1:九人の悪役令嬢(後編)

 どことなく温度がさらに下がったように感じる灰色の庭を進むと、一羽の鴉が猟銃で撃ち抜かれたように地上へ墜落した。



 従者がハーデスティの肩を軽く引いて退がらせた。


 地面に衝突した鴉は、鋭いくちばしから白い泡を零してもがいている。

「誰かが撃ったのかしら」

「銃創じゃこうはなりませんね。これは……」


 ギュンターが言い終わる前に、冷たい足音が響き、磨かれた黒い靴の先が鴉の喉を押し潰した。



 黒い衣装に身を包んだ血色の悪い女性が、手袋で鴉の羽をつまみ上げ、ふたりに見せつけるように掲げた。

「肥えてる」

 目を剥いたハーデスティに、彼女は淡々と言った。

「鴉のことよ」



 彼女の髪は黒や茶というより、薬剤に浸したような藍色だった。

「餌が、たくさんあるのかしら」

 そう呟いて、鴉の亡骸を放り捨てると、手袋の汚れを気にする素振りもなく歩み去っていった。



 ハーデスティはなるべく死体に近寄らないよう迂回しながら進んだ。

「何なの、あのひとは」

「カースティ・セノバイト。北方に古くからある名家の子女だと聞きますが、セノバイト家の生業は……」



 そのとき、背後で金切り声が響いた。



 ***



「何これ! 気持ち悪い! 何でこんなところで鳥が死んでるの?」



 甲高い声に額を抑えながら、ハーデスティは言った。

「振り向かなくてもわかるわ。エルム・クルーガーね。あのクソガキ……」

「言葉遣いが乱れています、お嬢様」



「あれ、何で男のひとがいるの」

 癖のある柔らかい金髪をふたつに結んだ少女は、ドレスと同じ薔薇色の瞳を眼窩から零れそうなほど見開いた。



「お嬢様の所有物として参ったことになっております」

 ギュンターは光のない目でエルムを見下ろした。

「じゃあ、わたしも気を使わなくていいよね」

 そういうと、エルムはギュンターの腕に抱きついた。

「ねえ、わたし鴉が嫌いなの。一緒に行って?」


「離れなさいな。他人のものを勝手に触るなと貴女のお父様は教えてくれなかったようね」

 陶器のような白い頬をギュンターに押しつけたまま、彼女はハーデスティを見上げた。


「そんなに大事ならこのひとと結婚すれば? そっちのが似合ってそう」

「私に勝つ自信がないのね。辺境伯が盗人を妻にするとは思えないから当然かしら」



「お兄さんはどう思う?」

 エルムはギュンターを見つめて言った。

「物は人間を品定めしませんから」

 彼女は表情を打ち消して、するりと腕を離した。


「続きはパーティ会場でしましょう」

 エルムは手を振って、道の先へ進んでいった。



「物と言ったことを根に持っているの」

「物は怒りませんから」



 ***



 一歩踏み出そうとしたハーデスティは、急に凍りつくような冷気を感じて思わず身を竦めた。

 刀身を喉元に押し当てられたような殺気に息がつまる。


 ギュンターが庇うように素早くハーデスティの前に回り込んだ。


 レースの襟元を抑えて、従者の肩越しに見ると、驚くほど華奢なひと影があった。



 バスローブのように見える東方の晴れ着に身を包んだ女性は、濡れたような黒髪を腰まで垂らして、静かに佇んでいた。



「お、驚かさないで……」

 彼女はえくぼのように見える頬の黒子を小さく歪め、貞淑に微笑んだ。

「滅相もございません。施無畏せむいも三施のひとつと申しますから」


 彼女が真後ろまで来ていたというのに、足音が全く聞こえなかった。

 サンダルのような柔らかい素材の靴のせいかと、ハーデスティは思う。


「お初にお目にかかります。極東の阿笠一刀流派アガサ家の娘、シロノ・アガサでございます」

 そう言って一礼したシロノは、布に包まれた刀を腰に帯びていた。



「会場に武器を持ち込むつもり?」

 シロノは微笑した。

わたくしの信じるものはこちらでございますので」

「入り口で追い出されないかしら」

「私のような女にお気遣いいただいて恐縮でございます。人徳でございますね」


 彼女の瞳は全く笑みをたたえていないのに気づいて、ハーデスティは虚勢をはるように言う。

「辺境伯の妻探しに剣道が活きるかしら」

 まぁ、とシロノは小さく眼を見張る。


「活かすなどとんでもない……私の剣はせいぜい畜生の剣、力で押すだけの殺人剣せつにんけんでございます」

 そう言って鞘をなぞるシロノの視線は、ギュンターとハーデスティから一切逸れない。



「極東からの船旅でお疲れでしょう。早く受付をなさって会場でお休みになっては」

 ギュンターはそう言いながら、懐に手を入れた。


「御厚意痛み入ります。では、お先に」

