第十八話


 まひるの気持ちを受け止めた翌日の夜。いつもの公園の中央に、俺は元通り髪を二つに結わいた彼女と佇んでいた。


 コレから起こることを考えると自然と心臓が暴れる。まひるもやや緊張した面持ちだ。


 正直たばこが吸いたかったが、持ち合わせていないし、この時の俺は未成年だ。おまけに、上書きが成されたあとで身長が縮んでたりしてたら堪らんのでソレはぐっと堪える。


「秋にぃ……やっぱり」


「駄目だ。必要なことだ。お前は間違ってないんだから、堂々としてろ」


「……うん。でも秋にぃ、脚が震えてるよ」


「……サムいんだよ」


「……夏じゃん。ソレに、汗だくだよ」


「……アツいんだよ」


「秋にぃ……」


「コレぞザ・武者振るい。バイブレーション機能で血行促進だ。ウォーミングアップ万全!」


 俺はまひるに二の句を継がせない為に、大声を張り上げた。


 問題ない、嘘じゃない。


 事実俺の身体は鳥肌が立つ程の悪寒と、汗が吹き出す程に高揚する熱気を抱えていた。


「さ、最高にホットでクールなパーリィの始まりだぜ!」


 心の準備は既に終えている。自信となる強力な後ろ盾もある。






 今日の朝、学校をサボった俺は停学中の宗二の家を訪れた。何故か付いて来た賢もいる。


「おー秋。賢も。何だいきなり来て。ソレも学校サボってまで」


 眠そうな顔で歯ブラシを咥えた宗二の眼前で俺はいつかの様に跪き、頭を地面に叩き付けた。


「ケンカの勝ち方を教えてくれ!」


「は?」


「え?」


《ふへ?》


「……実は、だ」


 俺は経緯を話すことにした。


 他の人間ならともかく、こいつらなら問題ないと思ったからだ。




「……ナルホド」


 家の外の蛇口で口を濯いだ宗二がぽつりと呟く。


「……その従妹の為にか」


「ああ、多分そのまひるを殴りやがった男と構える可能性がある。だがご存知の通り俺は弱い」


「確かに、俺より弱い」


 賢がうんうんと深く頷く。


「お前は俺に負けただろが!」


「ケンカは俺が勝ってたわ! お前の巧みな話術に戦意が失せただけだ!」


「まぁどっちにしろ、賢以上のが出てくる可能性が高い、と」


 俺が賢と毎度の漫才の様な取っ組み合いをしていると、宗二が冷静な声を出す。


「そう。でも今回は相手がターミ○ーターだろうが俺は負けるワケにはいかない」


「その娘の為に、だな?」


「おう、そして俺自身の為にだ」


「……ふ~む」


 俺は決意の固さを見せ付ける様に宗二の目を真っ直ぐ見た。


「つーか、秋。お前ソートーカッコよくね? ヤバくね?」


「やっぱり? 俺も自分でカッコよくね? って思った。ヤバくね?」


 賢の言葉に、俺は内心酔っていた心の内を吐露した。


「でもその娘の前でボロゾーキンにされたら超ダサくね? ヤバくね?」


「そしてその可能性高くね? 秋弱ぇーし。ヤバくね?」


「うるせーよ! だからそうならねーように、いいアイディアはないかって!」


 賢と宗二の呵責のない責め句に、俺は叫ぶ。


「じゃあ、最初の一発でケリを着けてしまえ」


「え?」


 俺は宗二の言葉にぽかんと返す。


「いきなり顎にブチ込めば倒せるだろ。顎を捉えれば女の力でもKOできるらしーぞ」


 ……確かに。ぶっちゃけ俺は経験者だ。


 なんせ初対面時にリライのパンツを見たら、モノの見事に一発で失神させられたんだからな。


《……アキーロ、何か変なこと思い出してねーですかぁ?》


 そっか、俺がアレをやればいいんだ。


「……って、そう都合よく当たるか?」


