エピローグ
たった一度の後悔もなく人生を生きているヤツなんていない。多分……いや絶対。
少なくとも俺はそう思うぞ。
『我が人生に一片の悔いなし!』なんてカッコいい台詞が言えるのは、世紀末を支配していた覇王くらいなモンだろう。間違いない。
しかしソレでも『そ~か? 俺は今までの自分の選択に後悔なんてしたことはないぜ』なんていう反対意見を口にするヤツがいたら、断言してやる。
あんたは嘘吐きか、意地っ張りか、自分の失敗を知らず知らずの内に封じ込めて、目を逸らしているだけだ、と。
俺は戸山秋色。二十五歳。定職なし、金なし、彼女なしのフリーター。童貞。
彼女だと断言出来る人はいないが、有力候補はいる。
その有力候補である久住優乃さんが、俺の部屋を飛び出して行ったのを追いかけ、なだめすかしながら市街でデートをしたクリスマスイブから二週間が経つ。
そんな友達以上の関係でありながら、その一線を越えられない俺にとって、あの日はソレを飛び越えるチャンスだったはずなのだが、誤解を解くのが精一杯で、童貞脱出はおろか、恋人に昇格することも出来なかった。
問題は、今となってはその誤解が何だったのか全く思い出せないことだ。
ソレどころか、鍵を掛け忘れた部屋に帰った時、使った覚えのない茶碗や、バスルームが使用後の状態で残されていた。
俺はこの年にして健忘症や夢遊病、はたまた若年性の痴呆症にでもなってしまったのだろうか? きっと童貞菌が脳ミソにまで回ったんだ。
年末年始の居酒屋勤めは多忙を極めるモノで、ようやくお正月ムードの明けた今日、久しぶりの休みをいただけた次第である。
優乃先輩とも、中学の時に文化祭のステージジャックを敢行し、一緒に担任のジュンコ先生に坊主頭にされた親友の宗二と賢とも、あけおめメールを交わしたくらいである。
おまけにヤツらは『早く職に就け、甲斐性なしニート』だの『さっさと童貞捨てろイ●ポ』だの、親切極まりない一言を添えてきやがった。
そんな超多忙の日々がやっと終わり、朝目覚めた俺は、今ようやく自分の時間を満喫するところだ。
朝飯のたまごかけご飯を平らげ……アレである。溜まりに溜まった欲求不満の解消を試みようとしていたところなのだ。
俺がティッシュをスタンバイし、DVDのリモコンに手を伸ばしたその時だった。
ぴんぽーん♪
と来客を告げるインターホンのチャイムが鳴り響いた。
あんだよこんな時に! すでにアレなとこがアレな状態になってるのに!
「はい? どちらさま!?」
俺は玄関に向けて早足で歩き、憤りに任せ、覗き穴も確かめずに勢いよくドアを開けた。
瞬間――
ガンっ!
「いぎゃっ!!」
――そんな声がして何かがドアの前の地面に転がった。
「え……!?」
俺は地面に転がったモノに目を向けた。モノってゆーか、人だ。どうやら俺が開け放ったドアにぶつかってしまったらしい。
「す、すみません、大丈夫で――」
「――!!」
そこまで言いかけて俺は絶句した。目の前で尻餅をついているのは女性だった。
しかも……外人? ショートと言うには少し長い髪の毛が灰色だ。銀髪か? アッシュブロンドってヤツだろうか? 頭のてっぺんから、アレだ。いわゆるアホ毛ってヤツがぴょん、と雪解け時の兎の様に撥ねている。
「いっっっったぁ~……」
銀髪ショートの女が顔を歪ませてる。歪む唇の隙間から健康そうな白い八重歯が見えた。
……が、俺が絶句した理由はソレらではない。銀髪だか灰色だかに染めた髪など最近の若者には珍しくも何ともない。アニメの世界では普通に存在するモンだ。
では何故絶句したのかというと、こんな寒い日にコートもなしで、スカートとストッキングを穿いて両脚を大きく左右に広げ尻餅をついている彼女の姿に既視感を覚えたからだ。
この光景には見覚えがある! 男のロマン、ストッキング越しのパンツ……!
「このパンツは……」
俺はそう呟き、夢遊病者の様に彼女にふらふらと歩み寄った。もっと近くで見れば、何か思い出すかもしれない!
「な……」
「な?」
そう言って顔を俺に向けたパンツ女は、目が碧かった。マジで外人? いやでも今時カラーコンタクトなんて珍しくも何ともない。アニメの世界では――
「何しやがるですかっ!」
「――あひゅうぅっっ!!」
多分俺だけに聞こえた『ずんっ!』って音と共に、殺人級の衝撃と痛みが股間に走った。パンツ女が座り込んだまま俺の股座を蹴り上げたのだ。
「このパンツわ、ぢゃねーですよ!」
股間にダメージを負った男の例に漏れず、俺は前屈みのポーズで後ずさる。何とか視線を上げると、素早く立ち上がった女が両手で俺の頭を掴み、迫ってきているところだった。
「へ……?」
「ん……」
唇が触れた。
え? え? 何? 欧米風の挨拶? ギャルゲーフラグ? なんなのなんなの?
