第十七話
いつもの公園でいつも通り、まひるは夜景を見下ろして俺を待っていた。
だが振り向いたその頬には、いつもと違って、小さく分かりづらいが、痣ができていた。
髪形も、ここで再会した時と同じ、肩まで伸びたセミロングに戻ってしまっている。
「……秋にぃ、どうしたの、ソレ?」
そう、俺も今までとは違い、背中にギターケースを背負っていたのだ。
「……お前こそ、いつもと違うじゃないか」
「あはは……シュシュ、失くしちゃったんだ。ソレにやっぱりまひるにはあんな髪形似合わないよ」
「……その頬は?」
「え……よく、分かったね。転んじゃったんだ。そんな目立つかな?」
「いや、そんなには目立たないけど……」
やっぱり正直には答えてくれないか。予想はしていた。
胸が痛くなる。情けない顔を見せないように、俺は唇を噛んで無表情を貫いた。
「で、ソレはどうしたの? グラブとボールは?」
まひるが俺の背負ったギターケースを覗き込んでくる。
「あぁ、今日は持って来てない」
「えぇ? 駄目じゃん。秋にぃの特訓なのに!」
「悪い。今日はこっちの特訓に付き合ってくれ」
そう言った俺は近くのベンチに腰掛けて、アコースティックギターを取り出し、
「……いや、付き合ってやる」
そう言い直した。
「なんで上から目線なんだよ……。てか、秋にぃ弾けるの?」
「少しは」
「へー! すごいじゃん! なんで? バンドやってんだ?」
先程よりは目を輝かせたまひるが隣に座る。
やはり楽器できる男は輝いて見えるのか?
「コレが弾けると女にモテるからな」
「……動機が不純。しかも秋にぃモテてねーじゃん」
まひるが呆れた様な顔で言ってくる。
「少しはモテてたっつーの! お前知らないだろ! あと、ねーって言うな!」
「だってモテてる男が、毎夜こんなところに来る暇があるのぉ?」
ぐ、ナカナカ鋭いじゃねーか……。
もしこいつに十年近く経っても童貞だってバレたら、俺は屈辱のあまり舌を噛み切りたい衝動に駆られるやもしれん。
「……おし、んじゃ、イってみますか」
「おー、ホントに弾けるのかな? うまいのかなぁ?」
「プレッシャーを掛けるな!」
「だって秋にぃがこうやってカッコつけようとすると、大体へたくそなんだモン。子供の頃から」
「はは、そうだったな……いいか、よく聞いとけよ。聞き漏らすなよ」
「う……うん」
俺がいつになく真剣な表情をしたからだろう。まひるは少し驚いた顔で頷いた。
俺は開いたり閉じたりを繰り返していた手でギターを掴み、大きく息を吸い込んだ。
「……『夏の終わり』」
「……え」
まひるがそんな声を出した時には、俺の手は既にアルペジオを奏でていた。
一応歌詞はこんな感じだ。
僕らの思い出のように窓の外の景色が流れる
『まだ泣いてるの?』 母が気遣う 何も知らない電車は走る
こうしてる間にもキミとの距離が離れる 目を閉じてさっきまでを思い出すよ
僕らの夢のようなあの季節 あの時の中で
鳴くひぐらし 日が傾いて
茜色した空を見上げたキミの顔 はしゃぐ僕
駆け巡る夏の記憶
同じ空眺めてもやっぱり違うものだな
焼くような暑さの中に辺り一面咲く向日葵
そこで何かに気づいたようで 思い出すようにキミは手を打つ
驚いた僕を見て 手を引いて海岸に 人の隙間を縫って辿り着いた
大きな夜の海を色とりどりの花火が染める
『キミと見れてよかった』なんて その言葉に胸が熱くなった
忘れない キミのその頬を伝った涙
何発も何発も花火は僕らを染めた
夏の終わりのホーム 見送るキミは呟く
『またきっと会えるよね?』
僕は黙って頷く
背を向けて歩き出す 後ろから涙声が 振り返れなくて また歩き出した――
僕らの夢のようなあの季節 あの時の中で
鳴くひぐらし 日が傾いて茜色した空を見上げたんだ
忘れない キミのその頬を伝った涙
忘れない 忘れない また会えるその日まで
右手で最後のコードを弾き、俺は曲を締めた。隣に座るまひるの顔を見ると、俯いていてその表情は窺えなかった。
両手は膝の上で祈る様に握り締められ、唇は何かを堪える様にキツく真一文字に結ばれていた。
届いた……だろうか? 何かを、伝えられただろうか?
