第十五話

「あ……マヨねぇだ」


 丁度まひるの家の少し前の交差点で、俺は私服姿のマヨねぇを見つけた。確かこの時マヨねぇは大学生だか専門学生だったはずだ。


「アレがお目当ての人? 会えてよかったじゃない。もう一生分の運を使い果たしたわね」


 宣言通り付いて来たアルルが俺の背後で抑揚のない声を上げる。


 こいつの目的、正体は気になるところだが、俺が考えたところで分かるとも思えない。おそらくさっきから無言のリライとググリ先生が調べてくれているだろうから、そっちは任せる。 


「マヨねぇっ!」


 俺が横断歩道の向こうにいるマヨねぇに叫ぶと、彼女がこちらに気づいて驚いた顔を造る。


「秋! あんたこんなところで何してるのよ? ひっさしぶりね~」


 信号が青になり、こちらに向けて歩きながらマヨ姉が聞いてくる。


 その時気づいたが、マヨねぇの隣には男がいた。彼氏だろうか?


「ちょっとマヨねぇとみこに聞きたいことがあってさ」


「聞きたいこと? ……って、何後ろのキレイな娘!? 彼女?」


 マヨねぇがアルルを見て驚いた声を上げる。


「いや、こいつは――」


「全然違います。いくら初対面でもひどい間違いです。危うくショック死するところでした」


「――クラスメイト。ただの」


 よしゃあいいのにわざわざアルルが異議を唱える。嫌ならついて来んなっての。


「……はぁ。で、何? 聞きたいことって」


「あ、うん。ちょっと時間いいかな?」


「あー……うん。仕方ないな。ごめん、ちょっと先に部屋行ってて」


 そう言ってマヨねぇは隣にいた男に断りを入れた。男が頷いて先に歩いて行く。


「ちょ、いいのかよ? 彼氏一人で来たら、みこ驚かないか?」


「大丈夫よん。もう馴染んでるし、今お母さんもまひるもいないだろーから」


 何ぃぃいい? 誰もいない部屋で何しよーってんだこいつらは!? 何か気に入らない。


「あらぁ? もしかして妬いてる? 大丈夫よ。あんたが大人になって、そん時あたしが売れ残ってたら相手してあげるから」


 マヨねぇがニンマリと意地悪な笑みを浮かべてからかう様な口調で言ってきた。


「そんなことはどうでもいいんだよ。まひるについて聞きたいんだ」


「あら、今度はまひるに興味持ったの? やるわねぇ、あの娘喜ぶわよ」


「最近まひるから何か聞いてない? 学校で何かあったとか」


 埒が明かないと思って俺はマヨねぇの言葉を無視して質問を投げ掛けた。


「……え、別に、何も聞いてないけど」


 ぽかんとするマヨねぇ。何も聞いてないのか?


「どんな些細なことでもいいんだ。こないだ見掛けたけど、最近まひる、元気なくないか?」


「えー? そお? 別にフツーじゃない? アレくらいの年頃は難しいのよ。気にし過ぎ」


 不思議そうに、でもどこか嬉しそうな顔でマヨねぇが答える。


 そういうモンなのか? 彼女の言う通り、俺が気にし過ぎなのか? 


 家族から見ても異常がないなんて、俺って心配性? なんて感想で済ませる程俺はヌケてはいない。


 何かしらあるはずだ。でなきゃまひるの親友である高木さんが涙を見せるはずがない。『助けてあげて』なんて言葉もな。逆に家族だからこそ気づかないモノなんだろうか?


