2:パーティで悪役令嬢に話しかけるには
パーティ会場は豪華な様相に反して、陰鬱な閉塞感が支配していた。
重い空気をかき混ぜるように、着飾った令嬢と黒服の使用人たちが緋色の渋滞の上を忙しなく行き交う。
辺境伯の姿は未だに見えなかった。
「豪勢だけど、どこか暗いところね……」
ハーデスティの呟きに従者が答える。
「窓がないからでは? 珍しい造りですが、国境付近に位置する館だ。外敵からの襲撃から来客を守るためでしょう」
「そうかもしれないけれど……」
俯いたハーデスティの耳から、イヤリングが外れて床に落ちた。
「あっ……」
繊細な細工の施された赤い宝石は、意思を持ったように滑っていく。
ギュンターが素早くそれを拾って、ハンカチで拭う。
「失礼」
横顔を向けた彼女の耳にイヤリングをつけ直すギュンターに、ハーデスティは言った。
「私から逃げるみたいだったわ」
「さすがのお嬢様でもイヤリングにまでは恨まれないでしょう」
従者を睨みつけるハーデスティの後ろで声がした。
「床が傾いてるんじゃねえか?」
視線をそちらに向けると麻薬王の娘、ドン・シャンシーが立っていた。
「拷問部屋みたいだよな」
ハーデスティの怪訝な視線に構わず、彼女は淡々と言った。
「拷問するとさぁ、いろんなもの垂れ流すだろ? 床を真ん中に傾けといて、そこに排水溝つけとくと、 一気に洗い流せるんだよ」
ハーデスティは眉をひそめた。
「教えていただいたお礼に私からも言いますけれど、こういう場でそういった話はやめた方がいいんじゃなくて?」
乾いた手拍子が会場に響いた。
招待客の視線が音の方へ集中する。
会場の奥から、白い衣装に身を包んだ男が立っていた。
「ご参加いただいた皆様、お待たせいたして申し訳ありません。執事長のジェイソンと申します。我が主人はもう少々でいらっしゃいます。どうぞ、ご歓談を」
グラスを手にしたエルム・クルーガーが素早く男の側へ歩み寄る。
「お招きいただきありがとうございます。ダミアン様にお会いできるのが楽しみだわ。ダンスパーティはあって? わたし、ダンスが得意なの」
「それは楽しみですな」
執事長ジェイソンは微笑んで、近くにいたシャンシーに向き直った。
「そちらのお嬢様のご趣味は?」
急に声をかけられ、シャンシーはぎこちない笑みを作る。
「ええと、お茶とお花を少々……?」
エルムが好奇の視線を向ける。
「ダミアン様の亡き母上も園芸を愛していらっしゃいました。薔薇が何よりお好きで。貴女は?」
「竹とか……?」
エルムが小声で笑った。
「竹、ですか? 木材として使う?」
言葉に詰まったシャンシーの後ろから、静かな声が響いた。
「咲きますよ、深い桃色の花が」
口元に手を当てたシロノ・アガサが微笑んだ。
「そんなの聞いたことないけど」
エルムがグラスの縁をなぞりながら不満げに言う。
「
執事長が鷹揚に微笑んで、するりとその場を離れた。
「助かったよ」
声を低めたシャンシーに、シロノは目を細めた。
「嘘も方便と申しますから」
喧騒から離れた場所で飲み物に手もつけず佇んでいたノヴァ・シェパードを、シンクレア・アンブローズが呼び止めた。
「そちらは剣術を学んでいたことがおありか」
ノヴァは驚いたように顔を上げ、
「子どもの頃、少しだけ」
「佇まいでわかる」
無言で目を逸らしたノヴァの隣に並んで、シンクレアは言った。
「自分の姉から招待状を奪って参加したというのは本当か?」
ノヴァは彼女の方を見ずに答えた。
「私の方がこの場に相応しかった。そう思ったからです」
シンクレアは深く溜息をついた。
「剣術を学んだ身なら自分に恥じない戦いをすることだ」
