3:悪役令嬢・死亡遊戯

「殺し合うって……冗談ですよね? 何かの例えとか……」


 震える声でテレサが言った。

 ドレスから露出した肩と胸元の肌には、暗がりでもわかるほど鳥肌が立っていた。


 辺境伯ダミアン・ロバートソンは表情を変えずに、首を横に振った。


「冗談でも比喩でもない。この館には様々な罠や獣、刺客を用意している。君たちにはそれを切り抜けて、私の待つ最奥部まで辿り着いてほしい。もちろん、参加者どうしで殺し合うのも構わない。最後のひとりになった時点でゲームは終わりだ。生き残った者を私の妻にしようと思っている––––照明を」



 ダミアンの声に応じて、会場が光に包まれた。


 壁に映り込む影のように、何十人もの黒い服に身を包んだ使用人たちが、各々の武器を携えて令嬢たちを取り囲んでいた。


 息を呑んだハーデスティの前に、ギュンターが進み出た。

「お嬢様、私から離れずに」



 会場の入り口の扉の前に立ちはだかった執事長ジェイソンが、散弾銃を構え、ギュンターの胸に向ける。


「君は?」

 バルコニーから、ダミアンが低い声で言った。

「ソーヤー家の御息女ハーデスティ様の使用人ギュンターです。私の主人の所有物として参加している。認めていただけますね」

 ダミアンは口元を抑えて、初めて笑みを浮かべた。

「いいだろう。従者を使うのも貴族として必要な素養だ。良い働きを期待している」



「いい訳があるか!」

 会場に鋭い声が響き渡った。

 シンクレア・アンブローズだった。


 ブーツの高いヒールを打ち鳴らし、近寄った使用人を振り払い、彼女は静まり返った会場を進む。


退け」

 シンクレアは扉を守るように立つ執事長ジェイソンと向かい合った。

「お戻りいただかなければ困ります。貴女様も参加者ですので」

「何が参加者だ。私はパーティに招待されたが、こんなふざけた遊戯に参加した気はない。怪我をする前に退け」

 ジェイソンが苦笑を浮かべる。



 張り詰めた空気の中で、ハーデスティの喉から呻くような声がひとりでに漏れた。

「シンクレア、戻った方がいいわ……そういうのって……」

 ハーデスティの声は彼女に届かない。



 シンクレアが声を張り上げた。

「こんなところにいられるか! 私は帰らせてもらう!」



 ぐしゅ、と木の実を潰すような音がした。


 パーティ会場の時が一瞬止まる。



 シンクレア・アンブローズの頭部が、赤い煙に変わって霧散した。


 入り口付近にいた四人の使用人が、筒状の奇妙な武器を掲げ、彼女に狙いを定めた状態で静止していた。

 いつ、何が発射されたのか、誰もわからなかった。



 止まっていた時が動き出したように、首を失ったシンクレアの身体がずるりと傾き、鈍い音を立てて倒れる。

 絨毯に叩きつけられた亡骸が、未だに意思を持っているかのように一度跳ねた。



 絶叫が響き渡った。



 床にだらりと広がった豊かな金髪に、先程までその中に収まっていたはずの脳味噌が絡みついている。

 赤の絨毯は、上に横たわったシンクレアの血を吸ってどす黒く染まった。


 後ろで押し殺したような呻きとえずく声に続いて、吐瀉物があげる濁った水音が響いた。

 別の少女のつんざくような悲鳴がやけに遠く聞こえる。



 無惨に横たわる、先ほどまで王国近衛兵長の娘だった亡骸を、黒服の男たちが絨毯ごと巻き上げて手際よく片付けていった。



「何でこんなことになってるの……」

 胃液で細い指とドレスの裾を汚したディナが呆然と呟く。

「こっちが聞きたいわよ……」

 ハーデスティは吐き気を押さえながら言った。目の前に立つギュンターの表情は見えない。今すぐに縋りつきたかったが、指一本も動かなかった。



「マジかよ……」

 蒼白な顔で呻いたシャンシーの顔には、そばかすに混じって小さな赤い点が散っていた。

 立ち去ろうとするシンクレアを止めようと近づいた彼女は、生温かい血しぶきを浴びていた。



「ダミアン・ロバートソン……!」

 会場の中央で立ち尽くしていたノヴァが低く呟いた。

 切り揃えられた前髪の奥からバルコニーを睨むその眼は、殺意を滾らせていた。


「嘘でしょう!? 嫌だ、嫌だ、助けてよ、お父様!」

 エルムが泣き叫びながら、その場に座り込む。

 絨毯に染み出した血が重みで滲み、彼女に忍び寄るように、広がったドレスの裾を朱色に染めた。




「助けは来ない」

 会場の混乱を無表情に見下ろしていたダミアンは、抑揚のない声で言った。

