第二十話

「テメェ……」


「秋にぃ!」


《アキーロ!》


 ……助かったよ。まひるを殴られないで済んだ。


 ここから挽回しなきゃ死んでも死に切れん。実際、俺は再び罪人になりかねん。


 その前に、親父から勘当を喰らうのが先か? 


 ……そうだよ。俺は他の全ての争いに負けても、ここだけは負けちゃならないんだ。


 この戦いは俺にとっての桶狭間であり、赤壁の戦いなんだ。


 しかし、助かった。助かったが、何と言うか――


「――アホだろ、お前ら」


「誰がアホかっ!」


「お前こそゾンビみてーになってたくせに!」


 あー、うるせ。しかしホントよく来てくれたモンだ。


 ……何か、気合が入ったぞ。


「……オメー、まだヤル気かよ。マジで死んでも責任取らねーぞ?」


 そう言ってゴリラがこちらに歩いて来るのが見える。


「は、途中で辞めちまうようなハンパ野郎の空手パンチなんて効かねーんだよ」


「……殺すぞ」


「ホントに空手やりてーんなら、土下座でも何でもして、戻れよ。その方がまだカッコいいぜ」


「……黙れよ。オメー、死ぬの怖くねーのか」


「あはは……ソリャおっかないよ……おっかない、けどな……!」


 瞬間、俺は三山へと向けて走り出した。ソレを見た向こうもこちらに駆け出す。


「秋にぃっ! もうやめて!」


《アキーロ! もう止すですよ!》


「いけ秋! 死んだら俺が代わる!」


「いけ秋! 死んだら骨は拾う!」


 正直、毎度のことだが立ち上がったところで作戦なんて何もない。


 でも! 一発も殴れねーで負けるのは絶対御免だ。死んでもブチ込んでやる!


「……大好きな人に死なれるのは、もっとおっかねぇんだよっ!!」


 俺は思いきり腕を振りかぶった。


 ――戸山家家訓、第四条。『戸山家の男子は有言実行』である!


「そうだろ! 親父っ!!」


 そう叫んだ俺は、後ろ重心で腕を振りかぶり、前に移動させた体重を踏み込みで受け止めてから肩、肘、手首の順に前にやった。


 まひる直伝キャッチボールパンチだ。


 だが、拳を放って来ているのは向こうも同じだった。


 多分、よくて相打ち……いや、コレは向こうの方が早く当たる!


 このままでは、俺はまた後方に吹っ飛ばされ、今度こそ立てないだろう!


 ちくしょう……! ちくしょう!


 やっぱ気持ちだけじゃ駄目なのか? ちくしょう!


 しばらく立てなくなってもいい! 何も食えなくてもいい!


 何とかならないのかよ!


 スローモーションで迫る拳を前に、俺は叫び出したい気持ちだった。


 その時――


《……仕方ないわね》


 ――そんな声が聞こえた。


「……ぁぁあああっ!!」


 ぐしゃ、と鈍い音がした。


 視界は真っ暗だ。何も見えない。何故だ? 殴られたから? いや、そんなはずはない。


 だって……まるで痛みを感じなかった。


「ぐはぁっ!」


 そんな声を上げて目の前に転がったのは俺を先に殴るのがほぼ確定していた三山だった。


 何故こいつは鼻血を出して吹っ飛んでいる?


 そして、何故俺の拳は血塗れになっている?


 俺の右手には、殴った感触はおろか、何かに触れた手応えすらなかったのに。


《あ、アキーロ! 大丈夫ですか!》


 リライの声がする。


 大丈夫? 何がだ?


 またも顔面に何かがへばりつく様な息苦しさを感じて、俺はソレを拭ってみる。半ば予想通り掌には新たなおびただしい血が付着していた。


「秋、大丈夫か!?」


「……何が?」


 俺は慌てる宗二の質問にぽかんとして聞き返した。


「何がって……相打ちになったじゃねーかよ」


 相打ち。え、俺喰らったのか? てか、喰らわせたのか? 全く手応えを感じてないんだが。


「……アレ?」


 気が付いたら、折れたんじゃないかと思ってたアバラからも、足からも、口の中を蹂躙していた鉄の味さえも、身体中から痛みというモノが消えていた。血ももう止まっている。


 コレは……もしかして集中するあまり、アドレナリンが出て痛み止めと止血効果をもたらしたのだろうか。


 しかし何故急に? 理由は謎だが、とにかくチャンスだ。


「は、ははは……はっはっは! 最高にハイってヤツだ!」


 何だか異様な高揚感に包まれて、俺は笑い出していた。イケる! 負ける気がしない!


「俺は……俺は! 天才で! 世界最強の男だっ! そんで第六天魔王で、えーと、スペシャルで! 二千回で! 模擬戦なんだよぉぉぉっ!」


 イケる! つーか、イケると思ってないヤツがイケるモノか!


