アルルと秋色⑥
翌日。つつがなくHRまでの工程を終了した俺が、今日もいつの間にかいなくなっていたアルルがいるのであろう中庭に続く道へと足を進めた時、廊下で妙な男子生徒に声を掛けられた。
「お前、昨日あの留学生と一緒にいたんだって? もしかしてデキてんのか?」
日焼けサロンにでも通ってるのか、黒い肌に金髪のチャラチャラしたヤツだ。誰だこいつは?
「いや……そんなんじゃないけど――」
――あんたは誰だ? と続けようと思ったら、そいつがキスでもする気か、と言いたくなるような距離まで詰め寄ってきた。明らかにつけ過ぎな香水の匂いが鼻にまとわりつく。
「無駄な努力はやめとけよ。痛い目見るだけだぜ。色んな意味でな」
俺の返答など聞いちゃいなかったのか、何と答えられようとそう言おうと決めていたのか、ソレだけ言ってチャラ男は去っていった。ようやく香水の匂いから解放され、俺は小さく咳払いをする。
……何だったんだ? あいつもアルルを狙うその他大勢の一人なのか? 全く、モテモテで羨ましいね。俺のモテ期はいつになったら到来するのだろう。
気を取り直して俺は中庭へと歩を進めた。
夕暮れ時のベンチにはまた二人と一匹。昨日と変わらない風景がそこにはあった。昨日と違うモノと言えば、アルルが少し元気がないように見えることくらいか。
「……何か、落ち込んでたりする?」
俺は恐る恐るという程までには遠慮するワケではないモノの、かといってズカズカと、という程にまで無遠慮でもまたない感じで、膝の上のセバスニャンを撫でるアルルの白い手を見ながら質問した。
「……別に落ち込んでなんかいないわよ」
アルルはこちらを見ずに、セバスニャンの背中に視線を注いでいる。
コレがリライだったら『落ち込んでるって言ったほーが落ち込んでるですよ……』とか続くのだろう。目に浮かぶ。
「……もしかして、昨日のデートで大失敗した、とか? 本性がバレて引かれたとか?」
「まさか。コレでもかってくらいチヤホヤされたし、最後にはまた交際を申し込まれたわ」
……つまり、大成功ってことか? 心配して損した。
「じゃあ、なんでそんな元気ないんだよ? まさか飽きたとか言わねーだろな?」
昨日あんだけ偉そうなことを言っておいて、と俺が内心で溜息を吐いていると、
「……何か、無闇やたらに優しくしようとしてくるから、気持ち悪くって……」
アルルが本当に気分が悪そうな声で言った。ソレだけで心配になってしまいそうな声だった。
もし彼女が口許を抑えていたら、俺は即座にエチケット袋を探していたかもしれない。
「そ……ソレは当たり前なんじゃないか? 交際したい異性に優しくしようとするのは」
「明らかに普段の自分じゃないレベルだったのよ。ああいうのを接待とでも言うのかしらね」
……一体何が不満なんだよ。コレだから女ってヤツは。
「逆にぞんざいな態度取られたら怒るくせに。『優しくない』とか言っちゃってさ。優しくされたらされたで文句か! いい身分だな女子高生ブランド!」
「何よソレ。アホね。確かにレディをもてなすのだからある程度の誠実さは必要だと思うけど、あそこまでやられると、優しさを通り越して卑屈、って話よ。そのくせ一丁前に主役顔で交際申し込んでくるのよ。引くわ」
……わ、ワガママな女だ。
「お前はそう思うかもしれないけどな、他の女共は『女が男に優しくされるのは当たり前』って思ってる風習があるんだよ。ソレが男共の脳ミソにも刷り込まれてるの!」
「迷惑な話だわ。そいつが好かれたいのはその他大勢の女子にじゃなくてあたしに、でしょ? だったらあたしの嗜好に合わせなさいよ! もし万が一、付き合うことになった時、ずーっとあんな態度を取り続けるワケ?」