「当たるだろ。不意打ちなら」


「不意打ちって、どうやって?」


 俺が聞くと、宗二は大きく溜息を吐いた。


「あのな、別に『始め!』の声で天下一武道会するワケでもねーんだから。秋がするのは……」


「……あ、ケンカ……か」


「そうだよ。何かテキトーに能書きタレてるとこにダッシュで距離詰めてブチ込んじまえ」






 てなことがあって、今俺は秘策を授かって戦闘準備万端! な状態なワケだ。


「……き、来たよ、秋にぃ」


 まひるの緊張した声がして、視線をやると、公園の入り口付近に、街灯に照らされた二つの影が見える。


 まひるに言って呼び出させた例の主犯のクソガキだ。当然、件の男もいるだろう。


 ……さて、俺の胸中には一つの不安要素があった。ソレは、クソガキの兄であるらしいくだんの男がどんなヤツなのか、だ。


 まひるに苗字も聞いていない。ソリャ誰が相手でも引くつもりはないが、できれば弱そうなヤツであるに越したことはない。


 ……だが、根拠は全くないのだが。


 俺の頭にはもしかして、もしかするとこいつなんじゃないか、こいつだったらヤダなぁ。こいつだけは勘弁してくれ! というある人物が浮かび、居座って離れなかった。


「何だよこんなとこに呼び出して、やっと謝る気になったのかよ! ふざけんじゃねーよ!」


 中坊の甲高い声が夜の公園に響く。こちらからは逆光で向こうの姿ははっきりしないが、向こうからはこちらが視認できているようである。


「……お? オメーは……」


 その野太い声が聞こえた瞬間、俺は疑念が確信に変わるのを感じた。


 真っ黒だったシルエットが、はっきりとどんな顔をした誰だか視認できる形に変わっていく。


「……戸山じゃねーか。こんなとこで何やってんだオメーは」


 声の主は……優に百八十センチはあろう筋骨隆々のゴツイ坊主頭。三山先輩その人であった。


 ……ホラな。やっぱ俺は選ばれた人間なんだ。


 こいつだけは勘弁してくれ、という大凶をピンポイントで引き当ててしまえる人間なのだ。いっそ笑えるぜ。膝も大爆笑中だ。


 ……え? 何? 殴り合いになったら、俺はこの人の顎をぶん殴ってKOするプランなの?


 あの太い首を見る限り、俺の手首挫傷確実パンチじゃ、こっちのがダメージデカそうなんだけど。


 ゴリラ対チンパンジー、いやチワワの戦いだぞコレ。


 クイズで勝負だ! とかならねーかな……あ、駄目だ。相手は森の賢者だ。


「俺……こいつの従兄なんスよ……三山先輩」


「……そうか。俺はこいつの兄貴なんだよ」


 俺がそうした様に、一瞬後ろにいる妹に視線をやってこちらに向き直る三山氏。


「で、どうしたいんだ? ウチの妹を殴ったことをワビ入れてもらえりゃ一番早いんだがな。俺もできれば中学生のモメごとに首突っ込みたくねーしな」


 意外にも、三山先輩は暴力沙汰は望んでないという。彼の気性を思うにコレは驚きだ。有無を言わさず殴りかかってくると思っていた。


 ちなみに、さっきはクイズだなんだと考えていたが、俺は話し合いだけで済ませる気は毛頭ない。まひるが妹さんのことを殴ったのは高木さんへの仕打ちを思えば当たり前だと、下手すりゃソレでもヌルいくらいに思っている。


 高木さんへのこと。


 まひるを標的にしたこと。


 まひるを殴ったこと。


 コレら全てに対して頭を下げて詫びてくれるのなら話は別だが、詫びるどころか相手はこちらが悪いとさえ思っているワケで。


 アレ? もしかしてコレって俺が話し合いをしようとしている三山先輩に喧嘩を売る形になってしまうのか?


