13.絶望のでっかい病院、そしてB病院へ

 T先生は私を専門病院に入院させるために、近隣の「でっかい病院」に紹介状を書いた(でっかい病院はその十数年後私の職場となります。そのエピソードはそのうち書くかもしれないし書かないかもしれない)。でっかい病院は精神科が有名な総合病院(あまり詳細を書くとすぐ特定されてしまう)だった。


 私はT先生に見捨てられたという気持ちで絶望的な気持ちででっかい病院に行ったが、そこで立ち上がれなくなるほどの絶望を味わう事になる。


 初診ででっかい病院に行った時の医師とのやりとりはまだ覚えている。


 紹介状を読みながら医師はこちらを見ようともせずこう言った。


「こんなに睡眠薬飲んでたら起きれないでしょ? 変えといたから。で、病棟見学してまた二週間後来て」


 これで終了である。


 こちらの話を一切聞かない。私は口を開いてすらいない。予診すら無かった。


 ただ、紹介状を読んでこれだけ言われて終了した。


 見学病棟ももの凄く汚かった。薄暗かった。母はこの時こう思ったそうだ。「こんな所に入院させたらもっと悪化する」と。


 しかし悪化するまでもなく絶望した私は、でっかい病院から帰宅してすぐにガラスのコップを叩き割ってそれで自分を傷つけようとした。K君とした『一度でも自傷行為自殺行為をしたら別れる』という約束を投げ捨てようとするほど絶望していた。しかし、体を傷つけようとした所を母に発見されて事なきを得た(多少傷つけた記憶はあるが、本当にちょこっとだった気がする)。


 そして私は一度A病院に戻されることになった。


 A病院に戻ると、T先生は困ったようにこう言った。


「B病院に紹介状を書きます」


 そして私は、私を社会から完全抹殺する多剤大量処方の目に遭わせたB病院に転院することになった。しかしここでB病院の名誉のために先に書いておこうと思うことがある。


 確かに私はB病院のS先生・Y院長の治療によって社会から消された。しかし、その後私を回復へのきっかけから劇的回復に向かわせたのもこのB病院の医師・M先生なのだ。


 B病院が悪いわけではないのだ。重要なのだ。


 今でも私はB病院に通っているが、B病院に行けば誰もが私のように回復できるわけではない。担当医師との相性・治療方針・薬の選択、全てが合致しないと回復は出来ない。


 もしかしたら、でっかい病院でもこの時のクソ医者ではなく別の医者だったら、まだ少しはマシな方向に行っていたかもしれないが、それはあまり考えた事が無い。何故なら、私の古くからの友人もでっかい病院の精神科に通っていた時期があるのだが、その友人もでっかい病院をぼろくそに酷評していたからだ。私はこの事件の十数年後に、医療事務を請け負っている会社の社員となりこの病院で勤務することになるのだが、やっぱりこの病院では自分を診て欲しいとは思えなかった。


 次回からはB病院編が始まります。今まで以上に重苦しくなってきますが、しつこいほど言っておきます。これを書いている現在(令和三年三月)には、無雲は回復して呑気に煎餅食いながら毎日笑顔で過ごしてますから、安心して読んで下さい!!

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