9:最強兵器悪役令嬢 ZOMBIE(前編)

 リフトがゆっくりと降下していく。



 四人の令嬢たちは軋む鉄板に揺られながら、闇の中へ降りていった。


「ねぇ、わたしのせいじゃないからね? 助けてって行ったけど、来たのは自分たちの責任だし……そうでしょ?」

「まだそんなことを言っていますの!?」

 ハーデスティとエルムの声が暗がりの中に響く。

 シロノの押し殺したような笑い声が続いた。

わたくしはそれで構いませんが、この下にいる者に道理が通じるでしょうか」

「怖いこと言わないでよ!」


 リフトの振動の合間にシャンシーの溜息が漏れる。

「もういいよ、どうせ上には戻れないし、蛇が出ようが鬼が出ようがだ……」



 視界が開け、壁一面を這い回る巨大なパイプが令嬢たちの目に飛び込んできた。

 太く無骨な配管がひしめき合い、四人は魔物の内臓の中に飛び込んだような光景を見回す。


「何ここ……」

「地下下水道、のようなものでしょうか」

 リフトが地上に着き、床板が小さく軋む。

 ハーデスティは恐る恐る踏み出した。



 パイプの奥からは重たい駆動音が響き、仄かに生温かい空気が漂っている。

 配管の繋ぎ目から、音を立てて湯気が噴き出し、エルムが悲鳴を上げた。

「このパイプはお湯が通っているようですわ。たぶん、リフトの昇降も蒸気機関でやっていたのですわね」

 ハーデスティが注意深く湯気に手を当てる。

「視界が悪くてよく見えないな。気をつけろよ」

 シャンシーが言ったとき、素早くシロノが刀に手をかけた。


「気をつけるべきなのは、視界だけではないかもしれません」

 辺りに充満した蒸気が、爪痕を立てたように微かに裂ける。シロノは刀に当てた手を外して鋭く言った。

「伏せてください」



 声と同時に、暴風で周囲の霧が搔き消え、巨大な塊がものすごい速度で押し迫る。

 間一髪で避けた四人の頭上を何かが掠め、轟音とともに蒸気が噴出した。

「今度は何よ!?」

 エルムの声に耳を塞ぎながら、ハーデスティが視線を上げると、未だ湯気を立てる鉄のパイプが壁に突き刺さっていた。


 霧の中に巨大な影が揺らぐ。槍投げを終えた後のような構えをとったその影は、歪だが人間の形をしていた。

「また巨人ですの……」

「巨人、ですね。しかも、この匂い、貴女ならおわかりですか」

 シロノの視線にシャンシーが表情を歪めて頷く。

「あぁ、死臭だ……あのバカデカい図体、死人を繋ぎ合わせて作ってるぜ」


「リフトへ戻りましょ! あんなのと戦えないよ」

 エルムがそう叫んですがりついた腕を、シロノは素早く振りほどく。

「ええ、あれを斬るのは難しいでしょうね。ですが、それでこそ」

 言い終わる前に、彼女は抜刀すると床を蹴って影の方へ跳躍した。

 霧の中で、金属と分厚い肉のぶつかり合う不気味な音が響く。

「やっぱりあの子頭おかしい!」

「エルム、シャンシー! 時間を稼いでもらっている間に出口を探しますわよ!」

 ハーデスティの声に、少し逡巡してからふたりが首肯を返す。

 蒸気の間を縫って、太刀風と呻きが響く中を三人は駆け出した。



 壁じゅうのパイプに縋りながら、令嬢たちは霧の中を進む。

 しばらく進んだとき、シャンシーの掴んだパイプが微かに熱を増した。

「ハーデスティ、危ない!」

 声に弾かれて身を避けた彼女の脇を、間欠泉のように上がった蒸気が掠めた。

「熱っ……」

「そこら中のパイプにガタが来て、隙間ができてんだ。ぶつかったら大火傷するぞ」

「教えてもらえて助かりましたわ……」

 ハーデスティは温い湿気で張り付いたドレスをたくし上げながら先を進んだ。


 ふとハーデスティの指先に何かが触れる。ほんの少し窪んだ金属製の何かに触れると、中央に複雑な亀裂がある。

「鍵穴がありましたわ」

 目を輝かせたエルムに対して、シャンシーは眉をひそめた。

「鍵を探さなきゃいけないってことか」