硬い靴音を立てて離れた彼女を見送って、ノヴァは沈鬱に俯いた。
女優のテレサ・カスタベットと北方から訪れたカースティ・セノバイトが形式的な会話を交わすのを、遠巻きに眺めている少女がいた。
パーティに駆け込んできた、ディナ・バックナーだった。
「彼女は溶け込めていないようね」
ハーデスティが囁くと、ギュンターは一瞬だけ彼女を見て言った。
「出自が違いますからね。バックナーは最近成り上がったばかりの商人の家だ。由緒も何もない成金と言われてきたんでしょう。彼女自身の人柄は明るく純朴だと噂ですが」
ハーデスティはスカートの裾をつまむと、彼女の元へ歩み寄った。
「お隣、よろしくって?」
ディナはハッとしたように振り返り、慌てて端に避けた。
「ど、どうぞ」
ハーデスティは努めて穏やかな表情を作り、微笑みかける。
「緊張しないで。同じ参加者どうしでしょう?」
ディナは少し安堵したように笑った。
「こういった場は得意ではないのかしら?」
「緊張しちゃって……駄目ですね、もうすぐダミアン様がいらっしゃるのに」
ディナはそう言って、少しの間黙りこんでから、顎をわずかに上げた。
「私、昔あの方に会ったことがあるんです」
「辺境伯に?」
「はい。あの方は覚えていないと思うんですけれど、幼い頃森で迷ったとき助けてもらったことがあるんです。立派な方でしたけど、何ていうか、少し寂しそうで……もし、このパーティでまた逢えたなら、もっと知りたいし、できることなら支えてあげたいって思うんです」
恥ずかしそうに笑った彼女に、ハーデスティは微笑み返して、その場を離れた。
遠くから見守っていたギュンターが、戻ってきた彼女に片方の眉を吊り上げる。
「思わぬ大穴でしたね。手強そうだ」
「盗み聞きなんて趣味が悪くてよ」
そのとき、照明が落とされ、会場が闇に包まれた。
エルムの小さな悲鳴が響く。
続いて、急に射した光に目を向けると、劇場のバルコニー席のように壁を抉って造られた空間が強烈な照明で照らされていた。
光の中に痩せたシルエットが浮かび上がる。
「お出でになりましたな」
暗がりの中で執事長の男の声が響いた。
「あれが……」
ハーデスティは低く呟いた。
光の幕を裂いた切れ目のように、徐々にひと影が輪郭を帯び、会場を見下ろすように現れた。
光の粒の絡んだ砂色の髪を揺らして、彼は遥か下を眺める。
想像よりも若く、噂の通り整った顔立ちだが、どこか影があると、ハーデスティは思った。
「辺境伯ダミアン・ロバートソンだ」
短くそう言った彼の声は、沈鬱な響きをはらんでいた。
「集まってもらった諸君らには、話したいことや見せたいものが山ほどあるだろう。だが、私はどれも無意味だと思っている。そんなものはいくらでも偽れるからだ」
令嬢たちの間に小さなざわめきが起こる。
辺境伯は長い金色の睫毛に縁取られた目を伏せ、手すりにそっと触れると、子どもに御伽噺を聞かせるような静かな声で言った。
「私には、幼少の頃からふたりの従者がいた。
ひとりは常に私を褒め、早逝した両親に変わって幼い私を楽しませようとしてくれた。
もうひとりは無口で何を考えているかもわからない、冷たい男だった。
しかし、十歳の私が乗った馬車が賊に襲われたとき、あれほど優しかった従者はひとりで逃げ、恐ろしいと思っていた従者は私を庇って胸と腹を刺されても、私を離そうとしなかった。
人間の本質は死が迫ったときにこそ現れる––––、私はそう思う。だから、」
彼はわずかに顔を上げ、集められた九人の花嫁候補たちを眺めた。
「君たちには殺し合ってもらう」
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