16.無雲、デイケアに通う
九日間の入院生活の退院条件として、『デイケアに通う』という事が決められていた。行政の車に乗せられてあちこち見学させられた記憶もあるが、それがいつのタイミングだったかは定かではない。結果として私はB病院のデイケアに通うことになった。
私はデイケアに社会復帰を賭けていた。きっとデイケアに行けば社会について勉強できるし、就職支援みたいなものもあるだろう。そんな考えだった。しかし初日にその夢は砕かれる。それは初めて出会った利用者さんの自己紹介だった。
「初めまして! 〇〇って言います! 僕十二年通ってるから何でも聞いて下さい!」
私はこの時「この人親切そうだな」とかいうポジティブな感想は持たなかった。「え。十二年も通ってるのに社会復帰出来てないの?」これである。でも、デイケアは何となく楽しそうな場所だったし、通うことが決められていたので渋々通うことにした。
初めのうちは「大人の幼稚園みたいで楽しいなぁ」と思った。皆とおしゃべりしたり、レクをしたり、何となく楽しかった。友達も出来たし、デイケアは『何となく楽しい場所』になった。
しかし、人間関係が深まると色々面倒な事も出てくる。職員のえこひいきみたいのも見えてくる。そういうのが見えてきて私は段々デイケアに行くのが憂鬱になった。
そしてデイケアに通って二年目で決定的な事件が起こる。それはとある大地震が起きた後、テレビを皆で見ていた時だった。利用者さんの一人がこんな事を言った。
「避難生活って楽しそう!」
私はそこでキレてしまった。いくらなんでもそれは非常識なんじゃないの? と。しかし、そのいざこざで悪者になったのは私だった。「ここでは正しい事を言っても通用しない。っていうか症状が重いものの言動が全て正しくなるんだ」と感じた私はデイケアを去る。
その後入院生活中にちらほらデイケアを利用したが、結局足が遠のいた。
***
ここで、今だから感じるデイケアの意義や、私が見聞きしたデイケアや作業所の事について書こうと思う。
冒頭の方に『行政の車に乗せられてあちこち見学させられた』と書いた。この時以外にも、B病院のデイケアから福祉作業所の見学に行ったこともある。
行政に連れられてあちこち見学したのは、デイケアやB型作業所だった。作業所にはA型作業所とB型作業所がある。この違いを詳細に書くのは省くが、簡単に説明すると、『A型はそれなりに稼げて、B型はほぼ稼げない』という事である。
私が見学したB型作業所は時給百円とかだった。むしろ、利用料を取られるので稼ぎとしてはほぼ無い。作業内容は単純作業が主で、私ははっきり言って行きたくなかった。給金が低すぎるしむしろマイナスになるのに何で行かなきゃならないの? と感じたからだ。週に何日も働くなら一般社会でバイトしたほうがいいのでは、とも感じた。
デイケアは、私が見学した限りアクティブな活動はしていないようだった。おしゃべりしたりお茶したり、たまにレクしたり。
こういうのって、『朝起きて日中活動する』という生活の基礎を身に付けるために有効らしいのだが、それにプラスアルファを求めていた私が間違っていたのだろうか。私は、物事の効率を考えてしまう性格だ。「週に何日も通えるなら、一般社会で働ける」と考えてしまったのだ。
当時はぬるま湯のような人間関係の中にいるのは楽だった。周囲の人間は全員病人だし、何より全員が無職だった。自分が無職でいるのはずっと心に引っかかっていた。なら働けばいいと思うのだが、精神科に通い出して七年以上が経過していた当時二十代後半の私でもまだ社会が怖かった。
『社会が怖い・健常者が怖い』
この二つがある限りなかなか社会復帰は難しい。前に進もうとしても、恐怖心が勝ってしまうのだ。その恐怖は、闇から抜け出さないと払拭できないものだ。その闇から抜け出すのは容易ではない。
ただ、今にして思うことがある。大した活動をしていないデイケアでも、時給百円のB型作業所であっても、生活の基礎を作るための訓練だと思えば行った方がいいのだ。『朝起きる・日中活動する・夜寝る』、これすら出来なくなっていたら社会復帰など到底無理だからだ。今の時代は細かいツッコミをする人が多いから一応書くが、夜勤や変則的な勤務をしている場合はこのパターンは当てはまらない。ただ、ひとつだけ共通しているのは『起きる・活動する・寝る』というサイクルだ。この基本のサイクルすら壊れてしまっているのが闇の中に居る人間だったりするのだ。特に『活動する』という所は壊れやすい。
『活動する』というのは散歩でもおしゃべりでも何でもいいと思う。それに、デイケアや作業所に行っていれば社会との繋がりが保たれる。社会から隔絶され孤独になると、精神はより病んでいき闇は深くなる。そういった観点からも、デイケアや作業所の類は利用すべき価値がある。
今、闇の中に居て社会からも隔絶された読者様がいるなら、考えてみて欲しい。最初の一歩は、ぬるま湯でいい。入りやすいぬるま湯でいいから、ちょっとだけ社会に足を踏み入れてみてはどうだろうか。デイケアや作業所は全国各地にある。行政や病院でその存在を教えてくれる人がいるはずだ。そこに繋げるのも行政や病院の役割なのだ。そこには同じように傷ついた仲間がいるはずだ。一人で苦しむより、仲間と苦しみを共有していたほうが、少し気が楽になる。
私がこのデイケアや作業所の存在意義を理解したのは、実はこの記事を書いているジャストナウです。お恥ずかしい話、私という人間は物事を深くまで考えられず直情的に進む人間です。なので、このエッセイを書くという事は私に新しい気付きを与え、より私を回復の道へ・また社会に適応する能力を与えてくれます。そしていつも読んで下さっている方々に感謝をして、今日の更新を終わります。
次回は、無雲がはまった入退院地獄の罠についてです!
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