第二十一話
翌日、何故だか早起きしてしまった俺は、相変わらず謎の無痛状態が続いていたおかげで、顔面湿布まみれになりながらも登校することができた。
目ざとい教師共の、怪我についての質問責めから逃げる様に校舎を駆け回っていたら、空手部の道場前で、そいつと出くわした。
「……戸山」
「三山……先輩」
そう、俺が昨日KOした三山先輩だ。とはいえ、彼は鼻にデカいガーゼが付いているくらいで、俺達の怪我っぷりを見比べられたら、誰も俺が勝ったなんて信じやしないだろう。
「オメーに、言っとかねーとな」
「な、何スか?」
ゆらりと近づいて来るゴリラに、俺は少し身構えながら言った。
リターンマッチは断固拒否だ。逃げて逃げて逃げまくってやる。
……しかし、俺が勝ったんだからもう少しビビってくれよ!
「…………」
「……ひっ!」
三山先輩がポケットから手を出したのにビビった俺は、自然と情けないガードを上げる。が、何秒経っても攻撃は飛んで来なかった。不思議に思って目を開けると――
「……あ」
――三山先輩が両手を地面に着いていた。
「……妹に聞いたよ。スマンかった。勘弁してくれ」
「……うぇ、いや、俺に謝られても」
「ああ、お前の従妹にも謝りに行く。妹も、今頃頭下げてるはずだ」
「……あい」
情けない返事を口から漏らすのが精一杯だった俺は、ボケっと三山先輩を見下ろしていた。
「んで、更に、だ」
立ち上がった先輩が、朝練の熱気が立ち込める道場に向かって歩き出す。そこは……
「空手部。あんた――」
「昨日のお前の情けなさを見てたら、コレくらい何も恥ずかしくねーって気づいたんだよ」
「…………」
「じゃあな、戸山。俺は空手で世の中に名を残すぞ」
そう言って道場に入って行った影が、先程の様に膝を着くのを見た俺は、踵を返して教室へと歩を進めた。
今朝の土下座シーンはバッチリ見られていたらしい。クラスのみんながよそよそしーよぉ。
今日は賢も来てないし、相変わらず宗二は早い夏休みだし。孤独だ。
しかし、今回はモロにバトルマンガかよ、ってくらいガチだったなぁ。
こんなのは今回だけにして欲しい。正直俺向きじゃない。次回からはもっとスマートにいきたいモンだ。
俺は軽度の高所恐怖症の気があるくせに休み時間に屋上の給水塔の横、いつものバカと煙とお姫様専用の、一番高く、一番景色のいいポジションで横になっていた。
お姫様専用ってのは学校こそ違えど、優乃先輩に会ったのがここに似た場所だったからだ。
……あぁ、あの文化祭前の二人の時間は、堪らなく甘美だったなぁ。
なんてことを考えながら俺が思い出に浸っていると、下方から声が聞こえてきた。
俺がこっそり顔だけ覗かせて様子を窺うと――そこにいたのはアルルとエルルだった。
「一体どういうつもり? あんな肩入れする様な真似をして」
まず驚いたのが、エルルのアルルに対する口調だった。
いつもニコニコして『姉さん姉さん』言ってるヤツが、今は詰問する様に厳しい口調と厳しい表情を見せている。
「確かめてみたかったの。口先だけでなく、我が身を省みず他人を救う人間がいるかどうか」
ソレに対して答えるアルルの表情は、あの時俺が見た裏モード。黒アルルだ。
いつもの『性別を問わず人気者になるヤツのテンプレ』みたいなソレとは程遠い、エルルの言及が疎ましいといったかったる気なモノで、次いで俺は驚くハメになった。まさか弟にもああなのか?