……やれやれだぜ。俺は溜息を吐いた。こいつと話してるとくせになりそうだ。
「まあ、『男は常に優しくあるべきだ』なんてのは間違いなのかもしれないな」
「あら、話せるじゃない」
「お前が言ってるのとは意味合いが違うぞ。そもそも優しさってのは行為を行う本人が決めるモンじゃないって話だよ」
「?」
アルルが怪訝そうに首を傾げる。リライに似てるな、やっぱ。鈴の音はしないけど。
「その人が優しいかどうかはされた側が決めることであって、した側が決めることじゃないって話」
「どういうことよ?」
「好きな相手に優しいヤツって思われたいから親切に振舞う、てのはどうかってこと」
「あんた、さっき異性に優しくするのは当たり前って言ってたじゃない」
「まあ、コレは親父譲りの俺の個人的な考えなんだけど。男からの場合に限っては、ハナから見返りをアテにして異性と接するのはダセーって話。考えてみろよ。男が『俺、優しいだろ?』って自分の優しさを武器にするのなんて情けないだろが」
「……まぁ、言わんとしてることは何となく分かるわ」
アルルが視線を上にやりながら顎に人差し指を添える。なかなか魅力的な仕草だ。リライにはまだ無理だろう。
「だから傍から見て優しく見えても、本人に取っては自分のしたいようにしてるだけで、ソレで相手が結果的に『この人優しいな』って思ってくれたら、ソレはただのラッキーだ、てこと。相手は相手で勝手に思いたいように思うんだから、ソレをアテにしちゃいかんだろ」
「何か頑固というか、こだわりを感じるわね」
「おう。優しいと思われたいから優しくするなんて、順序が逆なんだよ。どいつもこいつもソレが分かってないアホばかりだ」
「ふーん……じゃああんたはそこのところ分かってて、その通りに行動できてるのねぇ?」
力説する俺のテンションを、アルルの質問が遮る。
「……あ、当たり前じゃん」
「は~い嘘~♪ 制約が掛かりました~♪」
「ぐあぁぁああっ!」
アルルがどこか楽しげにニタリと笑う。だ、ダセぇ! 俺ダセー!
「アレだけしたり顔で演説をぶちまけといて嘘とはね。有言非実行。初志非貫徹。意志薄弱。あんたはホントにうすっぺらでカワイソーな生き物なのねぇ」
「見るな! 憐れみの目で俺を見るなぁぁああっ!」
アレは養豚場の豚を見る目だ――ッ!
俺は四つんばいになって地面に拳を打ちつけた。き、消えたい……。
か、片眉を剃り落として清澄山にでも篭るべきなのかもしれん!
しかしソレでもアルルは我が意を得たりとここぞとばかりに追い討ちを掛けてきた。
「うんうん。仕方ないわよ。あんたみたいなちっぽけで矮小な存在は、そうやってできもしない夢想を理想だと思わなきゃ前向きになれなくて死んじゃうモンね~?」
「もうやめてくれぇぇええ! 優しくしないでくれぇぇええ!」
普段からは考えられないくらいの優しい手つきで背中がポンポン叩かれる。
何て情けない。マジメにミジメな気分だ。ミジンコにでもなってアルルの言う通りドブ川のバクテリア達と戯れるのが相応しいのかもしれない……。
「まあ生きてればいいことあるわよ。頑張って♪」
……こいつはホントにいい性格してるな。普段隙あらば『死ね』とか言ってくるくせに……明らかに落ち込んでる人に『頑張れ』がダメージになることを知ってて言ってやがるな。
「ああ、何かしらこの清々しい気分は。あんたもたまには役に立つわね……ふ、ふふふ」
止めようとしても止まらない様子の笑みをこぼしながら、アルルがうっとりと声を上げる。ちょっと官能的ですらある。
……さっきまでの元気のない少女はどこにいっちまったんだ。
