10.悪役令嬢・ドント・ダイ

 辺境伯ダミアン・ロバートソーンは喉元に手やって呟いた。


「だいぶ分散したようだが、現時点で死人はたったの二名か……予想外だな」

 執事長のジェイソンが曖昧に頷いた。

「だいぶ進行が遅れていますね。このまま膠着状態が続くと埒が開かない」

 ダミアンは部屋の隅に視線を向けた。

 それに応じるように闇の中に溶け込むような黒服の群れが一歩進み出る。

「いかがなさいますか」

「埒を開けろ」


 返事を待たずにダミアンは腕を組み、独り言のように言った。

「最後の切り札は、まだ保留しておこう」



 ***



 ハーデスティは壁の配管にもたれかかるように倒れたふたりの肩を揺さぶった。


「痛……」

 エルムは薄目を開けてハーデスティを見とめると、飛び退いて叫び声を上げた。

「このひと殺し!」

「死んでないじゃありませんこと」

 シャンシーが呻きながら上体を起こす。

「アレは……どうなった?」

「終わりましたわ」

 ハーデスティは肩を貸しながら、向こうに横たわる巨人の首なし死体を指した。


「鍵もちゃんと、ここにございます」

 シロノが未だ血糊の乾かない手で、小さな銀色の鍵を摘んで見せた。

 ふたりは呆然と、鈍い光を放つその表面を眺めた。


「何もしない内に終わっちまったな」

 シャンシーが眉をひそめて苦笑する。

「わたしは充分働いたからね! ここから出られたらちゃんとお礼してよ! つまらないものだったら許さないから!」

 ハーデスティは肩を竦めた。

「まぁ、今回は協力してもらえて助かりましたわ」



 シロノは遠巻きに彼女たちを眺めながら、熟考するように黙り込み、やっと口を開いた。

「貴女たちは、本当に弱いんですね」

 ハーデスティが目を剥いた。

「急に何を言い出しますの?」

「本当のことではありませんか」

 シロノは言葉の厳しさに反して、楽しげに微笑んでいた。

「言っとくけど、わたしたちが弱いんじゃなく、あんたが化け物なだけだからね!」

 食ってかかったエルムを「お元気そうで何よりです」

 と軽くいなし、先端の折れた刀を収める。


「それ……」

 シャンシーが立ち上がりながら、漆塗りの黒い鞘を示した。

「折れてしまいました」

 彼女は事も無さげに答えた。

「いいのかよ」

「まだ半分以上残っていますので」

「そういう問題じゃないだろ……」

「いいのかもしれません」


 シロノはそう答えて、わずかに目を細めた。

「弱くても愚かでもいいと思えるのが、でしたか」

「何の話ですの?」

 ハーデスティの問いに答えず、彼女はぶら下げた鍵を揺らして言った。

「さあ、脱出いたしましょう。他にも見つけなければいけない方々がいるのでしょう」

 ハーデスティは、もう遠い昔に渡されたように思えるナイフを握りしめた。



 令嬢たちは静かに広がる白い霧の中を一歩ずつ進んだ。

 薄くなった蒸気の幕を手で避け、ハーデスティは壁の中央にある細い亀裂のような鍵穴を見つける。

「開けますわよ」

 後ろに構える三人は無言で頷いた。

 銀の鍵を差し込むと、想像より頼りない音を立てて、扉が開いた。



 ハーデスティたちの先を急ぐように湯気が扉の下から這い出し、冷えて乾燥した空気が流れ込んでくる。

「罠は、ないようですわね……」


 踏み出した扉の先には、無機質な灰色の壁に覆われた空間が広がっていた。

「ここはどの辺りなんだろうな」

 辺りを見回しながらシャンシーが呟いたとき、右側の壁の向こうから、重たい衝撃音が響いた。

 エルムが身を竦めて音の方向を指差した。

「ねえ、何か聞こえない……?」

 液体の垂れた跡で汚れた壁を隔てた先から、歓声や怒号に似た響きが聞こえてくる。


「ここは、わたくしたちがリフトに乗る前に通過した、あの群衆たちのいた場所の真横に当たるのかもしれません」

 シロノが横目で壁を一瞥して言う。

「あの中二階を抜けて梯子で降りた場所のすぐ近くということですの?」

 ハーデスティの声に、シロノは首肯を返した。

「壁は簡単に破れないだろうけど、早く上がった方がいいな」

 シャンシーが銃の残弾を確かめながら呟いた。



 歩みを進めると、最奥部の床がわずかに隆起しているのが見えた。

 壁と一体化したように見える灰色のリフトと、それを取り囲む黄色と黒の縞模様のリールがある。

 ハーデスティたちは歩みを進めた。



 リフトの形状を確かめながら、ハーデスティは呟いた。

「乗った後、誰かが真横の昇降用レバーを引かないといけないようですわ」

「誰がやるの?」

 早々にリフトに乗り込んだエルムが言う。

「おれが」と言いかけたシャンシーを制して、シロノが応えた。

「私がやりましょう。レバーを引いてすぐ飛び乗る程度なら造作もございません」

「少し休んだ方がいいですわ」

 ハーデスティは首を振ったが、シロノに押され、シャンシーと共に有無を言わせずリフトに押し込まれた。


「ドレスの裾は挟んでいませんね」

 シロノが笑いを含んだ声で問い、「嫌味?」とエルムが苛立った声を上げる。シロノは昇降用レバーに手をかけた。

「では、只今––––」



 その瞬間、乾いた破裂音が響き、次いで激しい金属音が鳴り渡った。

 素早く抜刀したシロノが顔の前で刀を構えていた。


「何がありましたの……」

 シロノは刀を構え直し、鋭い視線で闇の中を睨んだ。

