9:最強兵器悪役令嬢 ZOMBIE(後編)
死者たちを繋ぎ合わせた巨人が、ゆっくりと四人の令嬢たちの方に振り向く。
壁を背にしたハーデスティは、巨大な影から目を逸らさず言った。
「エルム、あなたにはまず囮になってもらいますわ」
「嘘でしょ、絶対に嫌!」
そう叫んだエルムの剣幕に狼狽えることもなく、ハーデスティはわずかに視線を動かした。
「作戦の要は私たちの方ですわよ。こっちにいるよりはずっと安全ですわ」
「『私たち』って……」
シロノが手に握った血濡れの刀に似合わない、慎ましい笑みを浮かべて頷く。
「おれはどっちに?」
シャンシーが銃を弄びながら言った。
「エルムについてあげてくださいまし。あなたの銃が必要よ」
「銃が効くかわからないけどな」
「撃つのは死人ではなく、あちらですわ」
ハーデスティは顎で巨人の肩越しに見える錆色のパイプを指した。
「あの化け物がどう動いているのか知りませんけど、私たちを目視で追っているのは間違いありませんわ。視界が悪ければ隙ができるはずよ。熱でダメージを与えられればさらに好都合ですわ」
「わかった、いつ撃てばいい?」
「今、私たちのいる場所のパイプが湯気を噴いてから十秒後。こっちで合図しますわ」
シャンシーは表情を強張らせて頷いた。
「隙ができたら、シロノ、トドメはあなたに任せますわよ」
「承りました」
エルムは上目遣いでハーデスティを見つめた。
「ねぇ、あんたは何をするの?」
「私は……参謀ですわ。状況を見て指示を出す、これで充分でしょう」
「ずるい!」
シャンシーが眉根を下げて苦笑した。
ふたりの争う声と蒸気が満たす空間に、黒い影が徐々に染み出す。
巨人が無理に継ぎ接ぎした肉の縫い目から赤黒い血汁を垂らしながら、壁のパイプを掴む。熱が皮膚を焼く音と臭気が立ち上った。それと同時に蒸気が噴出する音が響く。
「もう、いいから早く行きなさい!」
ハーデスティがエルムの背を強く押した。
エルムはその勢いのまま数歩進み、ドレスの裾をもつれさせながら転びかけて体勢を立て直す。
「この、性悪女!」
罵倒を返そうとした彼女の背後に、片手を振り上げた巨人がそびえ立つ。
「八、九、十……撃って!」
シャンシーがエルムの前に進み出、銃口を構え、引き金を引いた。
銃弾が鋼鉄の上で弾ける破裂音が響き、白い手が広がるように蒸気が巨人を包み込む。
「今ですわ! トドメを––––」
シロノは素早く抜刀し、巨人に向かって駆け出したが、途端に足を止めて後方に飛び退った。
「ふたりとも、伏せなさい!」
今まで聞いたことのないシロノの鋭い声に、シャンシーとエルムが振り返る。彼女たちの背後に、蒸気の幕を切り裂く線状の何かが迫っていた。
「エルム、シャンシー、後ろですわ!」
ハーデスティの声が届くより早く、ふたりは巨人が振り切ったパイプに衝突して、一直線に吹き飛んだ。
悲鳴すらもなかった。
駆け寄ろうとしたハーデスティの腕を、シロノが片手で掴んで食い止めた。
「離してくださいまし!ふたりが!」
霧が晴れ、後方の壁にぐったりと倒れ込んだエルムとシャンシーの姿が現れる。ハーデスティは息を呑んだ。
「私のせいだわ……」
声が震え、頰から血の気が引いていく。
「私が囮をやれなんて行ったから……勝算があると思ったのに……」
シロノはハーデスティの腕を強く引き寄せ、自分の近くに手繰り寄せると、穏やかな笑みを浮かべた。
「まだ終わっていませんよ」
ハーデスティの目に張った涙の膜が揺れる。
「見た限りおふたりは頭を打っていません。急所からの出血もない。衝撃で気絶しているだけでしょう。それに、あれを」
シロノは利き手に携えた剣の切っ先で巨人を指した。巨人が湯気の中で心なしか先ほどより激しく揺れていた。
「苦しんでいます」
ハーデスティは眉間に皺を寄せて巨人を見つめてから、シロノに向き直った。