「……で、気分がいいからついでに聞いてみようかと思うんだけど、あたしの魅力って何?」
「……はぁ?」
唐突な質問に俺は怪訝な声を出す。
「いいから、答えて。あたしって一体どこが一番魅力的?」
「顔」
俺は即答した。他に褒めるところが浮かばなかったのか、そこが考えるまでもなく魅力的だからなのかはご想像にお任せしよう。
「そうよね。やっぱりそうよね。う~ん……」
俺は期待していたであろう返答をしたらしい。満足気に頷くアルル。
かと思ったら何かが腑に落ちないらしく、首を傾げている。
「あんだよ。どうした?」
「……いや、今まで告白してきた人達にあたしのどこが気に入ったのか、どこを好きになったのか聞いてみてるんだけど、みんな『全部』とか『雰囲気』とか言うのよね……」
「あー……」
「全部も雰囲気も、ソレが見える程、深いつき合いをしていないのにみんながみんなそう答えるから少し妙に思って」
「あのな、アルル。フツー女ってのはどこが好きかって聞いて『顔』って即答されたら怒るモンなんだぞ」
俺は呆れ顔を隠そうともせずそう説いてやった。
「ええ? どうして? 理解できないわ」
言葉の通り本気で理解できないらしい。彼女は未知との遭遇をしたかのような顔をしている。
「大体『顔がよければ誰でもいいの?』とか『そこは性格って言って欲しいんだけど』とか言ってくるんだよ。あいつらは」
「でも女の子が一番気を使う箇所って顔でしょ? 男だってこっちを見る時は、まず顔見て、胸見て、脚を見るじゃない! むしろ『身体』って言われた方がむかつくわよ!」
……ソリャお前の身体が貧相だからだ……とは、さすがの俺も言わない。
実際に女ってのは身体って言ったら『身体だけが目当てなの?』とかメンドくせーことを言いそうだしな。
「ホント人間って嘘吐きばかりね。絶対そいつら建前上怒ったフリしてるだけで、内心は狂喜乱舞してるに違いないわよ」
……いやぁそんなことは……ある、かもしれないな。ソレもかなり。
「……う~ん。あり得る……のか?」
「当たり前じゃない。あんたみたいに何の取り柄もないゴミみたいな人間には難しい話かもしれないけど、自分が密かに自信持ってる部分を賛辞されたら、どうでもいい部分を褒められるより嬉しいでしょうに」
「ソリャそうだ。褒められたいところを褒められてるんだから。喜びも一入(ひとしお)ってヤツだな」
……アレ? 俺悪口言われた? と思いつつも屈強な精神で俺は話の腰を折らないように彼女の意見に同意した。
「でしょ。で、女の子が褒められたい箇所なんて、顔に決まってるじゃない」
そう確信しているかの如く、腕を組んでふんぞり返るアルル。
……確かに全員がそうだとは思わないが、言われてみれば大抵の人はそうなのかもしれない。
うーん、またこいつからモノを教わってしまったのかもしれん。
「ま、百歩譲ってその言葉が不満だったのだとしたら、そいつらはもっと具体的に褒められたかったのかもしれないわね。『顔』なんて一言だけじゃ湧き上がる喜びに気づけないくらい、想像力の欠如した生き物だったのかもしれないし」
こいつはまた言いたい放題だな。まず自分が正しいという考えありきなんだよ。
「そんなワケで、もう少し具体的に褒めてみて」
「……は?」
「だから、あたしの顔のどこが好きなのか、具体的に言ってみて」
「はぁ? やだよ! そもそも好きだなんて――」
「いいから……ね?」
まさにキラキラといった表現が相応しいであろう輝きを放つ瞳で、こちらを覗き込むようにアルルがずいっと顔を寄せてくる。
……何だ? 何なんだこのラブラブなカップルみてーな会話は?
