8:悪役令嬢・オブ・ザ・リビングデッド(後編)

 足元を死者たちが埋め尽くしていた。



 四人の令嬢は心許ない金網でできた中二階からゾンビたちの群れを見下ろす。

「どうしますの……」


 ハーデスティの声に、シロノが血脂で光の鈍った刀身を袖で拭って答えた。

「彼らにはしごを登ってくるほどの知能はないようです。ひとまずここにいる間は安全かと存じますが––––、」

 死人たちはけたたましい鳴き声で、彼女たちが降ってくるのを待ち構えていた。

「いつまでもここにはいられませんね」



「まさかゾンビたちだけでここまで来たわけじゃないだろ。誰か生きてる人間が搬入したなら、そいつらが逃げるための通路があるはずだ」

 シャンシーの陰に隠れていたエルムが小さな声で言った。

「ねえ、あっちにあるの、エレベーターじゃない?」


 彼女の指した方に視線をやると、ゾンビたちの肩の向こうに、黒と黄色に塗られた貨物用のリフトがふたつ並び、ゆっくりと昇降を繰り返している。

「初めて役に立ちましたわね」

 エルムが「何それ」と睨む。ハーデスティは肩をすくめた。


「あそこに行くにはここから一旦降りなきゃな」

 シャンシーが握った銃の先で、道のりを示す。

「一番端の梯子から降りて、できるだけゾンビに会わないように棚の陰に隠れて、どっちかのリフトが降りてきたのに合わせて飛び乗る。いけるか?」

 三人は無言で頷いた。



 一歩踏み出すごとに悲鳴に似た音を立てて軋む金網の上を進み、四人は階下へと続く梯子の元に辿り着いた。


 シロノが先頭に立ち、ハーデスティとエルムがその後に続き、最後尾に銃を持ったシャンシーが構える。


 刀を置いて梯子に手をかけたシロノに、ハーデスティが言った。

「それ預かってあげてもよろしくてよ」

「ありがとうございます。ですが、お気遣いなく」

 彼女はそう言って口に柄を加えると、音もなく梯子に降りた。

「余計なお世話だったようですわね」

 シロノは口から刀を外して、抜き身の刃を片手に携えたまま微笑んだ。

「功徳は回り回ってくるもの。お気持ちは忘れません」


「変なひと……」

 ハーデスティが呟くうちに、シロノはゾンビたちの蠢く地上へ下っていった。

 ハーデスティは奥で待つシャンシーに視線で合図する。

 シャンシーは頷いて、手すりから身を乗り出すと、梯子から離れた場所にいる一体の死人に向けて発砲した。


 乾いた銃声が響き、ゾンビが頭部に風穴を開けて倒れた。

 音の方向に向けて、群れが一斉に動き出し、倒れた死人を一瞬で搔き消す。


「今よ!」

 声を落として叫んだハーデスティは、後ろのふたりが走り出すのを一瞥して、素早く梯子を駆け下りた。

 血と煤を吸って重くなったドレスの裾が足首に絡みつく。

 重心を崩して落ちかけたところを、地上にいたシロノが手を引いて着地させた。



 ふたりは目を合わせて、同時に駆け出す。

 何体かのゾンビがハーデスティたちの足音を捉えて、こちらに迫ってきた。


 シロノが背後から迫ったゾンビを横に両断し、返す刃で反対側のゾンビの腕と首を切り落とす。

 ハーデスティは視界の端で、風に飛ぶリボンのように鮮血が弧を描いたのを見留ながら、シャンシーとエルムが追ってきたのを確かめた。


「あのコンテナの後ろまで走りますわよ!」


 全員が速度を速める。

 オリーブ色の錆びついたコンテナの影に滑り込んだハーデスティの頭上を黒い腕がよぎった。

「ハーデスティ!」

 シャンシーの声に弾かれて顔を上げると、コンテナの上から覗き込むように両目の抉れたゾンビが見下ろしている。


 ハーデスティは息を呑んだ。

 シャンシーが引き金に指をかけた瞬間、シロノがゾンビの手首を掴むと、幕でも下ろすかのように引いた。


 ゾンビがコンテナから逆さまに墜落する。

 空の眼窩と目を合わせたシロノは微笑を浮かべると、垂直に構えた刀を真っ直ぐに振り下ろした。

 腹部から真っ二つに割れたゾンビの腹から、血と臓物が弾けて飛び散る。


 赤い煙幕を掻き分けて、血飛沫を浴びたシャンシーとエルムがコンテナの後ろに駆け込んだ。

 白い頰と着物を血で濡らしたシロノが静かにそれに続いた。


「助かりましたわ」

 深く息をついたハーデスティに、シロノが微笑み返した。