「そうですわね」


 エルムが辺りを見回しながら言う。

「ねえ、戻った方がいいんじゃない。リフトが上がるのを待って、ね? 化け物に殺されるのも焼き殺されるのも嫌––––」

 言葉を掻き消すように再び蒸気が噴出する。

 ハーデスティは首を振った。

「化け物はともかく、蒸気に関してはわかりましたわ。この一帯を熱水が巡るのは、たぶん一分間隔よ。繋ぎ合わせたパイプの中をそれぞれ十秒ごとに巡回しているの。場所と時間でだいたい避けられるはずですわ」

「よくわかるな」と、シャンシーが呟いた。

「生き抜くための知恵ですわ。敵が多いと呑気ではいられませんの。こんな殺人ショーの合間でなくてもね」



 バン、と音が響き、ハーデスティの横に何かが叩きつけられる。

「シロノ!?」

 刀を杖代わりに立ち上がったシロノが、鼻から垂れた一筋の鼻血を袖で拭った。

「大丈夫かよ……」

 血と湯気で黒髪を貼りつけた頬で、シロノが微笑を浮かべた。

「苦戦中です」

 シャンシーが溜息を漏らす。

「鍵穴が見つかりましたわ。ですが、肝心の鍵が……」

 ハーデスティの声にシロノが首を傾げて、湯気の向こうを指した。

「あちらでは?」


 指の先に、蒸気を割って佇む死体を繋ぎ合わせた巨人がいる。その首からぶら下がった何かが鈍い光を放った。

「あれの首を落とすしかないと言うことのようですね」

 ハーデスティが陰鬱にかぶりを振った。

「無茶ですわ。前から思っていましたけど、生きて帰りたくありませんの?」

 シロノは曖昧に笑みを浮かべた。


「わたしは生きて帰りたい! 早く帰って、辺境伯なんか逮捕してもらって処刑台に送ってやるんだから! お父様に頼めば何でもしてくれるのよ!」

 声を張り上げたエルムに、シャンシーが苦笑する。

「どうりで、甘やかされて育ったわけだ」

 シロノが苦笑した。

「優しいお父様ですね」

「嫌味?」

 エルムの睨むような視線に、「本心です」と答えて、彼女は俯いた。

「私は、帰らなくてもいいかもしれません」

 全員の視線がシロノの方を向く。


「私は剣術家の家に育ちました。父も兄弟も剣術家です。私も剣が好きでしたし、習うほど強くなり、もっと強い方と手合わせしたいと思いました。私は、父よりも兄弟よりも強いんですよ」

 シロノの微笑みに「だろうな」と、シャンシーが呟く。


「十四のとき、私は兄の額を割りました。故意ではありませんが、その頃から強くなるたび、褒められるより恐れられるようになってきました。これほど遠い国の縁談を父が受けたのも、私を手元に置いておきたくなかったのでしょう」

 彼女は輝きの鈍くなった刀を拭う。


「帰らなくてもいいのではなくて?」

 沈黙の後、ハーデスティは口を開いた。

「そんな小さい国に帰っても会える強者なんてたかが知れていますわ」

 シロノが小さく目を見開いた。

「行き場がないなら、私の家の用心棒にしてあげてもよろしくてよ。私は実力主義ですの。優秀な者なら怖がって手放すより、手元で飼い慣らしますわ。私の元で全国制覇なり結婚なり、好きなことをなさればいいじゃない」


 シロノは口元を袖で隠すと、喉を鳴らして笑った。

「すかうと、されてしまいました」

 ハーデスティが呆れたように肩をすくめる。

「では、ここから出なければなりませんね」


 白い湯気が徐々に薄くなり、巨人が姿を現わす。

 鋼線のような硬い糸とボルトで繋ぎ合わせた死肉の間から、赤い塊と膿が滲んでいた。

「近くで見ると余計エグいな……」

 肉に埋もれた首元に、銀色の小さな鍵がだらりと垂れ下がっている。


「貴女が未来の私の雇い主になるかどうか、予行演習と参りましょう。勝算はございますか?」

「ないわけではなくてよ」

 ハーデスティの声に、シロノが刀を返した。

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