「と、戸山ぁあ……テメぇぇええ!」


 迸る鼻血を抑えながら立ち上がる三山。その姿を見て、俺は口を開いた。


「もう謝ってくれねーか? あんたもホントは分かってんだろ? どっちが嘘吐いてるか」


「うるせえっ! ふざけんじゃねえっ! いきなり人の妹殴っといて謝れだ!?」


 認めないのか、認めたくないのか、三山は血の混じった唾を飛ばしながら叫んだ。


「……そうだよ、その目だ! その自分だけは違うって、自分は特別だと思ってるそのクソ生意気な目が気に入らねーんだよ戸山ぁああ!」


 ……何を言ってる。こんな平凡な俺が。と一瞬思ったが、すぐに思い直した俺は叫び返した。


「ソレが男ってモンだろが。自分の人生の主人公が自分じゃなかったら、一体誰だってんだ!!」


「うるせえ! テメーも! こいつらも! テメーと同じ目ぇしたあのガキも! 全員ぶっ殺してやる! どいつもこいつも!」


 まひるを……!! このクソガキ……ソレだけは許容できねぇんだよ!


「テメーら全員俺が――」


「まひるは……俺が――」


 再度俺達は互いに駆け出して距離を詰め合った。


「――殺すっ!!」


「――守るっ!!」


 またも鈍い音が夜の公園に響く。二発、三発、四発。もう格闘というよりただの殴り合いだ。お互いの両の手で交互に、同時に拳を叩き込む。


 ……だが、またも不思議極まるが、俺は全く痛みを感じていなかった。謎のスーパーアーマーモードだ。


「……うぉっ!」


「……ぬがっ!」


 七発、八発……九発目を入れたところで、俺の膝がガクッと落ちた。


 どうやら痛みは感じないモノの体力の限界は別らしい。


 この無痛状態という神の贈りモノがあったればこそだが、超の付くほどケンカの弱いド素人のこの俺が、ここまでやっただけでも大したモノだと思う。


 だけど、もう少し、もう少しだけ踏ん張らせてくれ。あとちょっと……どうしても返したい借りがある。どうしても許せないことがある!


「ぜいっ!」


 腰を落とした俺の顔面に正拳が突き刺さった。が、血と汗で滑ったらしく、突如として目の前に三山の顔が現れる。


懐に飛び込めたのだ。倒れる前に……最後の一撃を……!


「……極めてフツーのぉぉ! パーンチ!!」 


「……がっ!!」


 完璧!


 満点と言ってもいいくらいキレイに拳が顎にクリティカルヒットした。……勝った!


 正直、こいつを倒せばあいつを救えるのかというと疑問だ。


 ソレらがイコールであるという確信はない。コレは既に俺の戦い、私闘だ。戸山秋色の戸山秋色による戸山秋色の為の戦いだ。


「……ぁぁああっ!」


 驚くべきことに、白目を剥いて崩れ落ちていく途中で、三山は最後の攻撃をしてきた。


 半分仰向けに倒れ込みながら、上体を反らしながらのアッパーだ。


 既に体力を使い果たし、燃え尽きかけていた俺は、成す術もなくその拳の餌食となった。


 意識がボヤけ、膝が折れる。


 マジでもう駄目だ。


 もう大丈夫だろうか?


 コレまでで、何かを伝えられただろうか……?


 ……誰に?


「秋にぃっ!!」


「――っ!!」


 急にクリアになった視界に、まひるの泣き顔が映った。


 そうだ! まひるにだ!


 何がもう大丈夫だろうかだ! 全っ然、足りねーよ!


 俺もまだ、晴らしてない恨みがあるぞ! どうしても許せないことがあるぞ!


 俺は鋭く三山を睨んだ。


 どうしても許せないこと、ソレは……!


