24.無雲、お酒に溺れる
K君と別れる前から、私はしばしば大量にお酒を飲んでいた。というか、当時の私はお酒に溺れていたと言っていい。大量の薬を飲みながらの大量飲酒は自殺行為と言って良かった。しかし、Y院長は「お薬との間隔を二時間空ければ飲んでいいですよ」という謎ルールを私に課していた。
だから、私は夕方の早い時間から大量にお酒を飲んだ。
お酒を飲んで気絶するように十九時には寝ていた。そして起床するのは翌日十時だった。
それは楽しいお酒でも美味しいお酒でも何でもなかった。ただ、感覚をより麻痺させてちょっとでも楽になりたいが為のお酒だった。
両親は私がアルコール依存症になったと思っていたらしい。しかし、飲酒を止めると私が怒るから、強くは止められなかったらしい。
美味しくも無い、ただ酔っぱらうためだけのお酒は、壊れた私の脳をもっと壊れさせた。当時の私に正気でいた時間は無い。薬で朦朧としているかお酒で麻痺しているかどちらかだった。
お酒を飲まないのは入院している時期だけだった。入院仲間の中には、入院中でも外で飲酒して病院に戻って来る者もいた。Y院長は飲酒を止めない。というか、私の知るY院長の患者は往々にしてお酒と薬に溺れていた。それでもY院長は絶大な支持を集めていた。
私も、私の周りの人間も、ただその一瞬が楽になれば良かったのだろう。それは何も生み出さない、ただ空虚な行動だ。むしろ身体はどんどん悲鳴を上げていく。
本当にいい医者なら、その一瞬を楽にするだけの処方はしないはずだ。社会に適応するための補助としての処方をする医者こそ本当にいい医者だ。
しかし当時の私達はそれに気付ける思考能力も無かった。多剤大量処方とお酒は私達の脳みそを完全崩壊させていた。
私も周囲の人間も甘ったれだった。
みんな現状に甘んじて世の中を見ようともしない甘ったれだった。
甘ったれた心は、
そんな娘を守り続けた両親の心痛は計り知れないものだろう。壊れた娘でも両親、特に母は守ろうとしたし実際守ってくれた。当時の私には守ってもらうべき価値など無かったろうと思う。しかし母はよく言うのだ。「自分が産んだ子供だから守るしかないのよ」と。そして父もこんな事を言っていた。「製造責任があるので」
ちょっと面白いですね、父(笑)。
ちょっとだけ、ほーんのちょっとだけ和んだところで今日はおしまいです。
次回は重苦しさMAXを迎えます。私の『暴力行為』についてです。
さぁ! 煎餅とアイス用意して!!(笑)
ほんと、こんなに重苦しいのいつも読んで下さってありがとうございます。もうちょっとで【回復編】に突入しますので~!!
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