第二十一話
文化祭の初日である今日は、一般開放はなく、関係者だけで執り行われる。楽器演奏などの発表も今日だ。
今まさに、文化祭の開催がハゲ校長から宣言されたその時、俺はいつもの屋上の、開錠の形を取っているドアを開けた。
いつもの匂いと、いつもの涼しさを感じさせる秋の風が、祝福するように俺の髪を撫でてくれた。
ここ最近は、この風を感じても、風の向こうに目当ての人はいなかったからな。
だが、ようやく……ようやく会えた……!
「……久しぶりです。優乃先輩」
「秋色……くん!?」
屋上の手すりの向こう側に立っていた優乃先輩が振り向いて、驚きの声を上げた。
「どう……して?」
「このMD。コレのおかげで思い出したんです。もっとも、今も未来でも、俺が先輩の本音を聴いたのは一度きりなんですけど。……本来なら、MDプレーヤーなんて持ってなくて、何年もずっと後になってから、実家の引き出しに仕舞い込んでたコレを聴くことになるんですけどね」
「……?」
「その時の俺は精神的に今よりずっと弱くなってしまっていて、『もっと早く聴いてればあなたを助けられた。何で気づいてやれなかったんだ』って――後を追っちゃうんですけど」
「秋色くん? 何を――」
「でも、幸か不幸か、そんな人事も尽くさず天命を待ってた俺に、ある奇跡が起こりましてね。全く別件の、かませ犬として選んだヤンキーと友達になっちゃって、そいつがプレーヤー持ってまして……意外なとこにフラグがあったんです」
「……? でも、そのMDには――」
「ええ、今日ここから飛び降りる、なんてことは言ってませんでしたね。でも、リトライ前の俺が知ってたんです。先輩は今日この時間、ここから飛び降りて……死んだ、って。単独では生かせない要素が、繋がった結果です」
俺が何を言ってるか分からないのだろう。当然だ。優乃先輩は怪訝な顔をしている。
「……よく分からないけど、MD聴いたなら知ってるでしょ? あたしは――」
「……ええ、『俺の気持ちを受け入れる資格がない』って言ってましたね……何故なら、顧問の原田先生と、付き合ってたから……」
もっと早く気づくべきだった……てのは自惚れが強いか。
でも、確かに要素はあったんだ。先輩との会話の中に、職員室での原田の態度の中に。
「でも、付き合ってると思っていたのは先輩だけで、原田先生は本気じゃなかった。他に婚約者がいた……」
「そうだよ……だから――」
「だから先生が推薦してくれたギターの発表なんて出ない。むしろ当日に飛び降りてやる……と? ちょっと、俺の知ってる先輩のイメージじゃないですよ、ソレ」
手すりを掴む先輩の手が震えているのは、高所への恐怖からだろうか? ソレとも――
「そんなの、キミが勝手に期待したイメージじゃない! 勝手にあたしを優しくて甘えさせてくれる先輩だと思って! 先生だって……あたしはいい子だから分かってくれるよなって……あたし! いい子なんかじゃないモン! みんな、勝手過ぎるよ! 大っ嫌い!」
こんな風に泣きながら大声を上げる先輩を見たのは初めてだ。
コレが一切の体裁や外聞をかなぐり捨てた、取り繕うのをやめた優乃先輩なんだ。
かつての俺が見ることの叶わなかった彼女なんだ。
「じゃあ、なんで俺の下駄箱にこんなモン入れた! コレだけの為に学校に来てまで!」
「ソレは……せめて謝りたかったから……さよならを言っておきたかったから……」
「ソレだけか!? 自惚れだったら究極の間抜けだけど、俺に、助けを求めたんじゃないのか!? 俺に、か細い望みをかけたんじゃないのか!?」
「…………」
「そりゃあ……中坊でガキの俺じゃ、一緒に新しい恋に生きる候補にならなかったのも、本当の自分を晒け出せなかったのも分かるよ! でも今の俺は一味違うぜ! 既に三次元の女にはコレでもかってくらい幻滅してきたからな! 今の俺なら先輩がどんなに汚い感情抱えてても、受け止めてやんよ! 今の俺は十一年越し! 秋色Ⅲだ!」
俺は両手を大きく広げて声の限り叫んだ。
「キミが何言ってんのか全然分かんないよ! 何が秋色Ⅲよ! バッカじゃないの!?」
正直ぐさっときたが、大見得を切った手前、悟られるワケにはいかず、俺は屋上の手すり……即ち、先輩の立つ場所へと歩み寄った。
「バカはどっちだ……」
「え……」
「バカはどっちだって言ってんだよ。どんだけ辛かったか知らねーけどな、自分だけ勝手にイチ抜けなんてズル過ぎんだろ! 後を追っかけちゃった俺はどうすりゃいいんだ!」
俺は手すりを飛び越え、優乃先輩のすぐ真正面に立つ。もう少しで手が届く位置だ……!