「僕達の役割はあくまで監視と報告だ! 連中に救う価値があるか調べる為の!」
エルルはなおも厳しい表情でアルルに詰め寄る。
「そうね。そして実際あの男は罪人を救ってみせたわ。自分はみっともなく顔を腫らしてね」
風になびく髪を押さえ、紅茶を飲んだ後の溜息の様なトーンでそう返すアルルの仕草は、どこか優雅だった。
コレが彼女の本当の姿なんじゃないかと思わせるくらい堂に入っている。
「あいつみたいな人間は少数派なんだ。ほとんどの人間は自分のことに手一杯なのに、結局救えずに自分自身を殺す様なヤツばかりなんだよ」
「そうね」
「もう一度聞くよ姉さん。いや、アルテマ。何故あいつに肩入れする様な真似をしたんだ」
心なしかムキになっている様に見えるエルルにあくまで冷静なアルル。一体何だってんだ? 姉弟喧嘩にも、禁断の痴話喧嘩にも見えないな。
全部聞こえたワケじゃないが、いくつか聞こえた会話からも全く情報が読み取れん。意味分からん。
「一体あいつら何者なんだ? リライ」
俺は小声でリライに語り掛けた。俺自身には高校時代にあんな外人みたいなヤツらと過ごした記憶はないし、そのことはリライもハッキリと断言していた。
そこで当然出てくる次の疑問は、『じゃ、あいつらは何なの?』ってことだ。前はまひるの件を最優先にして無視したが。
《監視……報告……もしかして……!》
リライは俺の言葉を聞いていない様で、熱に浮かされた様に一人呟いていた。
「おい? リラ――」
俺はリライに再度語り掛けようとしたが、ソレは叶わなかった。何故なら、今まで町並みをぼんやり見ながらエルルの抗議を受け流していたアルルが、いきなりこちらを見たからだ。
「――っ!?」
俺は慌てて頭を引っ込めたが、ソレでも完璧に見られただろう。何故なら、俺の視界にしっかりと妖しく微笑むアルルの顔が映ったから。
「聞いてるの? アルテ――」
下方からエルルの声が聞こえる。次いでカッ、カッ、と梯子を登る音。間もなくして、
「こんにちは」
ニッコリと微笑んだアルルが顔を覗かせる。
《で、出た~~っ!!》
まるで化け物に遭遇したかの様にリライが悲鳴を上げる。よっぽど苦手なんだな。
な~んて冷静に解説している様に見えるでしょうが……ハッキリ言おう。俺自身、超怖い。
コレは俺が怯えているリライの影響を受けているのだろうか、ソレとも俺自身がこいつを畏怖しているのだろうか、或いはその両方なのか。
あとから思えばあり得ねーだろ! とツッコむだろうが、この時の俺は妖しく微笑むアルルの顔がいつ『くぱぁっ』と八方に割れて喰らいついてくるんじゃないかとビクビクしていた。
正直、多少の失禁なら許されるのではないだろうか? なんて思ってたくらいだ。
「どうしたの? こんなところに一人で」
そう言ってゆっくりと俺に近づいて来るアルル……怖ぇよぉぉ……。
《やっぱり……接続が切れねーですよ! ……どうして?》
リライの慌てる声が聞こえる。……接続が、切れない?
考えてみればまひるの救済、という目的は果たしたのだからもうこの時代にいる必要はない。
なのに何故リライは俺を戻さないのだろうか、と頭のどこかで思っていたが、戻さないのではなく戻せなかったのか?
もしかして昨夜のケンカの時も?
……じゃあ俺は、もう元の時代に戻れないってことなのか!?
そしてリライにもその原因は分かっていないみたいだ。一体どういうことなんだ?
……もしや、目の前のこいつの仕業なのか?
根拠はない。だが、何故だかこちらにゆっくりと歩み寄って来るアルルの、何もかも分かっている様な瞳を見た瞬間、確信に近い考えが浮かんだ。
って、そうだよ! 今は近づいて来るこいつを何とかしないと!
「ち、違うんだ! 俺は元からここにいて……そこにお前達が来て! ぬ、盗み聞きもするつもりはなくて……あ、てゆーか! ほとんど聞こえてなくて!」
俺が尻餅を付いたまま情けなく後ずさりながらそう言うも、アルルは全く意に介さない様に前進してくる。
ぐんぐん距離が詰っていき、やがて彼女は俺の身体を跨いで――
「……っ!」
――その足が、俺の頭の真上に振りかぶられた。
……うぉぉサヨナラ現世! 戸山秋色は勇敢だった!
ああ! でも童貞のまま死にたくない!
俺がキツく閉じていた目を開けると、振りかぶられていたアルルの足は、俺の顔のすぐ横に下ろされていた。
反対側にもアルルの足首。コレは……!
「あらごめんなさい。存在が矮小過ぎて気づかなかったわ」
真上からアルルのどこか楽しそうなニュアンスを含んだ声が聞こえてくる。
いや嘘吐け! 散々声掛けてたじゃねえかっ!
俺がそう言い返そうと思って視線を向けると、まずストッキングに包まれた彼女のふくらはぎが目に入った。
次いでフトモモ。そして――
――ナルホド。彼女は俺の顔を跨いで立ってるワケだ。当然、彼女は高校の制服を着ている。
つまり、スカートだ。ということはアレだ。ストッキングがあるとはいえ、パンツ丸見えだ。
「……ピンク」
「ああそうだ。気づかなかったついでに謝っておくわ」
「……はい?」
「秋色」
「!?」
ただ名前を呼ばれた、ソレだけなのに俺は大変驚いた。
だって、こいつは今まで俺を罪人やら下等ザルやらゲス男としか呼ばなかったのに。一体どんな心境の変化だ?
「……この間は、その……く……もしないで……なこと……て、ごめんなさい、ね」
「……は?」
全然聞こえなかったぞ。俺は怪訝な声を上げた。
「だから! 悪かったわね!」
アルルが腕を組んでふんぞり返りながら俺を見下ろしてそう言った。何故か顔が真っ赤だ。
「……え?」
俺は益々意味が分からないという顔をした。すると――
「何っ!? あんたまさか覚えてないの!?」
「ぐえっ!」
――彼女はそのままの位置関係で、俺の上に腰を下ろしてきた。
俺の鳩尾に彼女の尻が乗っかる。完璧なマウントポジションだ。貧弱な俺にはブリッジで返すこともできないし、パウンドされても三角締めで対抗することも不可能だ。
「まさかこのあたしが一応謝ろうと記憶に留めていたことをあんたごときが覚えてないの!?」
そのままネクタイを掴まれ、身体を揺すられた。俺の首ががっくんがっくん前後に揺れる。
「――っ! お前! 何やってる!?」
救世主参上か? 梯子を登って来たエルルが、この惨状を見咎める。
「……た、たしゅけて」
「姉さんから離れろ! この薄汚い罪人が!」
と、思いきや何を血迷ったのかエルルは顔を真っ赤にして俺に指を突きつけてきた!