「じゃあさ、友達のこととか、何か言ってなかった? 高木さんとか」


「高木さん? ああ、由加ちゃんのことね。あんたまひるの友達までチェックしてんのぉ?」


「いいから、思い出してくれよ。細かいことでもいいから」


「うーん。由加ちゃんのこと……ねえ」


 コレで何もなかったらとりあえず作戦の練り直しだ。でも、何かあるとしたらここだと思うんだよな。まひるの性格上、自分のことは家族に話さない気がするし。


「あ……そう言えば、由加ちゃんの相談に乗ってるとか言ってたよーな……」


「相談? どんな?」


「そこまでは聞いてないわよ。でもまひる、楽しそうな感じだったからいいことなんじゃない? 恋の相談とか」


「楽しそうな……?」


 えぇ? コレは俺の求めている問題の情報とは違うのか? どうにも楽しい相談がまひるの悩みに直結するとは思えないぞ。


「確か一ヶ月くらい前だけどね。じゃ、あたしそろそろ行くわよ。でもまひるは心配してくれる王子様がいていいわねぇ。ちょっとスケベで頼りないけど」


 そう言ってマヨねぇが歩き出す。俺の後ろでアルルが失笑するのが聞こえた。多分『王子様』に対しての反応だろう。


「あ! 思い出した! そういえば!」


 マヨねぇが突然振り返り、俺に詰め寄って来た。


「何だよ。もう充分からかっただろ――」


「違うわよ。確かちょっと前に由加ちゃんが変なヤツらにちょっかい出されてるって言ってた」


「――まひるがか?」


「そう! 確かあたしんとこ来て『イジるのとイジメルのってどう違うの?』って聞いてきた」


「イジるのと……虐めるの?」


「そう」


「あるじゃねーか聞いてること、何で忘れてんだよ! マヨねぇ」


「いーじゃないの思い出したんだから!」


 俺がジト目で言うと、マヨねぇが唇を尖がらせる。まひるに似てるな、と俺は思った。


「ソレで、マヨねぇは何て答えたの?」


「えー……と、何だっけなー……あ、確か!」


「確か?」


「確か『そーゆーヤツは相手にしないのが一番。ほっときなさい』って言ったんだ、うん」


「で、まひるは?」


 何かさっきから似た様な質問を交互にしてるな、俺。


「何も。無言で眉間に皺寄せて自分の部屋行っちゃったわよ」


「……うーん」


 コレは何かしらある気がする。多分俺の調べてる件と無関係ではないはずだ。しかしまるで話が見えないな。多分俺に探偵は無理だ。全然閃かないぞ。


「そんなとこね。じゃ、あたし行くわよ。彼氏待ってるから」


 そう言ってマヨねぇは行ってしまった。


「けっ、ど~せその彼氏とは別れるぞ~。結婚した旦那ともケンカばっかで家出ばっかだぞ~」


 マヨ姉に聞こえない程度の音量で俺はその背中に野次を飛ばした。


「……で、何か分かったのかしら。王子様? ……ふっ」


 後ろからアルルの嘲笑する様な声が聞こえる。実に楽しそうだ。


「いたのか、お前いてっ!」


 台詞の途中で足を踵で踏みつけられ、俺は片足ケンケンスタイルになる。


「あんたごときがあたしの存在を忘れるなんて百年早いわ。あ、でもあんたに覚えられてるのもおぞましいわね。どうしたモノかしら……死んでくれる?」


「うるせ。お前の話はムダに長い割に益をもたらさないんだよ」


「あら、そんなこと言っていいのかしら? もしかしたら役に立つかもしれない情報を思い出したわよ」


「……どんな?」


「ふふふ……教えてあげない」


「……あっそ。んじゃ」


「ちょっと待ちなさいよ!」


 俺が勝手に歩き出すと、アルルが怒鳴り声を上げて、襟首を掴んできた。


「あんだよ?」


「……ふふん。『教えてくださいアルル様』って言ったら教えてあげてもいいわ」


「あー、無理。んじゃ」


「ちょっと待ちなさいよ!」


「あんだよ! 教えたいんならさっさと言え!」


「別に教えたくなんかないわよ! 自惚れてんじゃねーわよ!」


「あーそーかい。じゃあお前の正体と目的は教えられねーか? こっちはいい加減知りたいね」


 俺は振り向いてアルルの目を睨み付けた。


《ダメでしたアキーロ。こいつの情報、何一つ分からねーですよ。全部ロックされてるですよ》


 いいタイミングでリライから調査結果が届く。ロック? 機密事項で言えないことなら今までにもあったが、こんなのは初めてだ。ググリ先生にも無理だってのか? 怪しいモンだぜ。


《アキーロ。やっぱこいつとわ関わらねーほーがいーですよ。自分、ちょっとおっかねーです》


 賛成だ。と言うか相手にする理由がない。


「……正体と目的ね。自分で調べてみたら?」


 不敵に微笑むアルル。自信満々の妖しい笑みだ。情報のロックとやらに自信があるんだろう。


「いや別にいいや。ん――」


「ちょっと待ちなさいよ!」


 喰い気味で俺の襟首を掴んでくるアルル。自分でも展開を予測していたと見える。


「しょうがないわね。教えてあげるわよ。ただしあたしの正体じゃなく、思い出した情報をね」


「いや、別に興味――」


「まひるって娘、さっきの女に似てる?」


 さっきの女? マヨねぇか?


「……似てる」


「で、さっきの中学の娘だから、白いセーラー服よね」


「……ああ」


「ソレで、髪の毛こんな風に二つに束ねてない?」


 そう言って、アルルは自分のロングヘアーを頭の両脇で掴んで見せた。正直似合ってる。


「あ、ああ。何でそんなことまで――」


「今朝ね、見たわよあたし。その娘」


「……だから?」


 そう、だから何だってんだ? こいつが学校から遠いこの近辺に住んでいたってことは驚きだし大した偶然ではある。でもだから何だよ。見掛けるくらい普通にあり得るだろう。何を自信満々なんだ?


「……コレも今思い出したけど、さっき校門で見た頭の悪そうな女達と一緒だったわね」


「あのな、だから一体ソレが何だって――」


「イジメられてたわよ。その娘」


「――!?」


 何だって? 


 ……いじめ? 誰が? あのまひるが? 


