第二十三話

「はっ!!」


 いつの間にか訪れたブラックアウトから目覚めると、目の前に汗だくのリライがいた。


「帰って……来たのか?」


「は、はいですよ……」


 リライが俺にもたれ掛かって来た。倒れ込んで来たと言った方が正しいかもしれない。


「大丈夫なのか? リライ」


「少し休めば、大丈夫ですよ……」


 ソレを聞いて俺は胸を撫で下ろした。


「……あ、リライ! 先輩は!? 上書きはどうなったんだ!?」


「少し……反映にわ時間が掛かるですよ。待つしかねーです」


「……マジかよ。お前にも分からないのか?」


「分からねーです。ソレに反映されたとしても、罪人の記憶わ……影響を受けねーです」


「……そうなのか。何で?」


「……機密事項……」


 目を逸らしながらそこまで言いかけて、リライは意を決した様に再び俺を見た。


「罪人が浄化で幸せになった人を見ると、現世への未練を誘発する恐れがあるからですよ」


「……リライ」


「……自分失敗作なんで、口が滑ったですよ」


「……じゃあ、俺が先立ってどんな上書きが成されたかを知る術はないってことだ」


「……はいですよ。でも……」


「でも?」


「きっと、届いたですよ」


 そう言ってリライはニコっと笑った。とても人間らしい笑顔だと思った。


「……そうだよな。先輩、笑ってくれたモンな」


「はいですよ」


「……リライ、お腹減ったか?」


「……減ったですよ」


「……じゃあ、俺はご飯作るから、お前はシャワーでも浴びてこい。すげー汗だぞ」


「……しゃわあって、何ですよ?」


「ああ……電波に聞いてくれ。使い方も」


 そう伝え、さて何を作ろうか? と俺が立ち上がりかけた時、いきなりリライが服を脱ぎ始めた。


「ぶっ! コラ、リライ! 女が男に肌を見せるな! 向こうで脱げ!」


 俺は慌てて脱衣所を指差す。言葉とは裏腹に眼球は脳内HDDに録画を試みていたが。


「何で怒るですかー!」


 ててて、と駆けてくリライ。


 うーん。……いいモン見た。


「あ、リライ」


「……ん、何ですよ?」


 俺の呼び掛けにそう返事をして、脱衣所からひょこっと首だけ覗かせるリライ。


「……ありがとな。お前のおかげだ」


「…………」


 リライは視線を上にやり、人差し指を唇に当てた。心なしか顔が蒸気している。何だ?


「……こーゆーのって、何て言えばいーですか?」


「あん?」


 俺は怪訝な声を出した。が、どうやらリライのその言葉は俺に向けて言ったワケではなさそうだ。電波に聞いてるのか?


「……ふんふん、分かったですよ」


「……?」


 ようやくリライの瞳がこちらを向く。


「あ、アキーロも、カッコよかった……です、よ?」


「……!」


「……何か変です。顔がアチーです。ホントにコレで合ってるですかぁ?」


「……サンキュ。早くシャワー浴びてこい」


「ん。行ってくるですよ」


 そう言ってリライが引っ込む。何だろ。俺も顔がアチーぞ。


 まあいい。感謝の気持ちを表す為にも頑張ってご飯を作ろう。……きっとまたすげーだうめーだ大騒ぎするんだろな。


 ……ソレにもしかしたら、俺の現世での最後のメシになるかもしれないんだし。


 ……そう考えると、自然と手が震えた。


 けど、仕方がない。仕方がないんだ……!


 さっきまでの俺だったら何が何でもごねまくるだろうが、優乃先輩を助けることが出来てさえいれば、たとえ俺が死ぬことになろうが、安いモンだ……!


「……の、はずなのに」


 往生際の悪さを表すかのように、全身が振るえて仕方がない。


 死にたくない。俺は死にたくない。


「ちくしょう……死にたく……ねぇなぁ……」


 俺が床に膝を着いてぽつりと呟いた、その時だった。


「メリークリスマース!!」


 玄関のドアが開いて誰かが入って来た。


「……え?」


 俺が玄関の方を振り向くと、そこには……そこにいたのは――


「えっへへ~お邪魔しま~す!」


 ――あぁ、神様っているのかな。


 そこにいたのは……長いストレートの黒髪、柔らかい微笑み。見間違えるワケがない。さらに綺麗になった、大人の優乃先輩だった。


「優乃……先輩」


「……先輩? 懐かしいねぇ、その呼び方! ケーキ買って来たよ」


 そう言いながら羽織っていた上着を脱ぎ、手馴れた仕草でハンガーに掛ける先輩。身体にフィットしたセーターがグラマラスになった彼女のスタイルのよさを強調してくる。


「……秋くん? この包帯……どうしたの? 大丈夫?」


 彼女のしなやかな指が惚けてた俺の頭を心配そうに撫でる。


 ……秋くん。秋くんだってさ。


 こんなに嬉しいことってあるんだな。生きててよかったって本気で思った。


 俺がそう思い、涙腺が限界を迎えようとしたその時――


「ふわー! スッキリしたですよ! アキーロ! すげーですねしゃわあって!」


 ――素っ裸のリライが脱衣所から飛び出して来た。満面の笑みを浮かべて。


「…………」


「…………」


「…………」


 さっきまでの感動的な空気はどこにいった? なあ、どこにいったんだよ! おい!