いやどう見たって俺がアルルに襲われてるだろ!
「姉さん!」
「エル……ちょっと黙ってなさい」
なおも何故か俺に敵意剥き出しで騒ぐエルルを、アルルが一睨みで黙らせる。『ギン!』と擬音を放たんばかりの迫力だ。
もう駄目だ! 絶対絶命――!
俺がそう思っていると、こちらのネクタイを掴んで強制ヘッドバンキングの刑を執行していたアルルの手がいつの間にか両側から俺の顔を包んでいた。
頬に張られた湿布の冷たさの上から温かい感触が広がる。
「……へ?」
「ね、姉さん、何を……? そんなヤツに触っちゃ……移るよ?」
「他人の為にこんな怪我して……痛いでしょ。アホなの? あなた」
「…………」
さっきまで凶暴だった彼女は、今はどういうワケか、複雑な表情で俺を見つめている。
……悲しみ? いや、もっと複雑だ。無理矢理言葉にするのなら……慈しみ?
「……他人の為じゃねーよ。俺は俺がそうしたかったからそうしたんだ」
俺はそう答えることにした。理由は知らん。
「こんな怪我までして?」
「怪我をしたのは結果論だ。そこまで考えてなかった」
「怪我するかも……とか、怖くなかったの?」
何故か俺の顔を優しく撫でながら彼女が聞いてきた。
「……全然。もっと怖いことから逃げる為に、ああするしかなかったんだからな」
俺ははっきりとアルルの目を見てそう言った。
「……そう」
何故か彼女は満足気に微笑んだ。
「……あ、そう言えば、お前のくれた情報のおかげでもあるんだよな。ありがとな」
俺は思い出して礼を言うことにした。するとどういうワケか彼女の癇に障ったらしく、
「い、ま、さ、ら、思い出してんじゃねーわよ!!」
「いひゃいいひゃい! いひゃいれふ!」
今まで俺の顔を優しく包んでいたその手で、思い切り頬を引っ張ってきた。
「しかも……何であんたが礼を言うのよ」
「……いぃってぇぇ~……」
俺がその言葉を無視して頬に手を当てていると、彼女は勝機を見つけた様に得意顔になって、
「ほら、痛いんじゃない。ホントは痛かったし、怖かったんでしょ?」
「……全然。よゆー」
俺は何だかムショーに認めるのが腹立たしくて、唇を尖らせてそう言った。
すると、意外にも彼女は突然微笑んだ。
驚いたのは、ソレが先程までとはまるで違う、裏表を感じさせない、本当に優しい笑みだったからだ。
「あんた、さっきから言葉……制約が掛かってるわよ。普通の人間だったら聞こえないわね」
「……え?」
何だって? 今こいつ……
「……強がるのはいいけど、少しは自分の身を省みなさい。あんたが怪我すると、心配する人がいるでしょう。腕の悪いサポート要員、とかね」
「姉さんっ!」
優しい笑みを浮かべたまま囁くアルルにソレを咎めるエルル。
「……お、お前らは」
「多分また会うと思うけど、その時はよろしくね。罪人……じゃなくて罪魂の救済者くん」
「え? お前どこでソレを――」
昨晩、思い付きで名乗った称号を言われて、驚いた俺が聞き返すと、微笑んだままのアルルの顔が近づいて来て、やがて彼女がその瞳を閉じた。
コレは……!
「……っ!?」
「あ~~っ!」
《あぁ~~っ!!》
エルルと何故かリライまでもが驚きの声を上げる。
当然俺も大驚きだ。
何故かと言うとだ、アルルが唇を重ねてきたからだ。
理由はさっぱりだ。予測してないだけに避けられなかった。
……アレ? そう言えば何故さっきアルルに頬を抓られて痛かったんだ? 無痛状態は?
唇が離れた瞬間意識が薄れてきた。アレか? スパイ映画みたいに歯に仕込んだ麻酔を……
「……コレ、もらっておくわね」
そう言ってアルルが後ろに倒れていく俺の顔から伊達メガネを抜き取って自分に掛けるのがぼやけていく視界に映った気がした。
……案外、似合ってるじゃねーか。
俺のメガネを掛けてニッコリ微笑むアルルを見て、俺はそう思った。
「ぼ、僕はお前のことが嫌いだからな! 覚えてろよ!」
俺の視界に無理矢理割り込む様に迫って来たエルルがよく分からん宣戦布告をしてくる。
何をこのシスコンが。
あ、やばい。ここの床コンクリートだ。後頭部打ったらあぶね――
俺が意識を保てたのはそこまでだった。
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