死のトラップルーム回

4:悪の毒々令嬢(前編)

 暗く長い廊下は、奥に進むにつれて茫洋とした光が差し始めた。


 前を走るギュンターの背中を見ながら、ハーデスティは後ろから頼りない足音がついてきているのを確かめた。



「あの、」

 後ろで息を切らせているディナが、掠れた声で言った。

「ありがとうございます。私、声をかけてもらえなかったらずっと動けませんでした」


「別に……」

 ハーデスティは振り返らずに、呟く。


 肩越しに見るディナは顔色は悪いが、パーティ会場で見たものと変わらない微笑みを作って見せた。

「優しいんですね」


「まさか。論理的に考えただけですわ。単純に花嫁候補をひとり残したいだけならあの場で殺し合わせれば済む話。最奥部の自分まで辿り着けということは、このゲームの真意が他にあるはず。最初から無闇に参加者を減らすのは得策でないと思ったからよ」

 ディナは無邪気に目を丸くした。

「ハーデスティさんは優しいし、賢いです」



「気持ちの悪い媚を売らないでくださる? 私たちは打算で協力しているだけで、本来––––」

「伏せてください!」

 努めて厳しい口調を作ったハーデスティを、ギュンターが遮った。



 思わず立ちすくんだ彼女を、振り向いた従者が押し倒す。

 ハーデスティが悲鳴を上げる間も無く、床に伏せたふたりの上を重たい風が吹き抜ける。


「え……」

 ギュンターは、その後ろで棒立ちになったままのディナを見ると、伏せたまま一瞬で彼女の足を払った。


 仰向けに転んだ彼女の鼻先を鈍い光を放つ何かが掠める。


「あ痛た……」

 身を起こそうとしたディナに、ギュンターが鋭い声で言った。

「動くな!」


 どん、と音を立てて、何かが床に広がった彼女の栗色の髪を縫い止めるように刺さる。

 それは死神の鎌のような、巨大な弧を描いた刃だった。

 断ち切られた髪がひとふさ落ち、ディナは声にならない悲鳴を上げた。



 ハーデスティの後頭部に回した手を引き抜きて、立ち上がりながらギュンターが言った。

「あと二秒遅れていたら、三人とも真っ二つでしたね」


 ハーデスティは従者の手に縋って、身を起こした。

 身体にはギュンターの体温が残っていたが、脳の芯が凍りつくように冷たい。



「……あちらの彼女も助けてよかったんですよね?」

 呆然と座り込んだままのディナを、ギュンターが顎で指す。

「本人の前で言わないでちょうだい」

 いつも通りに答えようとしたハーデスティは自分の声が震えているのがわかった。



 ギュンターは首の棒タイを止めていたピンを外し、暗がりの奥へ放り投げた。

 軽やかな金属音に続いて、無数の矢が降り注ぎ、ネクタイピンに付いた緑の石を粉々に砕いた。


 ハーデスティは息を飲む。



「どうやら罠が大量に仕掛けてあるようですね」

 ギュンターは驚いた風もなく言った。


「戻った方がいいですか」

 ディナが胸の前で両手を握りしめて尋ねる。


「いや、他の道が安全だとは思えません。それに他の参加者と鉢合わせるのも危険だ。全員が協力的とは限りませんからね」

 黒いベストのふたつのボタンのうち、ひとつを引き千切った。



「音か重量かのどちらかに反応しているなら、これで少しは切り抜けられます」

「シャツもベルトも外すつもりではないでしょうね」

 ハーデスティの声に、ギュンターは肩をすくめた。

「そのときはまた考えましょう。御主人から預かった結婚前の令嬢に、従者が肌を見せるわけには行きませんから」


 本心とも冗談ともつかない平坦な口調にハーデスティは溜息をつく。後ろでディナが小さく笑ったのが聞こえた。



「おふたりとも、私から離れずに」

 ギュンターはそう言うと、千切ったボタンを虚空に投げた。

 一拍置いて、地面に落ちたボタンを弾くように、鋭い剣が床板から飛び出した。



「行きます」


 剣の間を縫って駆けるギュンターの後ろに、ハーデスティとディナが続く。

 突き出した剣にドレスの裾を裂かれたディナが短く叫んだ。