「……あ~! あんたわ――」


「……秋くん?」


「……は、はい……」


「コレはどういうことかな?」


「あ、いや。違うんです、コレは――」


 かつてない程に凄みのある低い声での質問に、俺はしどろもどろになっていた。


「こういうことして、あたしが怒るとか悲しむとか思わなかったんだ?」


「ご、誤解で――」


「秋くんはあたしのこと何も分かってないんだね」


 ……あ! コレは聞き覚えのあるフレーズだぞ。俺が望んだ言葉でもある。


 確か……確か、アレ? 何て答えてやるって言ったんだっけ?


 急すぎる展開に頭が全くついてきてなかった俺は、何故かこう口に出してしまった。


「な、なはは……」


「なはは、じゃ、ね――っ!!」


 すぱんっ!


 そう聞こえるや否や、俺の顔面に叩きつけられたのはケーキに違いない。……ドリフ?


 でも彼女の言い分はもっともだ。なははじゃねーだろ。俺。


 どすどすどす! ガチャっ! バタン!


 視界は閉ざされていれど、音で全てが分かった。先輩が玄関を開けて出て行ったのだろう。


「アキーロ……アレ、ユノですよね?」


「……んん」


「なんで出てったですか?」


「…………」


 分かれよ。お前のせいだよ。なんで素っ裸で出てくんだよ……ちょっとラッキーだけど。


「……何ですかコレ? いーにおいがするですよ。やべーですよ!」


 そう聞こえたかと思うと、顔に何か圧力を感じた。リライがケーキを食ってるんだろう。


 ……生きてた。優乃先輩が生きていた……。


「うめーですよっ! やべーですよ! 今までのとわまた違う、何てゆーですかコレわ!」


「……あめー、だろ」


「あめー!? あめーってゆーですか! あめーですよ!」


 ようやく顔からケーキが大体取り払われ、喋ることは出来る様になった。


「……リライ」


 俺は声で位置を把握し、リライの両肩を掴んだ。


「もごむご……はいですよ?」


「……ありがと……な……」


「……アキーロ?」


 リライの声がする。喋ることは出来る様になったと言ったけど、見ることは? だって? ……ソリャ無理だ。だってケーキがなくなっても俺の視界はぐしゃぐしゃだったんだから。


「生きてた……優乃先輩が、生きてるよ……メリークリスマスって、秋くん、だって……」


「……アキーロ」


 いつかの様に、どん、と身体が何かにぶつかって、正面と背中側の両方が柔らかくて温かいモノに包まれた。


「リラ――」


「ユノの真似ですよ……アキーロ、よかったですね」


「……うん。ありがとう……リライ……ありがとう」


 俺はもう滂沱ぼうだの如くぼろっぼろに泣いた。泣き声混じりの、裏っ返り気味の声で何度もお礼を言った。すると、リライはいつかの様に、背中をさすってくれた。


 その時――


「い、ち、おー! 言い訳は聞いてあげるから! 何とか言ってみなさ――」


 ――ガチャリと再び玄関が開いて、声がした。この声はさっき聞いたばかりの……


「……優乃先輩」


「…………」


「……?」


 口を開けたまま固まっている優乃先輩。そこで俺は思い出した。俺を抱き締めているリライが素っ裸だったことを。道理で柔らかかった……いやいや。ぷにゅぽよんだった……いやいや!


「…………」


 無言で俺の持っている靴の中でも、一番重いブーツを拾い上げる優乃先輩。


「秋色の……ばっかやろぉぉおおっっ!!」


 グシャ! ガチャ! バタン!


