職した。


 私は母の自由を完全に奪っていた。母の生活は私を世話する事一色になっていた。


 母の心の支えは、私が小学生・姉兄が中学生の頃に入信した新興宗教だった。私はきょうだいの中で唯一この宗教に連れていかれていた人間だった(今はもう籍も抜いてもらっているので私は信者ではない)。


 この教団は、カルト集団ではない、静かでお金もかからない宗教だったので、父も姉兄も母の宗教は黙認していた。


 母がこの宗教に入ったきっかけは、三人の子供が抱えた問題からだった。

 姉は中学生の頃から非行に走っていた。兄はいじめに遭っていた。そして私は幼稚園~小学校一年まで学校に連れて行くまでが大変な不登校気質の子供だった(皆勤賞なんですけどね)。


 母は、ママ友に誘われてこの宗教を始めた。今でもその宗教の信者だ。私が病気になってからも母は時折お参りに行っていた。私を一人には出来ないから私を連れて行って外で待たせることもあった。母の救いは神様だった。母は祈る事で己をなんとか保っていた。


 母はいつも私にこう言っていた。

「医療は進歩してるから、いつか無雲の病気も治るよ」


 母がポジティブなのは性格もあるだろうが、母の心を支える神様の存在も大きかったのではないかと思う。


 私は常々こう考えている。

「神様は自分の中にいる。自分との対話こそ神への祈りなのだ」


 私は宗教に明るくない。勝手にこう考えているだけだ。ただ、当時母にすがるべき神様がいなかったら、と考えると恐ろしくなる。頼るべき存在があやふやだった当時、母が絶望する事はイコール私の人生も終わる事を意味する。母に神様がいてくれて良かった、と思う。


 私は私の信念において特定の宗教には属さない。神様への考え方は人それぞれだ。教えてもらうものでも本を読めばわかるものでもない。自分で考えてこそなんぼだ。


 あ、母の名誉のために書いておきますが、母は宗教には属していますが、勧誘の類は一切しない人です。母は誰かと一緒にそこでお祈りをしたいわけではなく、そこでです。


 次回は、カウンセリング・アゲインの回です。無雲、A病院での失敗に懲りてませんでした。


  



 

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