「後はリフトが降りてくるのを待つだけだな」

 シャンシーが、少し先で上下する蛇のようなワイヤーを睨みながら言う。

「だいぶ降ってきたから上に行くリフトに乗った方がいい。これ以上下には何があるかわからないぜ」



「ねえ、わたしだけ置いて行ったりしないよね?」

 エルムが上目遣いで言った。

「だって、わたしたち一応敵な訳でしょ? ひとりしか生き残れないんだよね? 裏切ったりしない?」


「今さら何を言っていますの」

 ハーデスティが溜め息をつく。

「こんな状況になってまで辺境伯と結婚したい人間なんかいるはずないでしょう」

 シロノが苦笑を浮かべ、シャンシーが頭を掻いた。

「まぁ、ちょっと惜しいけどな」


 眉をひそめたハーデスティの隣にやってきたシャンシーが、床に広がる血溜まりを見つめて呟いた。


「知ってると思うけどさ、おれの父親、表向きは貿易商ってことになってるけど、麻薬の売人の元締めなんだ。さすがに世間の目が厳しくなってきてさ。外国の貴族とパイプができれば少し楽させてやれると思ったんだけど」

「お父様がそういう仕事をなさってること、何とも思いませんの?」


 シャンシーは俯いたまま言う。

「まぁ、うちの国はデカいことに比べたら遅れてるし、ちょっとくらい悪いことしないと食い物にされちまうんだ。必要悪っていうかさ。親父はその中でも、女子どもはあんまり殺さないし、身内には優しいし……」

 ハーデスティの真っ直ぐに彼女を見つめた。

「さすがに厳しいか」

 シャンシーはかぶりを振って、苦い笑みを作る。

「身内に甘いのは親譲りってことだよ」



「ねえ、シロノちゃんは何で結婚しようと思ったの? そういうの興味なさそうだけど」

 エルムの問いに、シロノは口元を覆って小さく笑い声を漏らした。

「確かに殿方に剣術ばかりをしてきましたが、わたくしも普通の女の幸せに興味がない訳ではございませんよ」

 シロノは刀にべっとりと貼りついた血を拭いながら言った。


「私も恋をしてみたかったのです」

 エルムが目を丸くした。

「辺境伯は国境を狙う野盗や他国の軍との戦いを請け負う者。それほどの力を持つ方でしたら、私も愛せるかと思ったのです」


「そういうもんかな……」

 シャンシーが銃口の煤を払いながら呟いた。

「弱くても馬鹿でもいいやって思えるのが好きなんじゃないかと思うけどな」

 シロノは何も答えなかった。



 微かな駆動音が響き、ふたつのリフトが姿を現した。

「来ましたわ」

 向かって右側のリフトが床下から徐々に昇ってくる。

「あちらが上に向かうもののようですわね」

 四人は無言で視線を交わすと、右のリフトに向かって駆け出した。



 ゾンビたちはまだ気づいていない。

 ふたつのリフトが同時に地上に着いたのを見届けて、令嬢たちは素早く乗り込んだ。


 徐々に床板がせり上がってきた瞬間、エルムが悲鳴をあげた。

「今度は何ですの!」

 彼女の薔薇色のドレスの裾が左側のリフトの金網に巻き込まれている。

「誰か! 何とかしてよ、ねえ!」

 ハーデスティが駆け寄る間もなく、床板が大きく揺れ、エルムが左側のリフトに転げ落ちた。


 右側のリフトは既に上昇を始めている。

「裏切らないって約束したじゃない! 置いて行かないでよ!」

 エルムの泣き声が遠ざかり出した。

 ハーデスティは小さく息を呑む。


 シャンシーがリフトの鉄棒を握りしめて呟いた。

「約束した訳じゃないし、お前のこともまだよく知らないし……」

 床板が再び振動する。

「でもなぁ、お前そっくりな馬鹿な妹がいるんだよ!」


 シャンシーは鉄棒を離すと左側のリフトに飛び降りた。

「嘘でしょう!?」

 ハーデスティが叫ぶ間に、シャンシーとエルムが遠ざかる。

 シロノの方を見ると、焦った様子もなく、彼女は黒い瞳でハーデスティを見返した。


「あぁ、もう……」

 ハーデスティはこめかみを抑えて呟いてから、左のリフトに視線を定めた。

「シロノ、着地し損ねたときは助けてくださいまし!」

 シロノは静かに笑って頷いた。



 ハーデスティとシロノは同時に床板を蹴って、地下に呑み込まれ出した、もう片方のリフトへ飛び移った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る