「……アキーロ……大丈夫ですか?」


 リライが大量の鼻血を出しながら倒れた俺を不思議そうに覗き込んでくる。


「……服着てくれ。頼むから……」


「……あ、はいですよ」


 そうだった。と言わんばかりの様子でリライは服を着始めた。早く、早く着終わってくれ……三回目はさすがに命が危ない……。


 あ、命と言えば……


「リライ……」


「ふへ? 何ですよ?」


 そう返事してこちらに振り返るリライはまだ下着姿だった。俺は慌てて視線を逸らす。


「やっぱ……俺、向こうに……死後の世界に行かなきゃ、ならないのかな」


「……アキーロ」


「いや、今更ごねるつもりもないんだけどさ。もし……もし、そう……ならなかったら、ラッキーだなって……」


「……ホントに、いーですか?」


「……いいも悪いもないよ。そうなんだろ?」


「……はい……ですよ」


「だよな……はは、うん。そっか……」


「アキーロ……」


「いや、疑う余地ねぇさ。俺自身、自殺に至るまでのロジックが分かっちまったからな」


「……でも、まだ初体験してねーですよ?」


「……はは、アレは……まぁ、その場しのぎだよ」


「……でも、アキーロが出した条件わ『初体験をしたら死後の世界に連れていってもいい』ですよ。まだソレわ達成されてねーです」


「……んなこと言ったって……最有力候補の優乃先輩は……怒って出て行っちまったし」


「…………」


「……ソレに、彼女が生きていただけで充分だよ」


 前の俺だったら言えないクサい台詞を、俺は自然に吐き出した。もう覚悟は決まってる。


「……自分と、するですか?」


「……はい?」


「考えてみたら、自分わ今、人間の女の身体ですよ。だから、その気になれば出来るですよ」


「……いや、いやいやいやいや。ソレはちょっと、ダメだろ」


「アキーロわ、自分ぢゃダメですか?」


「……いや、いやいやいやいや。そ、そそそそーゆー意味じゃなくって」


 アレ? アレ~? さっき固まったはずの覚悟とやらが、ぐにゃんぐにゃんに揺らいでいくのを感じるぞ~? そして代わりにムラっとよこしまな何かが下腹部に集約されつつある。


 ……先程見たリライの裸が思い出される。一糸纏わぬってヤツだ。次いで抱き締められた時の感触が甦る。


 ……落ち着け俺! 煩悩退散! ああ、アレなとこがアレなことに……


「お、俺はともかく、リライはいいのかよ?」


 何とか残っていた理性が、儚い抵抗をした。


「……? どーゆー意味ですか?」


「だから、そういうのは好きなヤツとするモンなんだよ」


「……すきって、なんですよ?」


「……あ~っと、だから……」


 多分こいつに説明するのは苦労すると思う。何とか理解させてもたまごかけご飯に抱いてる気持ちだ。くらいにしか理解してくれなさそうだ。


「お前は、俺に身体を触られたり、唇を重ねられたりしても平気なのか?」


「……ソレって、どっちももーやってるぢゃねーですか」


「だーかーらー! 意味合いが違うの!」


「分かんねーですよ。……あ、ちょっと待つですよ」


 俺が頭を抱えていると、リライがちょっと待ったのポーズをした。


「……え!? ……はぁ。……はいですよ」


 電波から通信が入ったのか? まさか見ててやるから、しろ、とか? そういう趣味はねーぞ! いや、でもリライが命令には逆らえないというのなら……ソレは人助けであり今の俺は逆らうことの許されない罪人であり――くそぅ!


「……アキーロ」


「は、はいっ!」


「……アキーロ。死なねーみてーです」


「……は?」


「だから、アキーロわユノを助けられなかったことが原因で自分を殺すですよ。だから、ユノが生きてる今、アキーロが自分を殺す予定もなくなった……と」


「……へ?」


「ソレどころか、アキーロ自身だけでなく、自分で自分を殺したユノを助けたことから、すげーってホメられまくってるですよ」


「……ほ?」


「だから、アキーロわ向こうに行く必要がなくなったですよ。無理に今自分と初体験する必要もなくなったですよ」


「……え? そうなの? しないの? 初体験」


「……何ですよ? してーですか?」


「い、いやいやいやいや! そうか! 自殺しないで済んだのか俺! 考えてみれば当たり前だよな! 原因を取り除いたんだから!」


 怪訝そうな瞳を向けられ、俺は慌ててごまかすことにした。いや、据え膳をいきなり引っ込められると、どうしてもね。


「……だからアキーロわ、このままこっちでユノと楽しく暮らすですよ」


「……リライ。リライは……帰っちゃうのか?」


「そりゃそーですよ。まだまだ償わなきゃならない罪人わたくさんいるですよ。アキーロの中の自分の記憶も、え、と……リトライも、全部忘れるですよ」


「……そんな、リライ……」


 その時、俺の携帯電話が鳴った。


《何で追っかけて来ないのよ!? いつ出てくるかって家の前でずっと待ってるのに!!》


 優乃先輩だった。何か微妙にキャラが変わったような……?


「は、はい! すぐ行きます!」


 俺は電話を切って上着を羽織った。


「リライ……!」


「行くですよ。そんで帰ってきた時にわ自分わもう消えてるです」


「リライ!」


「アキーロわ自分のこと忘れちまうですけど、自分わアキーロが付けてくれた『リライ』って名前、ぜってー忘れねーですよ。次のパートナーにも、そう呼べって名乗るですよ」


 そう言って微笑むリライの瞳から、ぽろ。と雫が零れた。


「……アレ? 何で……? おかしーですよ」


 そう言って首を傾げるリライを、俺は迷わず抱き締めた。


「……おかしくないさ。人間はこういう時、泣くんだ。リライはもう人間の気持ちが分かるから、次の仕事もきっとうまくいくさ。お前は失敗作なんかじゃない。最高の執行者だ」


「アキーロ……」


 涙声でリライが俺の背中に腕を回し、俺の胸に顔をうずめる。


「……ありがとう。リライ。死んだらまた会おうな」


「……はいですよ。会いに行くです……」


 そんな会話をしてから、未練を断ち切る様に身体を離し、俺はリライに背を向けドアを開けた。ドアが閉まる瞬間――


「さよなら……アキーロ」


 ――そんな声が聞こえた気がした。

 

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