第十四話

 目的地に到着した俺は、さっそくまひるの学び舎の校門から一つ曲がった路地にて彼女についての情報収集を開始する。


 ちなみにまひると鉢合わせない様にあいつの帰り道とは逆方向の路地をチョイスした。アルルは少し離れた電柱の影に隠れてる。


 情報収集といっても、そんな大げさなモンじゃない。いきなり核心に辿り着けるとも思ってないしな。



 手順一 まずはまひるのクラスを突き止める。本人に聞いておくべきだったが聞いてないモノは仕方がない。


 手順二 クラスの中で一番まひると仲のいい娘を突き止める。


 手順三 まひるには内密にまひるの親友からできる限りの情報を引き出す。


 といったところだな。


 しかし聞けども聞けども、誰もロクな情報をくれやしない。


 俺ってそんなに胡散臭く見えるのだろうか? 


 中には俺の顔を見てニヤつきながら去って行くガキもいたくらいだ。何かムショーに腹立つ。箸にも棒にも引っかかりゃしない。


 三十分後、下校する生徒の数もまばらになり、手応えのなさに心が折れそうになった頃、


「あたし……代わろうか? 田山くん」


 俺の背中にアルルが声を掛けてきた。


「……戸山だ! お前わざとだろ!」


 苛立つ俺は鋭く振り向き様でツッコミを入れた。


「わっ、びっくりした……ごめん」


「ち……今日はもう無理だよ。最近のガキは生意気なのが多いな、クソ。いっそ職員室に乗り込んでまひるの担任の先生にでも聞くか?」


 しかし問題は、この手段を取ったら俺が周辺を嗅ぎ回っているのが、後日まひるの耳に入る可能性が激増する。できればこの方法は避けたいんだが。


 ううん。さてどうしたモノか? と俺が頭を悩ませていると、トントン、と肩を叩かれた。


「ん?」


 俺が振り返ると、そこには満面の笑顔を浮かべたアルルがいた。


「……何だよ?」


「うまくいったよ! まひるちゃんと仲のいい娘だよね? 今呼んでくれるって」


「……は?」


 俺は一瞬何のことだか分からずに、アホみたいな顔と声を晒してしまった。


「だから、まひるちゃんと一番仲のいい娘がもうすぐ来るよ?」


「……嘘」


「本当」


「……どうやって?」


「普通に頼んだら二つ返事だったよ?」


 自分が何故こんなことを聞かれているのか分からない、といった顔でアルルが答える。


「…………」


「でも『まひる』って名前、最近どこかで聞いたよーな……」


「い、いい気になるなよっ!!」


 俺は精一杯の負け惜しみを言いながらアルルの眼前に指を突きつけた。


 その時、目を疑う様な事態が起こった。


「あむっ」


「――!?」


 先程の様に『わっ』と驚きに目を見開くだろうと思っていたアルルが、いきなり突きつけた俺の人差し指にぱくっと優しく噛みついたのだ。


《あ~~っ!!》


 今まで拗ねていたからだろうか、黙っていたリライが大きな声を上げた。うるさい。


「……え? ……え!?」


「……ん、ふ」


 未だにワケが分からない。脳内は絶賛パニクるクロニクルだ。


 目の前で起こっている事態に頭が付いていかない。テンパる俺と、目を閉じて味わう様に俺の指を甘噛みするアルル。


「ん……」


 ……ハッキリ言って、エロい。


 何故? 指先から血が滴っていたワケでもあるまいし。


 いや、仮に血が滴っていたとしても実際にこんなことをするヤツは三次元にはいないと思うぞ。


「……んむ、ちゅ」


「うあ、ちょっ……! くすぐ……ったい!」


「んんむっ!」


 思わず俺は脳天にチョップを振り下ろしてしまった。やべ、相手は女の子だった。


 少々荒っぽい対応だったが、おかげでアルルの口から指を離すことに成功した。


 アルルの唾液でヌラリと光る指先には、小さな歯形ができている。


 ううう。ゾクっとした。


《アキーロ! 大丈夫ですか?》


「……あ、ああ」


 正直お前に噛みつかれた時の方が数倍痛かったぞ。


 しかし、一体何だってこんなことを? アルルの国ではコレが親愛を表現する挨拶だとでもいうんだろうか? ああ、鳥肌が立ってきた。でも、やたら官能的だったな……。


「……ふぅ」


「い、いきなり何考えてんだよ、お前は!」