「まひ――」
「この曲……」
「え?」
ほぼ同時に互いに声を掛けた俺達。俺は無言でまひるに再度言う様に促した。
「この曲……って」
「ああ、うん……オリジナル。多分……お前の考えてる通りだ」
「……秋にぃ」
「……ごめんな、まひる。全然会いに来なくて」
「え……」
「俺……お前のこと、忘れたことなんて一度もなかったよ。ただ、自分のことで手一杯でさ。ホラ、俺ってバカじゃん? あと実はそんなに要領もよくないみたいでさ。そのくせ、カッコつけたがりで、特にお前の前ではずっと『カッコいい兄ちゃん』でいたかったんだよ」
「…………」
《アキーロ……》
「だから、お前に自慢できる何かを手に入れたくてさ、でも全然うまくいかなくって。気が付いたら、時間だけが……流れちまっててさ」
「秋に――」
「ホントバカだわ。素直に来りゃよかったんだよな。何を見栄張ってやせ我慢してんだっつーの。俺だって、ホントはずっとこの田舎で、まひると思いっきり遊びたかったんだから」
「…………」
「ごめんな、まひる」
コレは今目の前にいるまひるにもだが、ソレ以上にあの時、現代で会ったまひるに対する言葉だ。
あの時の彼女に言ってやるべき言葉だったんだ。
「……ん」
まひるは何とかソレだけ言って、小さく頷いた。相変わらす表情は窺えない。
「まひる。顔見せてみろ」
「やだ」
即答だった。
「……なんで?」
「……家訓、破ることになるから」
「……かくん?」
「秋にぃが言ってたんじゃん……何条だか忘れちゃったけど……」
「……ふへ?」
《……ほへ? 何言ったですかアキーロ?》
「男は……泣いちゃいけないって……」
確か……第三条だ。ソレも俺が親父に言われてたことを勝手に家訓に加えたヤツ。
「お前は……女だろ!」
「まひるはまひるだモンっ! 女じゃないモン! 秋にぃが言ったんじゃん!」
がばっと顔を上げたまひるの瞳には、張力の限界寸前といった涙が溜まっていた。
既にまつ毛はしとどに濡れていて、ソレが溢れるのは時間の問題だ。
「まひる……! 俺が言ったのはそういう意味じゃない……!」
「分かんないよ……分かんないよぉ!」
「俺が一度でも女のお前を嫌いって言ったか!? 男じゃないと駄目なんて言ったか!?」
「……!」
《あ、アキーロ……?》
「バカだよ、まひる……俺も大バカだけど、お前もバカだ……あの言葉は、男でも女でも、俺はまひるそのモノが好きだってことだよ! お前が意地張る必要なんてどこにもねーだろ!」
「……秋にぃ」
「バカだよ……バカまひる……あんな昔の言葉、ずっと覚えてやがって……」
「うるさぃ……バカバカゆーな。バカ色……」
「じゃあアホだ。アホまひる。自分がとんでもない目に遭ってるってのに、みこにも、マヨねぇにも、俺にも言わねぇなんて、コレをアホと呼ばずして何て呼ぶんだ!」
「え……?」
まひるの顔に驚愕の色が浮かぶ。予想外の言葉だったらしい。
こいつ本当の本当に、誰一人にも言ってないんだ。バカ野郎……!
「こっちは覚えてるか! 戸山家家訓! 第二条!」
「……?」
「『親戚はみんな家族である! 家族は! いつだって味方である!』」
「……秋にぃ」
「おまけに俺とお前はマブダチだ。家族で、兄ちゃんで、マブダチだ。だから、俺はいつでもお前の味方だ」
「秋、にぃ……」
「その気持ちは今も変わってないぜ。だから……」
「…………」
「……話せよ」
しっかりと俺はまひるの目を見据えながら言った。
そして、丸一分は待っただろうか。
ようやく、ホントにようやく――
「……ん」
――まひるはゆっくりと頷いたのだった。
「最初はね、友達の恋愛相談だったんだ」
「……うん」
「ちょっと内気な娘でね。でもホントいい娘なの。だからまひる、『頑張って告白しよう』って」
「……うん」
「その娘も、最初は彼女がいるかも、とか怖くて無理、とか言ってたんだけど、まひるが背中押す内に、面と向かっては無理だけど、手紙でなら大丈夫かも、って」
「勇気、出したんだな」
「うん! 頑張ったんだよ! 偉いでしょ?」
「……あぁ、結果がどうであれ、立派なことだよ」
《アレ? アキーロ前に女にフラれて自分やソーヂに八つ当たりしなかったですか?》
……えーい、黙れリライ。アレはホントの恋か微妙なのでノーカウントだ。
「うん……でも、その……結果がね」
「……フラれちゃったのか?」
「そう、なるのかな?」
「どういうことだ?」
「その人、ホントに彼女いたみたいでね……ソレが、ちょっとウチの学校じゃ、悪い方、ってゆーか、問題児? だったの」
俺の脳裏には中学前ですれ違った派手な女子生徒の姿が浮かぶ。まず間違いないだろう。
「そいつと、その友達らが……やったんだ。朝教室に来たら、黒板に告白の手紙が張られてた」
「……!」
「ソレで、泣いてる友達と笑ってるそいつら見てたら、まひるキレちゃって……殴り掛かっちゃったの」
「…………」
「ソレからは予想付くと思うけど、今度はまひるがそいつらの標的になったってワケ」
まるで笑い話の様に言うまひる。
「誰か、味方はいなかったのか? 先生とか」
「無理だよ。誰も関わりたくないでしょ。先生も、いじめじゃなくてイジって遊んでるだけって言われたら、もう何もしてくれなかった」
「……まひる」
……ちくしょう。何でまひるが。
そんなことがあっていいのか? 許されていいのかよ?
