26.完全に廃人。まさかの赤玉百錠処方

 当時の私は睡眠薬も沢山飲んでいた。その中の一つが「赤玉」「白玉」である。商品名は書かない。現在(令和三年四月)はこの薬は販売中止になっているが、当時は『最強の睡眠薬』として普通に処方されていた。


 その薬は「飲む拘束衣」とも称され、このエッセイの続編『続・無雲の生態~社会復帰して社会の荒波の中奮闘してます!編』に寄せられたコメントでは、「それじゃ飲むロボトミー手術じゃないですか!」という意見まで出た薬だ。


 その薬は、最強と呼ばれる裏で自殺にも使われることが多かった。所謂だった。それを、Y院長はほいほい処方していた。私にも一度に飲む上限の四錠を。それどころか日中の頓服にもその赤玉と白玉を出した。


 日中の不穏時に赤玉か白玉を飲めという指示だったが、そんなもの日中に飲んだら起きていられないんである。そして、不穏も収まらないんである。ただ、強烈な眠気で暴れる衝動を押さえつけているだけだったんだと思う。


 そして、ある時だった。Y院長は私にこの赤玉を頓服として百錠処方した。院内薬局の薬剤師も変な顔をして薬を出してきた。だから私はこう聞いた。


「これって死んで良いって事?」

 

 しかし薬剤師は「そんな事言っちゃダメよ~」というだけでその薬をあっさり渡してきた。母は私のこの発言で強い危機感を覚えた。普段からOD(薬の過剰摂取)防止のために薬をあちこちに隠して私に見つからないようにしていた母だったが、この赤玉は必要量だけを残して父に処分を任せたらしい。父がその薬をどう処分したのかは、未だに謎のままだ。


 今この百錠処方を考えると猛烈に腹が立つ。私に「死ね」っていう意味で処方したのかY院長め!!


 当時の私は完全に廃人だった。寝て、起きて、薬を飲んで、寝て、食べて、お酒を飲んで、また寝て……。この生活に何の意味があったろう。ただ、生きてるだけ。楽しみも無く、ただ、呼吸しているだけ。


 そんな廃人は私の周りにはいっぱいいた。病院でできた友達は皆私みたいな感じだった。だから、おかしいとも思わなかった。でも、私の心の中には常に「いつか良くなって働くんだ」という想いはあった。そして、母も信じ続けていた。そして言い続けていた。「医学は進歩してるから、いつか無雲の病気も治るよ」と。


 次回は、多剤大量処方で降りかかってきた『副作用』についてまとめた回です。これだけ沢山薬を飲んでいると、体も悲鳴をあげてしまうものなのです。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る