18.薬を変えないS先生

 S先生の外来での治療は対話と投薬が主だった。これは普通なんですが、月日が経つと違和感を抱いてくるようになった。何故なら、何を訴えても薬を変えないんである。


 A病院T先生の処方をそのまま出し続け「ベストです!」と言い切る。しかし私は就寝時に腕を振り下ろすという謎の動作に困っていたし、何より症状が改善された気がしていなかった。そしてS先生は太りつつある私の体重管理にばかり目を向けるようになる。


 二十代前半の頃の私は瘦せ型だった。しかし、薬の副作用がきっかけで私は徐々に肥満体になっていった。この頃は二十歳の頃から比べたら十五キロくらいは太っていただろうか。そんな私に、S先生は毎日体重の推移表を書く事を課した。そして、診察の内容は大体ダイエットの進捗具合を聞かれるだけで終わっていた。


 違う、そうじゃない。治すべきは肥満ではなく心の方だ。


 それは母も感じていた事だった。しかし、母も私もどうしていいのか分からなかった。私はほぼほぼ頭が働いていないから深い事まで考えられなかったし、母は情報源が新聞とテレビだけでネットは出来ない情報弱者だ。なので、何となくで現状維持していた。父がこの頃の事をどう考えていたかは分からない。ただ、K君との自傷行為禁止令の約束は守っていたからリストカットとかはしていなかった。たまに症状が悪化すると二週間入院して神経を休めていた。


 確かまだこの頃は以前書いた『通信制大学と軽いバイト』を続けていたはずだ。記憶が定かではないのだが、まだギリギリなんとかなっていた時期だった。ほぼほぼ頭が動かないので勉強は一日十時間くらいしていた。色々理解するのに時間と労力が必要だったからだ。


 ぎりぎりなんとかなっていたこの時期を支えてくれたのはK君と『通信制大学と軽いバイト』だった。かろうじてだが社会参加しているという事実は私にとっては心を支える柱だった。ぎりぎり何とかなっていたからS先生は薬を変えなかったのかもしれないが、『もっと良くなりたい』という願望が満たされない事は不満にもなっていた。


 この頃、社会が怖いという心はどんどん悪化していっていた。通信制大学で出会う人達には恐怖感はあまり感じなかったが、『就労』となると話は別で怖かった。だから、バイト中に出会う地域の人達の事も怖かった。


 今にして思えば、当時の私の頭の中は矛盾と謎だらけでひっちゃかめっちゃかだ。K君とのお付き合いについても自分の感情ばかり優先していた。よくこんなのと五年間も居てくれたなぁ、と思う。


 そんな日々だったが、服用していた薬の副作用で乳腺炎を発症し終わりを迎える。


 次回はこの薬の副作用が発症のきっかけになった乳腺炎について書こうと思います。

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