「…………」
ど、どうする? とりあえず身体を離すべきか? でもソレはなんとなく勿体ないよーな!
「…………」
もしかして、人違い? てことは身体を離して顔を見られたら、ソレが発覚して殴られるかもしれん。
でもソレって俺のせいか? 仕方ないよね。俺はされた側だもん! どうせ殴られるんならやれるとこまで……やってみるさ!
「…………」
……ど、どうする? とりあえず舌でも入れてみるか? いやでもそんなテクニックは俺にはない!
稚拙なテクを晒した挙げ句に失望の眼差しで失笑されたらもう立ち直れないぞ!?
「…………」
ソレに俺には優乃先輩がいるじゃないか! 例え被害者だとしてもこの状況はいかんのじゃないかね? 大体こういうタイミングでいつもいつも目撃されて殴られる羽目になるんだ。
「…………」
……あのクリスマスイブの時もだよ。絶妙なタイミングで全裸突入してきて一発目を頂戴し、その後は全裸ハグを目撃され、二発目を頂戴した。
……アレ? クリスマスイブにそんなことあったか?
なんてなことを考えていた俺の頭に電流が走るような感覚が押し寄せた。
唇が離れる。視界がチカチカする。
「……! ……くぁっ!」
シナプス間を走る電流。そうとしか言いようがない。
ソレは、波のように怒濤の勢いで俺の身体中を駆け巡った。
「り……リライ?」
「お? きたですね」
アレ? ……俺、今何て言ったんだ? りらい? り……らい……リライ……?
「……あ」
「よーやく思い出したですか」
そうだ。俺の腕の中でニマニマしているこの女。この女を俺は知っている。
「リライ!」
そうだ、思い出した! こいつがいたから、俺は自殺することなく今生きていられるんだ。こいつがいたから俺は優乃先輩を救うことが出来たんだ。
「ぬふふ。予想より記憶の復元に時間が掛かったですね~。もっと早く反映されると思ったですよぉ」
「お、おま……な、なんで!?」
その時、俺の頭は混乱の極みにあったと言えるだろう。何せ今生の別れを告げたと思ってたリライが目の前にいたからだ。
しかしリライは俺の質問など聞こえていないかの様に身体を離し、こほんと一つ、咳払いをし、
「あんた、戸山秋色ですね?」
いつかも聞いたことのある言葉を一方的に放ってきた。
「……?」
「自分わ死後の世界の管理者から辞令を受け、あんたとの交渉人に任命された執行者『リライ』ですよ。そー呼べですよ」
そう言って彼女は誇らしげにふんぞり返る。
「……辞令? 交渉人?」
俺はワケが分からず、脳ミソに引っ掛かった言葉をオウム返しするのが精一杯だった。
「管理者からのメッセーヂを伝えますですよ。えー、戸山秋色殿。先日の償いお試しコースでの貴殿の見事な手腕にわ感服致しました。就きましてわ、未だ罪人で溢れ返っている死後の世界の為、貴殿のお力添えを乞う所存にございます――」
「……はい?」
「――こちらとしましてわ、戸山殿にお越し頂いての協力を想定していたのですが、『戸山殿わ絶対にそちらに留まりながらの力添えしか承諾しない。そしてソレすらも自分が説得しなければ危うい。戸山殿の相棒わ自分が適任だ』と、先日、貴殿の元に送ったリライと名乗る執行者が豪語して聞かないので、この者を今一度メッセンヂャーとして派遣させて頂くことと相成りました。どうか色好い返事をお待ちしております。……だ、そーですよ」
「……マジか」
何とか理解は出来た。そう言えば前のリトライでホメられまくってるとか聞いたな。
「……マヂですよ」
リライが何故かニマニマと嬉しそうに言う。
……何てこった。
優乃先輩の為にも就職するか。なんて考えてた矢先にとんでもない場所からスカウトがきちまった。
「あんたの取る道わ二つに一つ。快く協力するか! しぶしぶ協力するか! ですよ!」
「また一択かよっ! つーかソレ交渉のつもりかっ!?」
俺は反射的にツッコむ。
……こういうアホな会話してるとリライがいるのを実感するな。
「……ダメ……ですか?」
リライが久々に、いつかの不安そうに下から覗き込む仕草を見せてきた……むむ。
「……その協力って、失敗してもペナルティーはないのか?」
「ねーですよ」
「危なくないか?」
「ねーですよ」
……ちゃんと考えて答えとんのかこいつは。
「じゃあもう一つ聞くけど、俺が断ったらお前はどうなる?」
「……まぁ、向こうに帰ることになるですよ。そんでもう二度とアキーロと会うことわねーと思いますですよ」
……むむ。やっぱそうか。
「……断る……つもりですか?」
リライがますます不安そうに碧眼を潤ませる……むむむ。
「……ヒマな時……だけでいいか」
「え?」
「あと! 気が向いた時だけな!」