「来ないでよ! 知らないわよそんなの! ワケ分かんないことばっか言って! あたしはもう嫌なの! いい子を演じるのも、いい先輩を演じるのも疲れたの!」
……ち。待ったを掛けられちまった。
万一の備えはしてあるモノの、ここで彼女を抑えて手すりよりこちら側にやるのが最優先だ。話はソレからでも出来る。
しかし、高い……怖え!
「だからって死ぬのかよ! あんたまだ十五だろ! 勿体無さ過ぎるんだよ! 人生はもっと楽しいことで溢れてんだぞ! 明日めちゃくちゃいいことあるかもしれねーだろ!」
「あたしより年下のくせに偉そうに言わないでよ! あたしのこと何にも分かってないくせに! 他人のくせに!」
「分かってないんじゃない! 知らないんだよ! 知りたくても、知ることが出来なかったんだよ! ここで先輩に死なれたら、ずっと知ることも出来ないんだよ!」
「もうワケが分からない! 何を言ってるの?」
「……コレから教えてくれよ。先輩のこと。好きなモノや嫌いなモノ、どんなくだらないことでもいい! そんで何年かして軽い喧嘩でもした時に、もう一度『あたしのこと何にも分かってないくせに』って言ってくれよ。その時は『何でも知ってるよ』って答えてみせるから!」
ところどころ裏返り気味の情けない声でそう叫びながら俺は、止め方を忘れてしまった何かが頬を伝い落ちる感触を覚えていた。
前回の彼女は、俺がここにやって来なかった彼女は……一体どんな気分で人生最後の瞬間を迎えたんだろう。
誰一人、何一つ信じられず、世界を呪いながら自ら人生の幕を閉じる。
ソレがどれだけ悲しくて、どれだけ寂しいことなのか……。
……させない。もう二度と! そんな寂しい思い、させてたまるモノか!
「もう……無理だよ。信じられないよ。みんなそうやってその場しのぎの綺麗事ばかりで……もう今更! 信じられないよ! 秋色くんだって、どうせ何年かしたら忘れるんでしょ! あたしのことなんて!」
「……!!」
《アキーロ……》
リライの声が聞こえた気がした。本人の心にもない言葉は届かないはずのこの世界で、先輩が俺の言葉に反論してきたということは、なんてその時の俺の頭には全くなかった。
何故なら、俺はその先輩の反論でブチギレていたから。
「……じゃあ」
「……え?」
「じゃあ教えてやるよ……助けられたはずの人を死なせちまうのが、どれだけ悔しくて、どれだけ自分を責めたくなって! どれだけ自分を許せなくなるのかってことを!」
「ちょ……」
《……アキーロ!? マヂですか!? そんなの作戦に――》
「俺は自殺は絶対に認めない! 認めるワケにはいかないんだ!」
「……っ!!」
優乃先輩の息を呑む音を聞きながら、俺は空へと跳躍していた。涙が上に流れていく。
すぐに内臓が浮き上がる様な感覚と、失禁しかねないくらいの恐怖が襲ってくる。
だが問題ない! 予想落下地点には万が一、先輩が飛び降りた時の為に、体育館からパクった超分厚いマットが敷いてあり、宗二と賢が待機しているのだ!
「頼むぞ二人共……! って、ええぇっ!?」
俺は空中で目をひん剥いた。マットの位置がズレてる! 先程マットをセットしたはずの位置には業務用のトラックが駐車されていて、その少し横で、仁王立ちしたジュンコ先生に頭をペコペコしてる二人がいた。
……ど、どうしよう、どうしよう! どうしよう!!
死ぬ!
マジか!?
こんなとこで!
コレも自殺扱い!?
嫌だ!
俺がここで死んだら! 優乃先輩は……どうなるん……だ?
泣いてくれる? まさか後を追う? ソレとも……俺みたいになるのか?
俺はコレだけの考えを巡らせたが、実際には一秒も経っちゃいない。アレだ。頭の回転が異常に速くなるっていうアレだ。
て、そんなことはどうでもいい! 嫌だ! 俺はまだ死にたくはない! 死にたくはない! 俺はまだ生きていたい!