 何を言ってるんだこの女。


「あの頭の悪そうな女達に『シャシャり出て来たの謝れよ』とか言われてたわね。あと『殴ったことも』とか何とか」


「シャシャリ出て来た? 殴った?」


「そう。でもその娘は謝らなかったわね。ずっと聞こえてないみたいに地面を睨んでた」


「…………」


「そこに何とびっくり。明らかに年上のゴツイ男が出て来たのよ。もちろんその娘の敵側で」


「男が?」


「ええ。今度はそいつが『謝れ』って。ソレでもその娘は謝らなかった」


「…………」


「業を煮やしたアホ女の一人が、手で無理矢理彼女の頭を下げさせようとして、彼女はソレに抵抗して……。その時ね。彼女が髪を留めてたシュシュが切れちゃったの」


「……!」


「そこからその娘、豹変したわね。そのアホ女に飛び掛かって『許さない!』って。よく聞こえなかったけど、ダレダレがくれたのに! って、もうすごい形相だったわよ」


「まひる……!」


 俺は知らない内に拳を握り締めていた。ギリギリと不快な音は、俺の歯が立てていたようだ。


「ホント殺しかねない勢いで――アホ女が総出で掛かってもその娘を引き剥がせなくて――」


「……引き剥がせなくて?」


「――さっき言った男が、力任せに彼女の顔をはたいたの。ソレでその娘、地面に倒れ込んで」


 まるで空想の話を聞いているみたいだ。信じ難い。リアル過ぎて嘘くさい。


「そこであたしが大きな声を上げてやったから、連中何か捨て台詞残して去っていったわ」


「ま、まひるは?」


「しばらく切れたシュシュを呆然と眺めてて、その後は膝抱えて震えてたわね。顔は見てないわ」


 ……俺の視界が真っ赤になってるのは、夕日のせいだけではないだろう。


 今回はそんなバカな、のオンパレードだ。信じ難い。信じたくない。入って来ないでくれ。


「……あたしが見たのは以上よ。役に立った? 元罪人さん」


 何も考えたくないのに、脳が断片的に集まっていた情報の連結作業に入ってしまう。


「ちょっと、聞いてるの?」


「少し黙っててくれ!!」


 俺は反射的に叫んでいた。


 ――由加ちゃんが変なヤツらにちょっかい出されてるって――

 

 ――私の、せいなんです。まひるちゃん、私の為に――

 

 ――イジるのとイジメルのってどう違うの――

 

 ――そーゆーヤツは相手にしないのが一番。ほっときなさいって――


 ――シャシャり出てきたの謝れよ――


 ――許さない! ――がくれたのに――


「でもその娘もちょっと変だったのよね。あたし、一応声掛けてあげたのよ。『女の子に手を上げるなんて最低よね』って。優しいでしょ?」


「…………」


「そしたらその娘、『女じゃない……まひるは、まひるだモン』だって」


「……っ!!」


 ソレは、決定的な一言だった。覚えのある一言だった。


《あ、アキーロ!? 落ち着くですよ! 感情に飲み込まれるです! 接続が――》


 最早殺意と言って差し支えないレベルの激情が込み上げてきた。誰に? バカ女共? そのまひるを殴った男? 違う……俺自身にだ。


 ……何故(なにゆえ)にまひるは女である自分を受け入れられないでいるのだろう、だと?


 ――お前、おんなだけど、ヤキューも、ケンカも、およぎも、おれとごかくだったんだし、男とかわんねーよ!


 ――ソレに、男とかおんなとかかんけーねーよ! まひるはまひるじゃん!


 俺のせいじゃないか。


 俺がロクに考えもせずに言った言葉のせいじゃないか。


「ああ、だからまひるって名前に聞き覚えがあったのね。納得がいったわ。あんたも従兄ならちゃんと躾けときなさい。あんな手合いに関わるのはアホのすることだって、あと助けてもらったんだからお礼の一つも――」


「うるさいっ!!」


「――っ!」


「お前に何が分かるんだよ! 知った風な口利きやがって! あいつは、あいつは……!」


「な、何よ……」


 ……止せ。何やってんだ俺は。違うだろ。八つ当たりしてどうすんだ。


「……はっ……はぁ……」


 駄目だ。気持ち悪い。目眩がする。心臓が耳の横にあるみたいにバクバクうるさい。自制が効かない。今の俺は何をするか分からない。何をしていいか分からない。ここにいたら……!


「……ぐっ!!」


「ちょ、ちょっと!?」


《アキーロ!?》


 二人の声が聞こえた気がする。もうどちらがどちらの声だか分からない。ジッとしていることもできず、俺は目的地も考えずに走り出した。


「……はぁっ! はぁっ!」


 ――まひる。まひる……! まひる!


 ソレでも湧き上がる衝動は抑え切れず、俺は思い切り叫んだ。


「ううぅぅぅああああぁぁぁああああっっっ!!」


 俺はバカだ。本当に、どうしようもないバカだ。

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