40.失ったもの⑤就労の機会⑥運転免許証

 幼少期から、自分が会社員になるというビジョンが見えなかった私は、高校生の時に音楽の道で生きていこうと決めた。専門学校生活は夢と希望に溢れ、同じ夢を持つ仲間に囲まれてとても楽しい時間だった。


 しかし、卒業直前に精神科送りになり、そのまままともな職歴も音楽歴も作れないままに歳を重ねた。そして、復活したのが三十四歳のお誕生日を迎えた直後だ。


 多剤大量処方で頭が働いてなかった間も、私にはずっとやりたい事があった。それは『仕事』だ。自分の力で稼いで、そのお金で生活してみたかった。自分の医療費くらい、自分で払いたかった。


 しかし現実は、『社会が怖い』という思いが強く実行には移せなかった。そして、求人広告は私を責め立てている、とも感じていた。


 私は専門学校生時代に、資格もたくさん取っていた。資格が欲しかったわけではなく、そのプロセスとして勉強したことによるが欲しかったからだ。


 そうして私は電気関連や音響関連の資格を色々保有したが、それらを活かす事は無く若い時代を過ごしてしまった。


 勉強になるから・便利そうだからと取った資格の中には、皆さんおなじみの『運転免許証』もあった。私は車好きではないのだが、「運転できた方が便利そう」という一念で取得した。もちろん、同級生と先生方にそそのかされたから、というのも大きい。


 専門学校に近い教習所に通って取得した免許証は、その土地柄(都内の一等地)のせいでえらくお金が掛かった。それがあったからではないが、免許証を取得したころ、私は面白がって車を乗り回していた。それが十代の頃。


 発病してからは、運転免許証はただのIDカードと化した。いつも安定剤を飲んでぼーっとしていたから、運転させるのは危ないと両親が判断したからだ。でも、いつか役に立つだろうと思って更新だけはしていた。


 そして三十歳になったばかりの頃、法律が変わった関係で、免許証に関して『主治医の診断書』を出すように求められた。なので、私はその時の主治医Y院長に頼んで診断書を書いてもらい、それを提出した。


 その結果、私の免許証は、という結果が出た。免許センターの人が親切で、「はく奪だと手続きが大変なので、自主返納してはいかがですか?」と提案してくれた。そうして、私は三十歳そこそこで免許証を自主返納する羽目になった。


 私の頭がはっきりした時、母は「あんたの免許証!!」と、まずその事を声を大にして叫んでいた。それくらい、免許証を失ったのは無雲家にとっては悔しい出来事だった。


 よって、現在(令和三年五月)、私の主な移動手段は電動自転車だ。実家の周りは険しい坂道が多いので、電動じゃないとかなり苦しいからだ。そして、私が免許を返納した時に母も免許証を返納し(母は運転歴一回の超絶ペーパードライバー)、そして父も数年前免許証を返納したので、今となっては運転できるのはおいたんだけだ。


 両親や義母が年老いてきた今、私に免許証があったらどんなに便利だったろうか、と思う。通院や買い物の送迎が出来るだけでも親達の負担は全然違うのだ。


 色々な過去を許容して噛み砕いてきたつもりの私だが、免許の件だけは解せないのだ。もしも今免許証を保有していたなら、ペーパードライバー講習に通って、中古で車を買って、便利に生活してたんだろうなぁとか思う。そして、それはそれは診断書を書いたY院長に腹が立ってくるのだ。


 なので、私の中には妙な偏見がある。それは、「免許証を取り上げられてない人はまだまだ大丈夫」というものだ。これは完全に免許証を持っている精神障害者に対する嫉妬だ。これ、ほぼ私の持ちネタとして機能しているので、あまり深刻に考え込まないで欲しいです。

 私は本当は自分で分かってるんです。不注意かつパニックに陥りやすい特性がある以上、運転は危険だという事を。


 次回は失ったものシリーズ最後です。軽いノリで体型について書こうと思います(笑)。本日もありがとうございました!

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