「秋にぃ、まひる……間違ってたかな?」
「…………」
「やっぱ秋にぃの言った通りまひるってバカなのかも。もっとうまいやり方あったかも」
「…………」
「……そういうヤツらは相手にしない方がいい。ほっとくのが一番、とも言われた」
「…………」
「やっぱりあんなことしない方がよかったのかな? ソレか、謝っちゃった方がいいのかな?」
「…………」
「……秋にぃ?」
「まひるぅ……」
「え……ちょ、秋にぃ!? 泣いてんの!?」
俯いていた俺は、顔を上げてまひると視線を合わせる。が、その視界は歪みまくっていた。
「お前が……! お前が泣かないからだろ! ホントは辛くて、苦しくて! 泣きたくて仕方ないのに泣かねーから! 涙がこっちに来ちまったんだよ! 貰い泣きだ!」
「……な、何言ってんの?」
「いいか、まひる。よく聞け。お前はなんっっっにも間違ってねーぞ! でかした!」
「……!」
「いや、ホントマジで誇りに思うわ。お前みたいな従妹持って。尊敬するよ!」
そうだ。まひるは何も間違ってない。
怖くないワケないじゃないか。
そんなヤツらの相手したいワケないじゃないか。
ソレでも、まひるは友達の為に殴り掛かったんだ。
その方法はもしかしたら万人には認められないかもしれないけど、ソレでもまひるはソレを正しいと思ってるから、どんな嫌がらせを受けても謝らないんじゃないか。
そう思ったら、自然と涙が溢れていたんだ。
そうだよ。マヨねぇ、その言葉だけは言っちゃいけなかったんだ。
「秋にぃ……」
「誰が何言おうがお前は正しい、人に褒められる立派なことをしたんだ! 少なくとも俺は褒める! 少なくとも俺は誇りに思うさ! よくやった!」
「あ、秋――」
「高木さんもきっとお前に感謝してる。泣きながらお前を助けて欲しいって言ってくれた!」
「え――何で」
「もう大丈夫だからな、まひる。お前のことは、今度こそ俺が守ってやる! 絶対、死んでも!」
「……っ!」
俺の言葉の意味を全て理解したワケではないだろう。
だけど、孤独な戦いは今日で終わる。ソレだけでも届いたのだろうか。
まひるの目尻から雫が溢れ出て、彼女は顔を逸らした。
「……何だよ。別にいいじゃんか。俺なんてもう顔中洪水状態だぞ」
「……やだ。見られたくない……!」
「……じゃあ、こうすれば見えない……!」
「え……きゃっ!」
俺はまひるの腕を引っ張ってその小さな身体を抱き止めた。そのまま両腕で胸の中に納める。
「きゃっ……て、はは、可愛い声じゃん」
「ば、バカ! 何してんのっ!?」
「泣き顔、見られたくないんだろ。名案だと思わないか? やだ?」
「……ん、やだじゃない……」
「その口癖、変わんないな。つーか、どこまで意地っ張りなんだよお前は。ここで泣かなきゃ一体どこで泣くってんだ。マジでいつか爆発しちまうぞ」
「うるしゃい……」
くぐもった声が聞こえてくる。いつものクソ生意気な態度とはかけ離れた弱気な声だ。
「コレからは涙も武器にしちまえ。女はそうやって逞しくやってんの。男より男らしいかも。あと、かなり恥ずかしかったけどちゃんと代わりのシュシュも二つ買って来た。プレゼントしてやる」
「……秋にぃの、せーだ」
「えぇ?」
「秋にぃが大泣きするから、涙がこっちに来た……貰い泣きだ」
「……そっかぁ。ワリー。でも、まだ止まらないんだわ。枯れるまで付き合ってくれ」
「……ん。わか……たぁ」
「……サンキュ」
短くそう言うと、ヒュウ、とまひるが大きく息を吸い込む音がした。ソレが皮切りだった。
「う……ひぐ」
「…………」
「ふっ……うえぇぇ……」
最初は小さく、徐々に強く。
「うぅっ! ううえぇぇぇぇええん――!!」
最後はありったけをぶつける様な、まひるの叫びを聞きながら、俺は背中に回された震える腕に応える様に、いつか、俺が母さんにされたみたいに、彼女の頭を撫で続けていた。
……頑張ったな、まひる。
もう大丈夫だ。よくやった。あとは俺に、秋にぃに任せてくれ。
そうだよ、俺のカッコつけどころは、まだコレからなんだ。
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