アルルと秋色②

 ……我が眠りを妨げるは何者ぞ。


 な~んて二次元的でカッコいい台詞は俺の頭にはなかった。


 うつ伏せの身体をノロノロと緩慢な動作でヨジり、呻き声を上げるのが精一杯だった。


「んあぁ~」


「アキーロ! 起きるですよ~!」


 安眠妨害犯の正体は、既に顔馴染みの押し掛け相棒、リライだった。


「おもい……」


 妙に寝苦しいと思ったのは、こいつが布団の上に猫みたいに座っているからか。


 ……女の子が股をおっ広げるなよ。はしたない。


「あんだよぉ……」


 呻きながら俺はノソノソと仰向けになる。


 ソレでもリライは俺の上から降りようとしない。


 手をついて猫座り……いや、跳躍前の蛙みたいなポーズを継続中だ。どっちにしろはしたない。


「アキーロ! 起きるですよ!」


 俺が意識を取り戻したのを確認したからだろう。


 リライはその碧眼を嬉しそうに輝かせて元気な声を出した。


 銀髪の頂でアホ毛が尻尾みたいに踊る。


「……何で?」


「ヒマですよ! 遊ぶですよ!」


「……寝る」


「うひゃっ!」


 俺は無理矢理寝返りを打って目を閉じた。


 リライがやかましい声を上げて床に転がる。


「アキーロ! ヒマですよ~! 暇ひまヒマ~!」


 ええいやかましい。


「勘弁しろよ……俺昨日……てか今日の朝まで働いてたんだぞ……寝かせてくれよ」


「ヒマ~! ニャ~! ウニャ~!」


 再びうつ伏せになった俺の上でリライが背中が痒い時の猫のように転がる。このガキャ……。


「うるせぇ~……勉強してなさいよ……あかさたな全部書いてろ」


「もうやったですよ! リライもうひらがなますたーですよ!」


「……じゃあ自分の名前書いてみろ」


 俺がそう言うと、圧し掛かっていた重みが消え、シャカシャカと音がする。


「ぐえぇっ!」


 と思ったらまた重みが戻ってきた。何故わざわざ俺の上に乗る!?


「できたですよ! コレでひらがなますたーって認めやがれですよ!」


 顔にメモ用紙が押しつけられる。


 俺は怒りを飲み込んで目を開けた。


「……誰だよ『とやまりちい』って……やり直し。俺、寝る」


「アレ!?」


 アレじゃねえ。


「そんなんじゃ平仮名マスターはまだまだだな」


「こ、コレわアレですよ! コンボーもスデのあやまりですよ!」


 弘法な。……寝よ。


 しかしこいつは一体どこでそんな言葉を覚えてくるのだろう。


「ぢゃ、ぢゃあぢゃあ! アキーロも一緒にべんきょーするですよ! ソレならいーですよ!」


 往生際の悪いリライの声がまたしても眠りを妨げようとする。


 勝手に決めんな。無視。


「あとお腹へったですよ~!」


「……コタツのみかん食ってろ」


「全部食っちゃったですよ!」


 ……俺、一個も食ってないんだけど。


「……お腹が減ったリラちゃんは、みかんを買いに行きました。五個入りパックを買いましたが、食いしん坊でアホなリラちゃんは我慢しきれず途中で二個食べてしまいました。さて、持ち帰ったコタツに置けるみかんは何個?」


「……三個ですよ。自分そこまでアホぢゃねーですよ。あと多分自分なら二個どころぢゃなくて全部トチューで食って、売り切れだったってゆーですよ。そのリラちゃんわアホですね!」


 ……コレをアホと呼ばずして何と呼ぶのだろうか?