「アキーロ、ソレって――」
「だから協力してやるって言ってんだよ! でもさっきの条件付きだからな!」
「――はいですよ!」
先程までとは一転、満面の笑みを浮かべるリライ。
……早まったかもしんない。でもこの笑顔を見ると、安請け合いしてよかった、なんて思ったりもするぞ。
「ところでリライ。さっきから気になってんだけど」
「はいですよ」
「今日って……何日?」
「ほへ?」
俺の感覚だと……いや、まさかな。
「えーっと……一月七日。ですよ」
「……クリスマスイブじゃ、なくて?」
「ふへ?」
そう。そうなのだ。
俺の感覚だと、さっき別れたリライが気がついたら目の前にいた感じだ。久し振りに会ったようなリライの態度に何か違和感を感じていたのだ。
別れてから今までの間に何かあったような気がしないでもないのだが、スルスルと、現在進行形でスルスルと、記憶が抜け落ちていってるような気がする。
「……何か、気づいたら外だし。どうなってんの?」
「アレっ? 付け足しぢゃなくて上書きしちまったですかね?」
「……どういうことかな?」
「えーっと、ですね。アキーロが最後にリトライした時の記憶のバックアップが自分の中に残ってたですよ」
「ほう」
「ソレを今アキーロにちゅーして復元してやろーとしたですよ」
ちゅーって……何かテレるぞ。
しかしUSBメモリーみたいなヤツだな。
「そしたら付け足して補完するつもりが上書きしちまったみてーです」
「……つまり?」
「リトライでユノを助けてから今までどんな風に過ごしたのか、記憶がぶっ飛んぢゃったみてーですね」
「やっぱり! キングクリ◯ゾンッ! 何かおかしいと思ったんだよ! あぁ! 記憶がスルスルと! 現在進行形でスルスルとぉぉ! ドンドン忘れていくぅぅ! 何この感覚!? 何か怖っ!」
俺は頭を抱えながら不思議な踊りを踊った。
リライは苦笑いしながらソレを見ている。
「え、じゃあ何? さっきまでの俺は、優乃先輩とどんな会話をして、どんな思い出を作ってきたのか知ってたワケ!?」
「はいですよ」
「嘘やぁぁああ! 戻してくれ!」
「無理ですね~。もう消えちゃったですもん」
「だってコレ、今後、優乃先輩に思い出話振られた時に、俺毎回『なはは』って応えなきゃならんくなるだろ! 殺されちゃうよ!」
「大丈夫ですよぉ。自分も隣で『ぬふふ』って言ってあげるです」
何が大丈夫なんだか全然分からんが、リライは嬉しそうに笑った。
「あ、あとサトシともどうやって過ごしたのか飛んぢゃったですね」
「や、ソレは別にどうでもいいんだが……」
「もー気にしてもしょーがねーですよぉ。元気出すです!」
……お前のせいなんだが……まぁ、俺の記憶が飛んだだけで優乃先輩は生きているし、俺が命を賭けて自分のトラウマと戦った証はちゃんと残ってるんだ。ヨシとしよう。
「じゃあ、コレからもよろしくな……リライ」
「はいですよ! え~と、ふつつ……かモノです……が、お邪魔させて頂くですよ!」
リライが電波が送ってきてるのであろうカンペを読みながら、深々と頭を下げた。
「……てお前、もしかしてウチに住むつもりか!?」
「……そーですよ?」
何てことない様子であっけらかんと言いやがる。
「いや、いくら何でもソレは問題が――」
「そーと決まれば! さっそくアキーロにやってもらう仕事があるですよ!」
満面の笑みでこちらの意見をガン無視したリライが、俺の腕を掴んで走り出した。
「仕事!? 何だよソリャ!?」
腕を引っ張られながらも俺は大声で叫ぶ。俺の腕を引いて前を走るリライが振り返り、太陽の様にパワフルで眩しい笑顔を向けて、大きな声で答えた――
考えたことはないかい? 今の記憶を持ったまま過去に戻って上書きが出来たらって。
俺はずっとずっとそう思っていたんだ。
もちろんソレは、たられば。イフの話じゃないかと思うだろう。そんなことは俺だって分かってる。
逆に、過去は覆せない。取り戻せないのを分かっているからこそ強くそう思っていたんだ。そんなことは分かってる。いや、分かってた。
そう、俺は記憶を持ったまま過去に行くことが出来たんだ。そして、自分の後悔に干渉することが出来た。いや、そうせざるを得なくなっちまったんだ。
「――ネズミの王国に連れて行くですよっ!!」
そしてコレからも、俺の人生に付いて回ることとなったソレは、過去の書き換え、上書き、加筆修正。ソレに挑戦するっていうお話だ。
……ちょっと気取った、中二な名前を付けるんなら……
『リライとトライ』
……そんなとこだ。
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