9.通信制大学と軽いバイト
『死にたい』と『陽性転移』で段々心の持ちようがおかしくなっていっていた私はその時二十四歳を迎えていた。引きこもってから四年も経過していた。こうなってくると、社会復帰を考えると焦りが出てくるのである。
しかし私はまだ社会が怖かった。それと、自分の歩んできた学業人生を後悔していた。
「心理学が勉強したいな……」
私は中学生の頃から犯罪心理学には興味があった。だからそういう本はよく読んでいたが、カウンセラーとかの所謂『臨床心理学』にはほぼ興味が無かった。「迷える子羊の相手なんかしてられっかよ」そんな感じで考えている嫌な奴だったのである。
しかし、自分の心が弱まってから、話を聞いてくれる人の大切さだけは身に染みていた。だから、臨床心理学の勉強がしたくなった。それと同時に、専門学校ではなく大学に行っていれば……という気持ちが高まっていた。
そこで私は、リーズナブルに大学の勉強ができる通信制大学に入学することにした。と同時に、近所にフリーペーパーを投函する週一日(プラス折り込みも一日ある)のバイトをやることにした。
この時はまだ多剤っぽい多剤ではなかったから、勉強はすんなりと頭に入ってきた。自分の興味のある分野に対しては抜群の集中力を持っていた私だったので、通信制大学での勉強は順調に進んでいった。時折あるスクーリング(通学)も自分にとって刺激になった。
「ここで学位を取得して今度は通信制の大学院まで進めたら……」
と考えていたのですが、この夢はその後B病院で多剤大量処方に切り替わった瞬間消え去ったのです。まだB病院編ではありませんが結論を書きましょう。
私はあと二十四単位を残して通信制大学を退学、ポスティングのアルバイトも辞めます。多剤大量処方に切り替わってからは頭が働かなくて試験問題が解けないどころか、勉強そのものが出来なくなってしまいました。また、スクーリングについても、電車に一人で乗れなくなってしまって通学不可能状態になってしまいました。ポスティングのアルバイトも社会への恐怖から辞めることになりました。
というわけで、ここで私の社会復帰計画は潰れてしまいます。
夢も可能性も全てを潰されました。それは多剤大量処方の罪です。
話がちょっと先の時間まで進んでしまいましたが、次のエピソードでは私が受けていたA病院でのカウンセリングの話をしたいと思います。
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