「ふあ……」


「くあ……」


 俺があくびをすると、何故か俺の背中の上でリライまで眠た気な声を出す。


 親亀の甲羅に小亀……といったさぞ間抜けな絵面になっていることだろう。


「何でお前まであくびすんだよ……」


「移ったですよ。さあ! 観念して起きやがれですよ!」


「あと一時間したら起きるから。今は寝かせてくれ……」


「ダ~メ~で~す~! アキーロいつもそー言って起きねーですから! あと何分……あと何時間……って! 子供みてーですよ!」


「こんなに身を粉にして居候の生活費を稼ぐ子供がいるか。下の毛だってボーボーだぜ……」


「は? 何言ってるですよ?」


 俺のアダルトな発言が理解できなかったらしく、リライが首を傾げる。視界には映ってないが、リライの首についた鈴が音を立ててソレを教えてくれた。


「とにかく、俺は寝るったら寝るぞ! 行儀よくじっとして待ってなさい」


「……分かったですよ」


 完全に納得したワケではないのだろう。


 だが不満そうな声を出しつつも、背中から重みが消えた。


 よしよし。少しは我慢を覚えさせないとな。


 俺は胸中でホッと息を吐いて再び押し寄せるまどろみへと身を任せた。


「ぢー……」


「…………」


 何か視線を感じる。無言の圧力ってヤツだ。


「ぢー……」


「…………」


「ぢーっ!!」


「うるせー! 声に出すな!」


 俺は堪らず上半身を起こしてリライに怒鳴った。


「アキーロが『ぢっとしてろ』ってゆったぢゃねーですか。自分ぢっとしてるですよ」


「子供かお前は!」


「リライ子供ぢゃねーですよ! 下の毛だってボーボーですよ!」


「お前ソレ絶対他所で言うんじゃねーぞ! 大体……!」


「何ですよ?」


 リライが唇をとんがらせて睨んでくる。


 ……お前ボーボーじゃねーだろ、と言いかけて口を噤んだ。さすがに寝起きで下ネタは辛い。


 しかしコレからは俺も言動に注意を払わないといかんな。


 今後こいつが意味も分からずに俺の真似をしてしまうのは非常に具合が悪いというモンだ。


「ご飯! ご飯~!」


「あぁうるせー! 少しは我慢することを覚えろよ」


「アキーロ! イヂワルしねーで起きるですよ~!」


「意地悪じゃない。コレは躾だ」


「アキーロのシツケわシツケーですよ~」


 ……狙ったのかコレ?


 いやリライにそんなボキャはないはずだ。偶発的な現象なのだろう。


「大体、誰の為に頑張って働いてると思ってるんだよ……」


「……自分の、為ですよ」


 リライがしゅんと顔を落とす。


 アホ毛もご主人様と一緒に下を向く。


 ……しまった。


 俺は思わず家庭崩壊呪文を唱えてしまったことを自覚して、自分を罵りたい心持になった。


「……不正解。正解は、俺の為だ。うぬぼれてんじゃねーぞコノヤロっ」


 そう言って俺はリライの額にデコピンをお見舞いした。


「いぎゃっ! な、何しやがるですかぁ……」


「何でもねー……今言ったことは忘れろ。あーもう、起きちまったじゃねーかよ……」


 大きい声でツッコミを入れたせいか、眠気が飛散してしまった。


 ちくしょう。リライの粘り勝ちだな。


「起きちまったんぢゃしょーがねーですね! コレわもーご飯を作るしかねーですよ!」


 一転して嬉しそうな顔になる本日の勝者。


 粘りっていうか反則勝ちだ。


 さすがに無垢な妹が下ネタを癖にするのや、悲しい顔をするのを黙って見てはいられないだろ。


 ソレに、ワガママなのは愛されている自信の表れなんだと親父から聞いたことがある。


『この人はどんなにワガママを言っても自分を愛してくれる』という確信があっての行動なのだと。


 ……俺の場合、ソレを真に受けた直後に兄貴に実力で修正されてしまったが。


「だー……もー。メンドくせ。あんまメンドーな料理は作らねーぞ。何がいい?」


 俺は寝癖でさらにくしゃくしゃになった頭を掻きながら献立のリクエストを尋ねた。


「たまごかけご飯ですよ!」


 ……何てお手軽な妹だ。


 大体ソレなら一人でできるだろうに。


「まあ、お前の言う通り、起きちまったモンは仕方ねー。メシ食うか」


 そう言いながら俺は枕元にあった伊達メガネを装着し、冷蔵庫のタッパーの中で今か今かと活躍の時を待つ冷や飯に出番を与えてやることにした。

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