「お前が! お前なんかがっ――!!」


 ドバドバと鼻と口の両方から血を吐き出しながら、俺は最後の力でその巨体に飛びついた。


「――まひるを泣かせたぁっ!!」


 天を仰ぎ叫びながら、俺は両足で崩れかけの三山の膝に飛び乗り、両手でその頭を掴んで、顔面のド真ん中に頭突きを叩き込んだ。


「……秋、にぃ……」


《アキーロ! アキーロ!》


 そのままの勢いで、俺と三山は縺れ合ったまま地面に倒れ込んだ。うわごとの様なまひるの呟きと、うるさいくらいのリライの声が聞こえた気がした。


「……げほっ」


 ……もう、無理。もう限界。


「はぁ……はぁ……」


 大の字になって荒い息を吐く俺は、相手が立ち上がらないことをひたすら祈っていた。


「…………」


《…………》


『…………』


 立ち上がる気配はない……。


 か、勝った。


 三山の近くに例の妹が泣きながら駆け寄って来る。……反省して欲しいモンだ。マジで。 


 気が付くと、俺も宗二や賢、そして、だだ泣き顔のまひるに囲まれていた。


「……ま、まひる……」


「……ん?」


 ぐすぐすの鼻声でまひるが返事する。


「……秋にぃ、カッコよかった?」


「……ん。最高にダサくて、最高にカッコよかった」


「だっはっはっは! ……おし」


「……あは、あははは……バカ……じゃないの」


 俺はお前も笑えと言わんばかりに、豪快に笑ってみせた。








 俺は宗二とまひるの手を借りて、ボロボロの身体を引きずる様にして薄暗い夜道を歩いていた。


 宗二と賢の話では、三山先輩の容態は、俺に比べると軽いモノらしく、あとは置いてきた賢に任せた。


 例の妹にも本当のことを話すように釘を刺しておいたし、詳しい話は後日だ。相変わらず痛みはないが、今日はもう、早く帰って寝たかった。


「しかし、ちゃんと謝らせないでいいの? まひるちゃん」


「そうだよまひる。お前……」


「うん。何かもうどうでもよくなっちゃった。ソレに、多分もうちょっかい出してこないよ」


「……確かに、あんなゴツイ兄貴を倒すくらいしつこい従兄がいりゃーなー」


 先ほどまで大泣きしてたくせに、ケロっとしたまひると、同意する宗二。


 もう吹っ切れたみたいだな。コレでもう彼女が罪人になるようなことはないだろう。


《アキーロ。まひるの浄化を確認したですよ。任務完了ですよ。褒めちぎられてるですよ!》


 いいタイミングで俺の期待の裏が取れたことをリライが報告してくる。ふう……。


「でも、秋にぃ! もうあんな無茶はやめてよ! 死んじゃうかと思った……」


《そーですよ! 前回といい今回といい! 無茶し過ぎですよ! 何回接続を切ろーと――》 


「分かったって! 今回みたいな無茶はもうしない。したくない!」


「……なら、いいけど」


《ゼッテーですよ!》


 うーん。二人の女に心配されるのは嬉しいが、マジで疲れた。やばい、眠くなってきたぞ。


 現場の公園から、まひるの家は近かったので、すぐに送ることができた。


「じゃ、おやすみ」


「え? ちょっと寄ってきなよ! 手当てしなきゃ!」


「アホ。マヨねぇとみこが大騒ぎしちまうだろ。ソレに、全っ然、痛くねーモンよ、コレ」


「……ホントに、大丈夫?」


「本人が大丈夫って言ってるし、俺がちゃんと送っていくから大丈夫だよ、まひるちゃん」


 俺の意識がトビそうなのを察したのだろう。宗二がフォローしてくれる。


「……ん。分かった」


「今後変なちょっかい出してくるヤツがいたら、ぶっ飛ばしてやれ」


「……ん。ぶっ飛ばす」


「あと、高木さんと仲良くしろよ。お前のことだから巻き込まれないように遠ざけてたろ」


「……ん。また仲良くする」


「ソレから、ソレから――」


「大丈夫だよ秋にぃ。もうまひるは、大丈夫だから」


 俺の言葉を遮って、まひるがしっかりとした笑みを浮かべる。


「……そっか」


 もう大丈夫だな。確信した俺は背を向けた。賢が走って来るのが見える。


「おーい、やっと追いついた。帰ろうぜ」


「……賢、ゴリラは?」


「あぁ、知り合いの空手部員に電話して来てもらって、あとは任せてきた」


「もう目、覚ましてんの?」


「あぁ、フツーに立ってたぞ。お前の方がよっぽど重症」


「げ、早いとこ逃げよーぜ。リターンマッチは勘弁だ。じゃな、まひる。おやすみ」


『おやすみ、まひるちゃん』


「……ん。おやすみ。二人共、ありがとうございました。秋にぃをお願いします」


 そう言ってまひるは深々と頭を下げた。何か急にしっかりしてきたような?


「で、連絡した空手部員て、誰?」


 宗二と反対側を支えてくれた賢に俺は聞きながら、歩き出した。


「あぁ、オギワラ」


「……オギワラ、だっけ?」


「……アレ? ハギワラだっけ? どっちだ?」


「携帯のアドレス帳見れば分かんだろ……あ、やばい。俺、寝ていい? もう限界」


「あいよ」


「お疲れ。無理してカッコつけたモンなぁ」


 両側から宗二と賢の返事を聞きながら、俺の意識がまどろみを帯びたその時、


「秋にぃ~~!!」


 はるか後方、自宅の玄関前に立ったまひるの声が聞こえた。


「ありがと~~っ!!」


「…………」


「また、遊びに来てね~~っ!!」


「は、はは……っ」


 近所迷惑だっての。俺は苦笑いしてしまった。


「もう一踏ん張りだ。本日最後のカッコつけどころだぜ。秋にぃ?」


 宗二に背中を叩かれ、俺はヘタる身体に鞭を入れて、大きく息を吸い込んだ。


 まひる……もう大丈夫だな。お前が、元の世界で俺の出会った……あのまひるになることはないだろう。


 ――秋にぃなんて、大っ嫌い――


 あの、俺を拒絶する言葉を叫んでいた彼女には。


「お~~! また遊ぼうっ! 俺が嫌いじゃなきゃな~~っ!」


 夜空に向けてそう叫んだ俺は、精根尽き果てた、とばかりに二人に体重を預けた。瞼が少しずつ閉じて、意識が少しずつ薄れていく最中――


「大好きっ!!」


 ――そんなまひるの大声と、両脇からわざとらしい口笛が聞こえた気がした。

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