 強いワインを飲み干した時の様に目を閉じ、ほぅ、と息を吐くアルルに俺は怖々そう言った。


「……うるさい、下等ザル」


「……え」


 俺は自分の耳を疑った。俯き気味のアルルの方向からいきなりドスの利いた声が聞こえたからだ。


 アルルの後ろに誰か生意気なガキでも隠れてるのかとそちらを窺ってしまった程だ。


 だが、探せどもアルルの後ろには誰もいない、となると……


「痛いわね……あんたが今殺したあたしの細胞分、どうしてくれるのよ。人間の細胞分裂の回数は決まってるんだから、あんたは今あたしの寿命を縮めたのよ。万死に値するわ」


 やはり疑い様もなく、この辛辣極まりない言葉は目の前のアルルの口から放たれている。


「……あ、アルル……さん?」


「勝手に人をニックネームで呼ばないでくれる? 気持ち悪くて吐きそうになるから」


 ようやくこちらに目を合わせたアルルは、先程までとは打って変わって家畜を見る様な蔑んだ視線を送ってきていた。


「そ、ソレが本性……ですか?」


「何、本性って? 人のことを分かったみたいに言わないで、クソ虫」


「ど、どうして急にお変わりに?」


「猫を被る必要がなくなったからよ。ゴミ虫」


「そ、ソレはまた、どうして?」


 ハッキリ言って超怖ぇ。


 引きつつも何とか俺が質問すると、アルルは大きな溜息を吐いて、


「あんたが罪人だって分かったからよ」


 説明するのが面倒くさそうにそう言った。


「え……」


《え……》


 ……罪人? 俺は彼女にとって何か不都合な、罪深い行いをしていたのだろうか? 


 いや、分かってるよ、冗談だ。今ではもう馴染み深い言葉だからな。


《もしかして……》


「お前も執行――」


「あの」


「――うわっ!」


 俺がアルルに確認に近い質問を投げ掛けようとしたその時、突然声を掛けられた。


 見れば、そこには少しおどおどした小柄な黒髪ショートの女の子が佇んでいた。


「……あなた達ですか? まひるちゃんのことで聞きたいことがあるのって」


「……あ」


 どうやら彼女がまひると仲のいい友達らしい。


「あの……」


 そう言って彼女は不安気に俺と不機嫌な顔をしたアルルを交互に見た。


 当然と言えば当然か、俺はともかく呼び出されて来たところに不機嫌顔の外国人がいたら怪しいと思うのが普通だ。


「あ、怪しい者じゃないんだ。俺は戸山秋色。まひるの従兄なんだ。こっちは――」


「アルテマ・マテリアルよ。こっちの下種男が聞きたいことがあるらしいの。苦痛だろうけど発情した犬がジャレてるだけだと思って我慢して少し付き合ってあげて」


 俺に紹介されるのが嫌だったのだろう。アルルが俺の言葉を遮り自己紹介する。可愛くねっ!


「あ、はい。私は高木由加たかぎゆかと申します」


「高木さん。早速だけど聞きたいことがあるんだ」


「はい」


「……最近、まひるに変わったことがなかった?」


「……変わった、ことですか……?」


「……うん」


「そう、言われても……」


 この娘は何か知っているな、と俺は直感的に思った。


 質問した時に一瞬身体を強張らせたのを見逃さなかったぞ。


「質問の幅が広過ぎるか。何かまひるが悩んでたり、落ち込んでたりしてることってある?」


「悩み……ですか」


「うん」


「…………」


「…………」


「……いえ、と、特に、思い当たらない……です」


 彼女の反応を見れば嘘を吐いてるのは火を見るより明らかだ。


 何かあるのは分かってる。


 ……残念なことに。


 いっそまひるが命を殺めるなんてリライの勘違いで何もない方がずっとよかった。


 見たところ、高木さんは何らかの理由があって、言わないんじゃなくて言えないんじゃないだろうか。俺は直感的にそう感じていた。


 さて、どうやって聞き出すか。


 ……頼み込む? ……脅す?


「……高木さん」


「は、はい」


「実はね、俺は誰にも言わずにここに来たんだ。まひる本人にも秘密でね。あいつのことを聞きに来たなんて、誰にも知られたくないんだ」


「…………」


「あ、こいつは別としてね」


 そう言って俺はアルルの方に顎をしゃくる。すると『こいつって呼ぶな』と言いたいのが如実に分かる目で足を踏まれた。ほんっと憎たらしー女だなおめーは!