「不参加を表明した者がどうなったか見たはずだ。生きて帰りたいならゲームに勝つしかない。最初の試練は用意してある」


 背後で重たい低音が響き、令嬢たちが身を竦めながら振り返る。

 ギュンターが素早く回り込んでハーデスティを庇い、彼女はその腕の隙間から音がした方向を垣間見た。


 パーティ会場を仕切っていた暗幕が押し上げられ、灰色の壁をくり抜いたような空洞が三つ、待ち構えるように黒い口を開けていた。



「外敵から国を守る辺境伯の妻として、賢い選択は常に求められることのひとつ。君たちには今から三十秒のうちに三つの道のどれかを選び、進んでもらう。誰と協力してもいいが、ここに留まるという選択肢はない」


 刀や斧を携えた使用人たちが一斉に武器を構えた。


「三十秒過ぎてここから動かなかった者は、彼らが殺す」


 豪奢な照明が放つ光を反射して鈍く光る刀身を向け、にじり寄る使用人たちを前に、八人の花嫁候補は徐々に後ずさった。



「ギュンター、どうすればいいの」

 小声で尋ねたハーデスティに、一瞬唇を噛み締めてからギュンターは言った。

「今の状況では判断できません。どこでもいいから選びましょう。何が出ても、お守りします」



「ダミアン・ロバートソン!」

 叫んだのは、ドレスの裾から隠し持ったレイピアを抜いたノヴァ・シェパードだった。

 切っ先をバルコニーに向け、彼女は怒りを押し殺すように言った。

「姉を来させなくて正解だった。お前はやはり狂人だ……必ずお前に辿り着くぞ」



 ダミアンは暗い瞳を歪ませて、小さく笑った。

「待っている、私も君が何者か知りたいからね。だが、まずは早く選んだ方がいい。時間がないぞ」


 三つの入り口の前で立ちすくむ令嬢たちに、ゆっくりと刃が迫る。



「差し出がましいことをお聞きして申し訳ございませんが」

 この状況で場違いなほど落ち着いた声でシロノが言った。

「この遊戯に当たって、館の中の調度品やその他、貴方様の財産を傷つけることは許されているのでしょうか?」



 使用人たちがわずかに動揺するのに構わず、ダミアンは言った。

「もちろん。できることなら何をしても構わない––––時間だ」



 その声を合図に、斧を構えた使用人がシロノに斬りかかる。



 鈍い音を立てて風を切った刃は、彼女の首に届く手前でぴたりと止まった。


 手斧を振りかぶったはずの男の身体には、首から上がない。

 絵画に切れ目を入れて横にずらしたように、男の首はいつの間にか抜刀していたシロノの刀の峰に乗っていた。


 彼女が刃を返し、腐った果実のように首が地面に落ちるのと同時に、男の身体が崩れ落ちる。



「恐れながら、最早この場にひとの道理はない様子。でしたら、わたくしの如き畜生の剣にも使い道がございましょう––––」


 返り血ひとつ浴びていないシロノは、静かに剣を構えた。

 使用人たちが彼女に狙いを定める。

「わたし、お願い! わたしも守って!」

 エルムが叫んで彼女に縋りついたが、シロノは振り返りもしなかった。



 抜刀したままのノヴァが叫ぶ。

「駄目だ、ふたりとも! 相手が多すぎる、早くこっちへ!」

 声は銃撃に掻き消された。



「あのひとたちが騒いでる間に早く行った方が良さそうだけど」

 カースティが初めて見たときの物憂げな表情のまま呟いた。

 答える前に、彼女は硬質な足音をひとつ立て、中央の入り口に消えた。



「くそっ……君もひとまず早く逃げないと!」

 ノヴァは真っ青な顔で立ち尽くしていたテレサの腕を引き、右の入り口へと走り去った。

 シャンシーが辺りを見回し、舌打ちしてからそれに続く。



「お嬢様も」

 従者の声に我に返ったハーデスティは肩越しに後ろを振り返った。


 シロノが使用人と切り結ぶ様を背景に、ディナ・バックナーが震えながら立っていた。


 彼女はじきに殺されるだろう。

 そうすれば生き残る確率も上がる。


 踵を返して進もうとしたとき、ハーデスティが今まで同世代の少女の誰からも向けられたことのない、素朴な微笑みが浮かんだ。



「何をしていらっしゃるの? 死にたくないなら早く来なさい!」

 弾かれたようにディナが顔を上げる。


「ギュンター、真ん中の扉に行きます! 前を行きなさい」

 ギュンターが口角をわずかに上げて、首肯を返した。



 ディナが駆け足でついてきたのを確かめてから、ハーデスティは魔物の喉のように暗く長い闇の中へ飛び込んだ。

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