 頭を下げて、ふたりを追い越したシロノはやはり足音がしなかった。



「ああいうひともいるのね……」

 ハーデスティは彼女の後ろ姿が見えなくなってから呟いた。

「斬りかかってくるのではと思いましたよ」

 従者が取り出しかけたナイフを懐に収めるのを見届けたとき、背後から声がした。



 ***



「君たち……いや、貴方たちはパーティの参加者ですか。彼女も?」


 声の方向を振り返ると、赤毛を肩の上で切り揃えた、幼さの残る少女が立っていた。


「そうですけれど……」


 彼女は太い眉をひそめて、道の向こうを睨んだ。

「てっきり刺客か何かかと思ったけれど、そうか……」

 低い声で呟く彼女にハーデスティは言った。

「他人のことを聞く前にご自分が名乗るべきではなくて?」


 彼女は驚いたようにハーデスティを見ると、わずかに眼を泳がせた。

「失礼、私はシェパード男爵家のノヴァ・シェパードです」

 毅然としているが、わざと作ったような声の高さに違和感を覚えつつ、ハーデスティは言った。


「マサーカー地方領主の娘、ハーデスティ・ソーヤーですわ。こちらは従者のギュンター」


 ノヴァはふたりを見比べて、頷いた。

「会場までご一緒しても?」

 ハーデスティは従者を見たが、肯定とも否定ともつかない視線が返っただけだった。

「構いませんけど……」



 霧が漂い始め、死人に抱きつかれているような重苦しく冷たい空気の中を三人は無言で進んだ。


 ハーデスティが沈黙に耐えかねたとき、ギュンターが顔を上げた。

「あれが館のようですね」



 近くで見る館は、馬車を降りたときに思ったよりも巨大で堅牢だった。

 白く塗り固められた長方形の、質素だが息苦しい趣は、辺境伯の館というより凶悪な罪人たちを逃がさない不落の牢獄のように思える。


 ノヴァは一歩進み出し、正面を向いたまま言った。

「ソーヤー嬢、貴方の執事から離れない方がいい。この館も辺境伯もパーティも、どこかおかしい」


 返答を聞かずに、ノヴァは重厚な黒い扉へ向かった。



「彼女は何なの」

「彼女?」

「ノヴァ・シェパードよ。シェパード家は聞いたことがあるけれど」

「シェパード男爵は社交界にもあまり出ない方ですからね。ただ、聞いたところでは御息女の名前はノヴァではなく……」



「エイプリル・シェパード様ですか」

 扉の前に佇むふたりの使用人がノヴァを呼び止めたのが聞こえる。

「私の姉、エイプリルは病床に伏せっているため来られない。妹のノヴァ・クラークが来ると事前に伝えたはずです」


 使用人はノヴァの深緑色の力強い瞳と招待状を見比べた。

 片方が目で扉を示し、もう片方がドアノブに手をかける。

 悲鳴のような音を上げて、扉が開いた。



 ***



 ノヴァの姿が見えなくなったとき、忙しない足音が響いた。

「遅れてすみません!」


 振り返ると、緩く結んだ栗色の髪の髪を乱した少女が息を切らせて立っている。

 村娘のような素朴な表情で辺りを見回しながら、彼女は言った。


「あの、まだ間に合いますか? 私、道に迷って」

 泣きそうな顔でハーデスティを見つめる少女に、ギュンターが扉の方を示す。

「あ、ありがとうございます!」


 彼女はスカートの裾をつまんで慌ただしく駆けていった。


 使用人の前で少女は、法廷で陳述でもするかのような強張った声で言った。

「あの、ディナ・バックナー。商人の娘です。でも、商人と言っても……あ、お招きいただき光栄です!」


 使用人は驚くそぶりも見せず手を差し出し、ディナが慌てて招待状を取り出す。


 ふたりの使用人に促されて、早足で少女は消えていった。



「我々も行きましょうか」

 ギュンターに言われても、ハーデスティは動けなかった。


「本当にいいのかしら」

 従者はハーデスティを見つめた。

「今日のためにやってきたのはわかっているのよ。でも、本当にこれでいいのか、何か別のやり方があるんじゃないかって……」

「お嬢様」

 ギュンターは唇をわずかに歪めた。

 長年の付き合いで彼なりに笑みを作ろうとしているのだとわかった。


「カードで遊戯をするとき、途中で投げ出したり文句をつけるのは子どものやり方です。配られたカードが何であってもそれで戦わなくては。私も、そうしてきました」


 ハーデスティは顔を上げると、足を踏み出し、扉へ向かった。



 受付を済ませ、会場へ進む。


 九人の花嫁候補を飲み込んだ館の扉が、静かに閉じられ、外からの光が消えた。

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