「蒸気で苦しむということは、呼吸をしているのかは存じませんが、それに近い何かをしているようです」
「つまり、どういうことですの……」
「熱い空気は上に行く。この閉じた空間では
シロノは相変わらず貞淑な微笑みを崩さなかったが、目の奥には淀んだ殺意が光っていた。
ハーデスティはそっと彼女の手を振りほどき、姿勢を正した。
「まだ勝機はあるということですわね」
「
ハーデスティはシロノに向き直り、力強い視線で見上げた。
「もう一度、今度はふたりでやりますわよ」
彼女は鷹揚に頷いた。
「もう失敗できませんわ」
シロノは表情を崩さない。
ハーデスティは深く息をつくと、倉庫で拾った斧を握りしめ、巨人の方へ踏み出した。
ハーデスティは白い霧の中を進む。
巨人の注意が向くより早く、彼女は胸の前に構えた斧を突き出し、真横に振りかぶった。
パイプが裂け、蒸気が噴き出す。
正面からそれを浴びる前に、ハーデスティは前進し、次々と配管を壊した。
巨人が壁のように立ち塞がる。
ハーデスティは唾を飲み込むと、助走をつけて鉄パイプを振りかぶる巨大な死者の足元へ飛び出しだ。
パイプが鼻先を掠める寸前、ハーデスティは一気に仰け反って、巨人の股下に滑り込む。
滴る血膿が彼女の頭上に降り注ぎ、ハーデスティは一瞬目を瞑ると、勢いのまま素早く通り抜け、床に伏せた。
巨人がブリキ細工のように腰を回し、背後に回り込んだハーデスティに再び襲いかかろうとした瞬間、彼女は腕だけを振り上げ、真横にあったパイプを斧で掻き切った。
飛び出した蒸気が巨人の顔面を貫いた。
熱に焼かれた巨人が顔を覆いながら、絶叫する。
咆哮とともに白い湯気が辺りを満たしていった。
ハーデスティは血と湿気で髪を顔に貼りつけたまま、それを仰ぎ見た。
「後は頼みましたわよ」
巨人が蹲るような姿勢で、徐々にその体躯を沈めていく。
霧の中で鈍色の光が輝いた。
音もなく忍び寄ったシロノが、頭上に刀を構える。
巨人が赤く爛れた顔から手を下ろし、彼女の胴回りほどもあるパイプを拾い上げる。
風圧とともにそれが振り上げられるより一手早く、シロノは巨人の頸動脈に刀を振り下ろした。
パイプから漏れる蒸気のように、頭部を失った巨人の首から真っ赤な鮮血が噴出した。
血の雨を受けるシロノとハーデスティの間に、重厚な音を立てて巨人の首が転がる。
ひとつ間を置いて、無惨な縫い目の残る身体が支えを失い、血と温水で濡れた床の上に倒れた。
赤い雫を全身に浴びたシロノは、振り切った刀を静かに持ち上げた。
ぱきっ、という頼りない音ともに、先端から三分の一程度の刀身が砕け、白い花の花弁のように落ちた。
ハーデスティはその軌跡を目で追ってから、シロノの方を見上げた。
「刀、折れてしまいました」
そう言った彼女の顔からは表情が失せていた。
「父から譲り受けた家宝のひとつです。この不義理、知れれば勘当ものでしょうね」
ハーデスティは言葉を探りながら口を開いたが、何も出てこなかった。
シロノは静かに俯くと、小さく喉を鳴らした。
「シロノ……」
彼女は肩を震わせて、口元を抑えた。
そして、ようやく顔を上げると、いつもの抑えた微笑みとは違う子どものような笑顔を見せた。
「これは、責任を取って、貴女に雇っていただかないといけませんね」
ハーデスティは目を丸くし、呆れたように笑った。
「全く……」
ハーデスティは最早何かもわからない液体を大量に吸って重くなったドレスの裾を絞り、汚れた手を彼女に差し出した。
「ええ、よろしくってよ。さあ、雇い主を起こしてくださいまし」
その手を握り返したシロノの手は、指の細さに反し、何度も刀を振るい潰れたたこのせいで石のように硬かった。
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