25.この頃の暴力行為について
お酒に溺れ、多剤大量処方で思考能力も理性も奪われていた私は、この頃家で酷い暴力行為をしていた。
得体の知れない不安や怒りを、感情のままに表現しては奇声を上げたりモノを壊したりしていた。母が発したちょっとした言葉に激高してはモノを破壊した。箪笥・ドア・壁・扇風機・ガラス窓・その他小物を沢山。
モノを壊したらどうなるかとかも考えなかった。ただ、ひたすら破壊した。時には墨汁を家中に巻き散らかした。今となってはその行為の意味すら分からない。
そして母にも手を上げた。あんなに私を守ってくれた母に手を上げていたのだ。私は当時の私を許せない。
これは書くべきか迷ったが、ここまで書いたのだからいっそ書いてしまえと思うから書く。
母と口論したある日、私は母の首を絞めた。
そこに殺意は無かったのだと思うが、母と喧嘩してカッとして首を絞めるという愚行に走ったのだ。途中で力を緩めたから母は今も元気に生きているが、もしもあの時力を緩めなかったらと思うと本当に怖い。
その時両親が私を警察に突き出さなかったのは、とにかく両親が私を守りたかったからなのだと思う。両親の愛情は、私の想像を超えた凄いものなんだと思う。
もちろんながら、当時母は苦しかった。苦しくて眠れなかった。心労で眠れなかっただけではなく、昼夜を問わず暴れる私の相手をしていたから眠れなかった。だから、母も酒を飲んだ。焼酎をコップに並々と次いで一気飲みしていたそうだ。気絶するように眠るための酒だった。
今現在(令和三年四月)、私は暴れる事は全く無くなった。たまに感情が暴走して強い言葉を発したり泣いたりする事はあるが、両親にも夫(おいたん)にも手を上げる事は無い。そして、自分の働いたお金で家をリフォームして、壊した箇所を直す事もできた。
しかし、私の贖罪はこんな事では済まされない。
私は、これからの人生で出来る限りの最大限の親孝行をしていかなければならないし、今度は私が愛をもっておいたんを支えていかなければならない。
いくら多剤大量処方で頭が働いていなかったとはいえ、母の首を絞めたという事実は許されることではない。私は、母の心に消えない傷を付けたのだ。
だから、母がこれからの人生で少しでも多く笑顔になれるように、私はひたすら努力するのだ。
こんな娘を守り続けた母の愛の大きさを分かっただけでも、回復して良かったと思う。
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