 暗がりの中で、銃口から白い煙を上げる猟銃を構えた腕が浮かび上がった。

 その背後に各々の武器を携えた、黒服たちが並んでいる。


「辺境伯の差し金ですか」

 黒服たちは答えずに武器を構えた。

 シャンシーは唾を飲むと、リフトの柵に手をかけた。

「どうするつもりですの?」

 ハーデスティの押し殺した声に、シャンシーが覚悟を決めたように小声で言う。

「ふたりは先に行ってくれ。シロノに加勢する」

「あの人数じゃ無理よ。とにかく早く逃げましょ!」

 エルムがシャンシーの腕に縋りついた。

「置いていけないだろ。ふたりならまだ何とかなるかもしれない」


「レバーから手を離せ」

 黒服のひとりが平坦な声で言った。


 シロノは無表情に声の主とリフトの上の三人を見比べた。

 暗闇の中を沈黙が染み渡る。

 シロノはシャンシーとエルム、ハーデスティの顔をひとりずつ見つめた。

 そして、何も言わずにレバーからそっと手を離した。


「ちょっと、シロノ!」

 身を乗り出したエルムをシャンシーが抑える。


 シロノはリフトでも黒服たちでもなく、右側の壁の方へ数歩進み出た。

 次の瞬間、誰が動くより早く、彼女は砕けた刀を壁に向けて垂直に振り下ろした。



 轟音を立てて、壁が崩れる。

「くそっ……」

 黒服たちが武器を構える間もなく、瓦礫を突き抜けて飛び込んできたゾンビたちが波のように押し寄せた。

 悲鳴とかすかな銃声と、死者たちの声が響き渡る。


 ゾンビの群れに黒服たちが埋もれていくのを確認すると、シロノは素早くリフトの方へ駆け戻り、昇降用のレバーを引いた。

 リフトがゆっくりと上昇する。


「シロノ、早く!」

 ハーデスティが差し伸べた手に彼女が触れる寸前、真横から下顎が外れた亡者が飛びかかってきた。

 シロノが刀の柄で殴打し、飛ばされた亡者が壁に衝突する。


 その後ろにも亡者たちが次々と押し寄せていた。

 シロノはハーデスティたちを一瞬見つめてから、身を翻して折れた刀を構えた。

「無茶だ。早く戻ってこい!」

 シャンシーが叫ぶが、彼女は背を向けたまま何も言わない。

「ここから出て私の使用人になると言ったじゃありませんこと?」

「申し訳ありませんが、それは反故にしていただくしかないようです」

 シロノは淡々と答える。

「生きて……帰って……それから……」

 ハーデスティはどんどん遠のく背を眺めながら、彼女を引き留めるための何かを探して、頭を巡らす。


「そうだ! あなた、結婚は? 結婚じゃなくても、誰かを想ったりとか何とか……そう言っていたでしょう!」

 シロノは振り返り、困り顔に似た微笑みを浮かべた。

「それに関してはもう、満足いたしました」


 リフトが更に上昇し、彼女の声と姿は、灰色の天井に掻き消された。



 ***



 ハーデスティたちの乗ったリフトが上に吸い上げられ、黒い正方形の穴以外見えなくなったのを確かめてから、シロノは静かに息をついた。


 黒服たちの血や引き千切れた手足をまとわりつかせたゾンビたちが彼女に近づいていく。


「さて、これが私の最後の死合い」

 シロノは刃先から砂のように崩れ出す刀を構えた。

「折れた刀でどれほどできるか、力試しと参りましょう」



 ***



 暗闇を抜けて、リフトが開けた空間に顔を出す。

 辿り着いたのはシロノの言った通り、彼女たちが最初にリフトに乗った場所の上の中二階だった。


 違うのは、階下にいたゾンビが姿を消していることだけだった。


 上昇が止まり、三人は俯いたままリフトから降りる。

 エルムが目を泳がせ、作ったような明るい声で言った。

「リフト、降ろした方がいいかな。もしかしたら、戻ってくるかもしれないし……」

 ハーデスティは無言で首を横に振った。

「行こう」

 シャンシーが呟き、三人は薄い鉄板の上を歩き出した。



 重たい空気の中、足を引きずるように歩いていたハーデスティの思考を物音が遮った。


 彼女は足を止めて正面を睨む。L字型に曲がった手すりの先、壁の角で遮られた方から足音が響いていた。

「誰かいますわ」

 シャンシーが頷き、銃の引き金に手をかける。

 ハーデスティは斧を握りしめた。


 足音が近づき、黒い影が足元に落ちる。

 ハーデスティは一気に斧を振り上げた。


「お嬢様!」

 懐かしい声に、ハーデスティは頭上に斧を掲げたまま動きを止める。


 いつもは陰鬱で表情のない従者の顔に、困惑と憂慮が浮かんでいた。

「ギュンター……」

 ハーデスティの後ろで、少し迷ってからシャンシーが銃を下ろす。


「ハーデスティさん! 無事だったんですね、よかった……」

 ギュンターの後ろから現れたディナ・バックナーが駆け寄った。

「お嬢様、遅くなりました。お怪我はありませんか」

 ハーデスティは手から斧を取り落とし、近づいた従者の足元に座り込んだ。


「ええ、私は無事よ……血も全部返り血だから……」


 ハーデスティの湿った重たいドレスから、様々な色の混じった汚れた水が染み出して、鉄板の上に模様を作った。

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悪役令嬢・ロワイヤル 木古おうみ @kipplemaker

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