4.壊れていく、心
母は私を精神科に連れて行くと宣言したが、最初に行こうとした病院は休診日であった。しかし母はどうしてもこの日に私を精神科で診てもらおうと考えていたらしく、たまたま診察を受けつけていた大学病院・A病院に私を連れて行った。
そこで私は最初の主治医になるT先生と出会った。柔和な笑顔と優しい雰囲気に、私は何となく安堵を覚えた記憶がある。しかし、自分の何がおかしくてここに連れて来られているか分からないので、予診や診察にはてきとーに答えてしまった記憶がある。ほんとに、「なんとなくこれ書いとけば病気なのかな?」と思った事をてきとーに列挙しただけである。私はこの時逃げたかったのだ。学校から、同級生から、卒業制作から。逃げさせてくれるならその手段は何でも良かった。「どうせ精神科に通うのも三カ月くらいなんじゃない?」という軽い気持ちもあった。
T医師は私に抗不安薬を処方し、学校を休むための診断書を書いた。この時付いた病名は「抑うつ状態」であった。そして私は診断書を盾にして学校を休んだ。しかしこの選択は大失敗だったと今なら分かる。
私はこの日(二〇〇一年二月上旬だった気がする)から卒業まで学校を休んだが、自分がやるべき作業は終えていた事と、普段の学業成績が優秀であったことから学長から特別許可を得て専門学校を卒業できた。
卒業できた安心感はあったが、心は休み始めた当初より重くなっていて、音楽を聴くのも作るのも嫌になっていた。それでも、外に出ようかと思いアルバイトの面接に申し込んだ。しかし当日、私は面接に行くことが出来なかった。社会が怖いのだ。社会に出て誰かに怒られるのが怖かった。また自分を否定されるのが怖かった。社会の全てが敵に見えた。何もかもが怖かった。
バイトの面接に足がすくんでその機会から逃げ出した私はまるで出口が見つからない迷路の中にいるかのようだった。ここから私は社会から引きこもり家に引きこもるようになった。
家に引きこもった私は寝ているかインターネットを見ているかのどちらかだった。当時はネット黎明期で個人サイトが流行っていて、私も高校生の時から【Moonlit Fables】というサイトを開き、その中で【無雲の生態】という日記を書いていた。私のサイトはおよそ十年間続いたが、【無雲の生態】はそののち【裏・無雲の生態】として隠しコンテンツ化し、内容もただただネガティブな事を書いてあるだけのものとなった。そののち私は全てのデータを完全に抹消して、姿を消した。名前を変えてSNSをやる事もあったが、私はこの時「無雲は死んだ」と思っていた。もうあのキラキラした頃とは縁のない、ただ意味のない存在として存在したのが当時の私なのである。
それから二十年近く経った今、こうやって私は無雲としてカクヨムに戻ってきた。自分の体験を書こうとした時タイトルに悩んだが、私のメンタルの持ちようは過去の勢いを取り戻していたので、「帰ってきた! 無雲の生態」にしたのである。
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