「え、えー……と」
俺はしどろもどろになってしまった。仕方ないだろ。童貞なんだから。
いや、俺が百戦錬磨の猛者であってもいきなりこんな状況に立たされたらパニクらない自信がないぞ。
……なるほど。アルルに翻弄されている連中の気持ちが少し分かった。このテンプテーションモードのせいか。
「ホラホラ、キャパの少ない脳をフル稼働させて頑張りなさい」
彼女は実に楽しそうだ。しかし毒を吐くのは忘れない……が、この場合に限り毒は俺を落ち着かせる薬となったようで、俺は半ばヤケクソであと先のことを考えるのをやめた。
「まず、肌がすごい綺麗だよな……ひんやりとしてそうで……でも柔らかそうで……積もったばかりの雪みたいに白くて……目を奪われる」
「……ぁ」
「あと、唇が綺麗なピンクで……濡れてるみたいにツヤがあって……色っぽい、な」
「……ほ、他には?」
「ん……やっぱ、瞳かな。すっげーまつ毛長いし、目ぇデカいし……メチャクチャ磨きこまれた宝石みたいに碧い……瞳に映ってる俺が見えるくらいだモン」
「……も、もっと」
「うん、やっぱり綺麗、ってのが一番しっくりくるな。お前は、宝石みたいだ」
「…………」
……何だ? アルルが黙ってしまった。少し困ったような、何て言おうか考えている、といったような表情だ。
或いは、何て言ったらいいか分からない……のかもしれない。
でもよく見ると口元がニマニマしているような。
言葉を発する代わりに、正面からだと見える、普段白い耳が真っ赤になっていた。多分触ったら熱いに違いない。
「……アルル?」
「な、何……?」
実に珍しいモノを見た。
アルルが、少し目を逸らしながら、はにかんだのだ。こいつが歯を覗かせて笑うなんて、コレは相当レアなんじゃないのか?
「……あ」
そこで俺はアルルの唇から覗く八重歯を見て、初めて自分がドレだけ恥ずかしいことを言ってしまったのかを自覚した。
だって! こいつ! リライとおんなじ顔じゃん! ソレをあんな風に褒めちぎったってのか俺は!?
ぎゃああぁぁ――っ!! わああぁぁ――っ!!
「ど、どうしたのよ? 秋い――」
認めるワケにはいか~ん!
「嘘じゃああ! 調子に乗んじゃねぇええ!」
「――い、いひゃいいひゃい! にゃにひゅんのよ~!?」
俺は先程雪のように白い、と言ったばかりのアルルの頬を抓んで、思い切り引っ張った。
「ぷぎゅっ!」
ソッコーで反撃のストレートを顔面に頂戴した俺は後方に弾け飛び、ベンチから転がり落ちて、童貞には百年早い四十八の快楽技の一つみたいな体勢になった。
「いったいわね! 何しやがるのよっ!」
「あふううぅぅっ!」
当然の如く怒りを迸らせたアルルが、情け容赦のないストンピングの嵐を俺のケツに叩きつけまくった。
……もう少し位置がアレだったら、俺は秋子ちゃんになっちまうところだったぞ。
「全く……何考えてるのよ! 死んで反省しなさい! ゴミ虫!」
「いや失敬……自分の中の何かとの戦いの果てにああなったというか……」
「全くもう。全くもう! 最悪の気分だわ! あたしもう行くからね! 今日もデートなの!」
「おいおいまた別の男かよ? マジでその内痛い目見んぞ?」
「今さっき監視者に暴行を働いたヤツが言ってんじゃねーわよ! あたしが報告したら罪人に逆戻りさせられるんだからね! 分を弁えなさい! このゴミカス!」
そう叫んで彼女は背を向けて歩き出した……とうとう生き物ですらなくなっちゃった。
「いって~」
俺が起き上がると、歩調に怒りを多分に含ませているのが窺えるアルルの背中が、少しずつ小さくなっていくのが見えた。
「……あいつどうにかしてくれよ。セバスニャン。シャレにならないとこだったぞ」
「ニャ~」
今までベンチの上で我関せずとばかりに寝ていたセバスニャンが適当に返事する。
「あ……また生理時のアレについて聞き忘れた」
いや、むしろ聞き忘れて正解だったかもしれない。あの背中に声を掛けていたら、ソレこそトドメを刺されていたかもしれん。
「ニャ~」
「あぁ、そうだな。また明日だな」
そう言って俺も帰路に就かんと歩き出した。
……他にも気になってることはあった。ソレはアルルのほっぺたを抓った時の俺の言葉に制約が掛かっていたのかどうか。
残念ながらソレを確かめる術は俺にはない。ググリ先生もいないから知っているのはアルルだけだ。
しかし、そのアルルに聞こうにも、さっきのことを話題に上げた瞬間、今度こそ男としての俺が砕け散るかもしれん。
「ふん」
……要するに、神のみぞ、というヤツだ。ま、厳密には神でも何でもない、性格の悪いただの小娘なんだが、見た目だきゃ女神と言ってもいいかもな。
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