 ギュンターが足を止めずに、ベストからもうひとつのボタンを外して投擲する。

 轟音を立てて、壁の両脇から炎が噴き出した。


 熱と風に眉をひそめ、炎が消えてから前に進み出た彼の前に、高速で回転する刃が突き出された。



「ギュンター!」


 ハーデスティが叫ぶのと同時に、彼はボタンを失った黒のベストを脱ぎ捨て、鋭い音を立てて迫る刃に覆い被せた。

 鼓膜を掻き毟るような金属音とギュンターの呻きが混ざる。

 ハーデスティは咄嗟に目を閉じた。



 耳障りな高い音が徐々に弱くなり、残響を残して完全に静止する。

 ゆっくりとハーデスティが目を開くと、回転を止めた刃にまとわりつくぼろぼろになった黒い布と、額の汗を拭う従者の姿があった。



「こういう精密機械は、強い布地を噛ませると繊維が絡んで回転を妨げるんです」

 ハーデスティは深く息を吐いた。



「ソーヤー家の御主人が使用人の服にも出費を惜しまない方で助かりました」

「当たり前よ。使用人はソーヤー家の顔とはいかないまでも、玄関マット程度ではあるのですから」


 ディナが恐る恐る言った。

「踏むんですか?」

「踏みません。言葉の綾です」

「そうですよね––––、ギュンターさん、後ろ!」


 ディナの叫びに振り向いた彼の真後ろに、黒い影が浮かび上がった。

 ギュンターは咄嗟にベルトから引き抜いたナイフを振りかぶる。



 暗闇を切り裂いた切っ先が、白い喉を貫く一歩手前で止まった。


「私は別に罠じゃないんだけれど……もう競争者狩りを始めてるわけ?」

 わずかに反ってナイフを避けた令嬢が、疲れ果てたような声で言う。



「あなたは……」

「カースティ・セノバイト。そろそろ下ろさない?」

 薄く濁った金色の瞳で刃の先端を見る彼女を一瞥し、ギュンターは失礼、とナイフを下ろす。



「あなたたちはそっちから来たのね」

 暗い表情で乱れた藍色の髪を払うと、彼女はギュンターと背後のふたりを眺めて言った。


「ここ以外に道があって?」

 ハーデスティが言うと、彼女は顎で自分の背後を指した。

「暗くて見えなかったのかもしれないけど、入ってすぐに細い分かれ道があったの。後から来た奴らと鉢合わせても面倒だし、そっちに言ったんだけど……同じことだったみたいね」



 カースティは爪先で硬い床を叩いた。

「見える? ここから先、床の材質が変わってる。今までは音に反応して罠が出る仕掛けだったみたいだけど、ここから違うのかも」


 ハーデスティとディナは目を凝らしたが、違いは感じられなかった。

「よくわかりますね」

 ギュンターが無表情に言う。

「北はこっちより治安が悪いのよ。危険を察知する能力は嫌でも身につくわ。でも、この人数でちょうどよかった」



 カースティはふたりの令嬢を見据えて、片手を差し出した。

「ふたりとも、リボンを外して」


「なぜ?」

 ハーデスティが訝しげに彼女を見る。

「罠を見分けるのよ。いいから早く。こんな序盤で死ぬつもり?」

 ディナはすでに髪を解いて、ドレスの胸元の飾りまで外していた。


 ハーデスティはそれを眺めてから、不服そうな表情を造って、髪のリボンを外す。



「裾についているのも外しますか」


 ディナが差し出しだした赤のリボンと、ハーデスティの黒いリボンを見比べて、カースティがギュンターに視線を移す。

「あなたのネクタイは……短すぎね」

「お役に立てず申し訳ありません」

「思ってもないくせに。まあ、これなら足りるわ」


 彼女は自分の、片方に垂らすように緩く結んだ三つ編みからも赤紫色のリボンを外す。


 カースティは複雑な編み方で受け取ったそれらを強固に結び合わせると、身を屈めて光沢のある黒い靴を脱ぎ、低いヒールに絡ませるように巻きつけた。



 それを投げ縄のようにしならせて、カースティは言った。


「脱獄囚が牢獄のトラップを避けるのに使う技、見てみたい?」

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