「秋色くん!!」
《アキーロ!!》
「……!!」
二人の女性の声に反応して、俺がそちらを見た時、屋上よりワンフロア下の教室の窓枠から、長い暗幕が伸びているのが見えた。
後から思えば、その教室はお化け屋敷でもやっていたのだろう。
外光が入らない様に、幾重にも連なった暗幕を垂らしていたのだ。俺にとって最大の幸運は、その幾重にも連なった重い暗幕が、コレ以上ないタイミングの強風でこちらになびいていることだった。
「……ぅあぁっ!!」
暗幕の端を掴む。
が、ただ吊るされただけの暗幕が落下する人間の体重を支えられるはずがない。すぐにブチブチっと音がして、俺の身体はまた落下を再開する。
《アキーロぉっ!》
リライの悲鳴が聞こえる。強制解除とやらをしようってのか。しかしソレも間に合うか微妙だ。もう打つ手なしか……!
その時、俺にとって第二の幸運が起きた。またもコレ以上ないタイミングで強風が吹いたのだ。俺が両手で掴んでいた暗幕が激しく煽られる。
「……ぐぅっ!」
暗幕と一緒に風に運ばれた俺は、そのまま落下予測地点を大いに狂わせて、並木に突っ込んだ。
ここで第三の幸運が訪れる。暗幕が枝に引っ掛かりまくって、勢いをほとんど殺してくれたのだ。
「……ぐぇ!」
いい加減握力に限界がきて、手を外した俺は、そのまま当初の位置より大分ズレて置かれたマットの上に落ちた。掛けていた伊達メガネが弾け飛ぶ。
「い……ってぇぇ……!」
『あ、秋(色)!?』
マットのすぐ傍にいた三人が俺に気づいて驚きの声を上げる。
《あ、アキーロ! アキーロ!》
「……だ、大丈夫だ! どこも怪我してないぞ!」
俺はリライに向けてそう叫んだ。ここで接続を断たれては困るんだ。
《りょ……了解。……よ、よかったぁ……アキーロ、死んじゃうかと思ったよぉ……》
リライの涙声が聞こえてくる。いつものリライと違う口調、違う雰囲気だったが、この時の俺にはソレを気にしているいとまはなかった。
「ど、どういうことだ秋色! お前達!」
「ソレは……えっと……」
「コレは……いわゆる……その」
「アレでして……」
「どれだ!? 答えによってはお前達……」
テンパリまくる俺達と般若顔のジュンコ先生。一難去ってまた一難とはこのことだ。こ、殺される……。
「秋色くんっ!!」
その時、そう叫びながらこっちに走ってくる女生徒が一人。
「あ……ゆのせんぷぁっ!!」
名前を呼びかけた俺の頬に、めちゃくちゃスナッピーなビンタが炸裂した。超痛い。
「このバカぁっ!! 何考えてんのよぉっ!! あたしがどんな……どんな気持ちに――」
見たこともない顔でそう叫ぶ優乃先輩に、俺は気づいたらビンタを張り返していた。
「……っ!」
「ソレはこっちの台詞だ! 残された俺がどんな気持ちになったか分かるかっ!」
目の前で巻き起こる事態についていけず、宗二、賢、そしてジュンコ先生はぽかんと口を開けるばかりだ。
「……優乃先輩、ありふれた言葉だけど、俺達一人で生きてんじゃないんですよ。誰かが誰かの足しになって、その足しになった誰かも、そのことを足しに生きてるんです」
「…………」
「俺だって最近気づいたんですけどね。前は死ぬ程嫌いだったこいつとも分かり合えて、今では俺の人生を楽しくする要因の一つになってるし、死ぬ程妬ましいイケメンのこいつですら、こんな俺がいることで少しは楽しいと思ってくれてるはずなんです」
俺は賢、宗二の方を見て言う。
「だから、今の俺の生きる理由の大部分を占めてる優乃先輩には、生きていて欲しいです」
「…………」
優乃先輩は何も言わなかった。でも俺の言葉を蔑ろにする様子はない。
「……あ」
やべ! もう時間だ!
「優乃先輩! この後、体育館に来て下さい! 宗二! 賢! 作戦セカンドフェイズだ!」
『おおっ!!』
「コラ! どこ行くんだお前ら! まだ話は……」
修羅の如く顔を歪めるジュンコ先生。
「すいません! お叱りは後でっ! 先輩の時間、もらいます!」
不思議そうな顔をする先輩の目を真っ直ぐ見詰めそう言った後、俺達三人は走り出した。
「ぜってー来いよっ!!」
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