「だから、絶対に誰にも他言しない。俺もソレを望んでないんだ」


「…………」


「……だから教えて欲しい。あいつが何かに脅かされているのか。もしそうだったなら、俺はあいつの味方になってやりたい。君も同じ気持ちでいてくれているなら……お願いします」


 そう言って俺は頭を下げた。結局人の心を動かすには、自分の心を晒すこと、人に信じてもらいたいなら、その人を信じること、ソレが一番だと思ったからだ。そうだろ、親父。


「…………」


 彼女はしばらく驚いた顔をしていたが、やがてその身体を震わせ始めた。


「……お願いします……」


「……え?」


 声も震えていた。一体どうしたというのだろう。


「まひるちゃんを……助けてあげてください」


 そう言った彼女の瞳から、一筋の涙が頬を伝って落ちた。


「…………」


「私の、せいなんです……」


「……どういうこと?」


「まひるちゃ……私の為に……」


 高木さんの為に? 彼女が原因でまひるは思い詰めるハメになっているっていうのか?


「あっ――!!」


「?」


 いきなり高木さんが目を見開き、先程の数倍は身体を強張らせた。まるでバケモノでも見つけた様な反応だ。


「ご、ごめんなさい! 私、コレで失礼します!」


「え、ちょ――」


 止める暇もなく、高木さんは走り去ってしまった。一体どうしたというんだ?


 彼女が逃げる様に走り去る直前に見ていた方向に視線をやると、三人の女子生徒が喋りながらこちらに歩いて来るのが見えた。


「でさー」


「何ソレ? ウケる!」


 そんな会話をしながら、彼女達は俺とアルルの横を通り過ぎ、やがて見えなくなった。


 中学生にしては派手な髪の色やピアスなど、やや優等生とは言い難いナリをしているモノの、別段おかしなところはない。高木さんは連中を見て逃げたのではないのか? ワケが分からない。


「…………」


 ……俺は言い様のない脱力感に囚われていた。


 嘘であって欲しかった。


 しかし彼女の反応を見るに、まひるが何か厄介ごとに巻き込まれているのは確実だ。


 そして、ソレは多分あの情報に直結する。


 つまり、リライ達のもたらした情報はおそらく真実である、ということだ。


「……結局収穫なしね。何をやっているのやら。アレだけ決め顔でクサイ台詞並べ立てておきながら逃げられちゃって。末代までの恥ね。いっそ死んでみることをお勧めするわ」


 俺がまだ高木さんの去った方向を見ていると、アルルが嘲笑う様に声を掛けてきた。


「ソレに、あの娘もあの娘で、何を泣いているんだか。要領を得ないことを口走って結局逃げてしまうんだモノ。理解不能だわ」


「……笑うな」


「……!」


「見てて分からなかったのか? あの娘は何らかの理由で言いたくても言うワケにいかなかったんだよ。ソレなのに俺の言葉に誠意を持って真剣に答えようとしてくれたんだ。結局叶わなかったけど、俺を信じてくれたんだ。ソレがドレだけ勇気のいることかお前には分からないのか?」


 俺はアルルの目を見据えながらそう言った。


「な、何よ……罪人のくせに……」


「…………」


「ムカつく……でも、こんな風に誰かに怒られたのなんて初めて……」


「…………」


「アレ? 何で? あたし……喜んでる? こんなヤツに怒られて……何よコレ……何なの? もしかして……コレが……恋?」


「…………」


「……なんて考えてるとか思ってんじゃないでしょうね? やめてよね。キモいから」


「帰れお前」


 俺はコレ以上文句を言う気が失せてそう言った。フリが長すぎるんだよ!


「お前って呼ばないでよ、罪人のくせに! 同じ空気吸うのも嫌。息を止めなさい。永久に」


「調査不足だな。俺は罪人じゃねー。元罪人だよ、執行者」


「!」


《あ、アキーロ……》


 リライが驚いた様な声を上げる。


 まずかったか? でも何とかこの女に一矢報いたくてつい言ってしまった。


 構うモンか。禁則事項なら相手に聞こえない制約でも掛けておけってんだ。


 そう、彼女は間違いなくリライと同じ執行者だろう。何故この次元にいるか興味がないワケでもないが、今はトラブルに巻き込まれていることが確実であろうまひるの方が優先だ。


「……ふぅん。ナルホド……調査不足、ね。お互い様ってワケね」


「……つーか、お前も今のことや、俺が調べてること、他人に漏らすんじゃねーぞ」


 納得した様な顔でワケの分からないことを言うアルルに俺は釘を刺しておく。


「アホね。こんな話題他人に話したところであたしに得はないわよ」


 ふん、と胸を反らしてバカにするな、と言わんばかりの視線を向けてくるアルル。


「そうか、ならいい」


「……で、あんたコレからどうするワケ?」


「……友達が駄目だったなら、今度は家族だ。マヨねぇとみこに話を聞きに行く」


「……そ」


「あんだよ……まさかついて来る気か?」


「……悪い? あんたごときに拒否権はないわよ」


「何の為に!? コレこそお前に得はないだろ」


「……敢えて自分にあんたと一緒にいるって苦行を強いることで、普段の幸せを再確認する為よ」

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