 ……。


 ……ふむ。


 ……いいか。ソレでもいいや。


 あの妹がまひると同じ中学ってことは、彼女の地元もこっちなワケで。当然目の前のバイオレンスゴリラもこっちが地元ということになる。だとすると、俺が見てない所で何かが起こり得る。


 あ、朝見掛けたとか言ってたってことは、アルルもこの辺に住んでるのかな? 確かそんなこと言ってたか? まぁソレは今はどうでもいいか。


 仮に、穏便に話し合いになったとして、向こうが殴ったことを謝って、じゃあまひるも殴ったことを謝って、みたいな上っ面な謝罪式を想像してみた。


 ……俺は不愉快な気分になってしまった。


 そんなことになるんならコレでいいやと思ってしまった。


「……先輩、多分こう聞いてるでしょ。『何もしてないのにいきなり殴られた』って」


「……あぁ、分かってるじゃねーか。話が早いな」


「……ソレ、嘘だぜ」


「…………」


 三山の眉間に激しい皺が刻まれる。ソレだけで、凄まじい威圧感に気圧される。何とか目を逸らさないでいるのが精一杯だ。


「……どう、嘘なんだ?」


「そっちにいるオタクの妹さんは、ちゃんと殴られて当然のことをしでかしてるってことだよ」


「……はぁ!? 何言ってんだよ! 殴られてトーゼンなのは、そっちだろーがよ!」


 ヤツの後ろにいた妹とやらが怒鳴ってくる。


 その表情からは動揺がはっきりと見て取れる。


 何でこんな見え見えなのに分からないのかね……腹立たしい。


「……そうだったな。先輩、あんた殴ってくれたんだよな。ウチの従妹を」


 俺が恐怖を侵食していく様に湧き上がる怒りを抑えながらそう質問すると、


「あぁ。いきなり飛び掛かって来たからな。マジで頭おかしー女だと思ったよ」


 三山が返してくる。俺と同様に怒りが込み上げていることは表情を見れば明々白々だ。


「ソレにもちゃんと理由がある。飛び掛かるに値する理由がな。少なくとも本人にとっては」


 絶対に目を逸らすモノか。俺は睨み殺してやるつもりの視線を注ぎながらそう言った。


「……じゃあ、オメーは悪いのはウチの妹だと。ウチの妹が嘘吐きだっつーんだな?」


 古いアニメみたいに、俺と三山の視線の間には火花が散ってるんじゃないだろうか?


「そうだよ。だから謝るのはそっちで、謝られるのがこっち。分かってもらえた?」


「……はは、驚きだぜ。まさかこういう展開になるとはな。謝るワケねーだろ。やっぱクソ生意気なガキの従妹はクソ生意気な――」


「――あっそ!!」


 ヤツが怒りを通り越して呆れた様な声を上げた時、俺は既に跳ぶが如く距離を詰めていた。


「――っ!?」


 低く、低く!


 勝手な推察だが、似たような体格同士で闘うのに慣れている格闘技者は下からの攻撃には不慣れなのではないか? 


 ソレに、確かマンガで見た限りだと空手って拳で顔面を殴るのは禁じられていた様な気がする!


 だからこそ、この顎への不意打ちはイケるはずだ!


 てか、コレが駄目だったらもう勝てる気がしない!


「――んジャスティスっ!!」


 這う様な地面スレスレの高度から一気に上体を跳ね上がらせ、俺は思いっきり握り締めた拳を叩き込んだ。


『ガゴっ!!』と、格闘ゲームなんかとはまるで違う、地味で、鈍い音がした。


 そしてとんでもない衝撃が手首に跳ね返ってくる。手応えありだ。


 いてえぇ! ど……どうだ!?


「やり合うってことで、いいんだな……?」


「あ……」


 俺の拳は、グロテスクと言っていいくらいに発達したヤツの腕に阻まれていた。


 その一瞬、俺の脳裏にこいつの手に依って知り合いの空手部員が殴り倒された光景が甦る。


 そうだ……こいつ、空手だけじゃなく、ケンカ三昧だったんだ。そんなこいつが殴るという言葉で一番連想されやすい顔面の守りに慣れてないワケないじゃないか……!

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