36.飲んでも地獄、飲まなくても地獄
お薬大改革+持効性注射剤のおかげで、クリアな頭を取り戻した私だったが、新たな地獄のような苦しみはすぐに訪れた。それは、薬を大量に抜いたことによる、離脱症状だ。
私は十四年間に渡って、ベンゾジアゼピン系やバルビツール酸系という依存性がある薬を飲まされていた。それらの薬は、服用を止めるととてつもない離脱症状を伴う場合が多い。
私の場合もそうだった。発汗・不安感・足のむずむず・手の震え、それに痙攣が加わった。それまでに飲んでいた薬の蓄積からの痙攣を起こしてM先生のお世話になった私なのだが、離脱症状もまた痙攣だった。その痙攣を止めるにも、ある薬剤の静脈注射が必要だった。M先生が病院に居る日はスムーズに注射で痙攣を止めてもらえるが、代診の先生の時はこちらの訴えが伝わるのが難しい時もあった。
痙攣は頻繁に起き、食欲も無くなり、私は一週間で七キロも体重を落とした。
離脱症状は思った以上に苦しかった。この段階で、離脱症状に耐えられず元の薬に戻る人も多いと聞いた。
しかし、私は何としてでも元の状態には戻りたくなかった。頭がはっきりしたその日から、私は二度と元の状態になるものか、と心に決めて離脱症状と戦うつもりだった。
元の薬を飲めば廃人人生という生き地獄。
今の治療法なら離脱症状は地獄だけど元の私を取り戻せる。人生を取り戻せる。
ならば、私は離脱症状の地獄の方を選ぼうと思う。今まで失くしてきた人生を、今から取り戻すのも悪くない。いや、むしろそうしたい。生きていたい。自分の人生を謳歌したい。
私は毎日家でひたすら痙攣に耐え、時にはB病院に担ぎ込まれ、母はそんな私を懸命に世話し続けた。しかし、ある日母は「もう限界だ」と思ったらしい。
ある日、B病院に担ぎ込まれた時、母は代診の先生にこう頼んだ。
「離脱症状の間、この子を入院させて下さい」
M先生は、絶対的な入院反対派の医者だ。だから、M先生は私を自宅で何とかさせるつもりだった。しかし、毎日のように痙攣を起こし、足のむずむずでわーわー喚き、食事もまともに取れない私の世話は想像以上に過酷なものだったらしい。
私もぎりぎりのメンタルだったが、母もぎりぎりのメンタルだった。
だから、私は母の望み通りに入院した。入院は二桁回数していたので、慣れたものだったが、これが最後の入院になると何となく分かっていた。
次回は、最後の入院生活についてです!
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