第十九話

 火曜日。今日も優乃先輩は学校に来ていない。昨日も日が暮れるまでずっと屋上で待っていたが、終ぞ彼女が現れることはなかった。


 だから今日は彼女の教室に顔を出してみた。クラスを知らなかったので片っ端からだ。先輩に出会う前の俺には多分無理だったと思う。


 しかしやっと見つけた彼女のクラスでも、先輩は昨日から休んでいる。理由は不明だということ以外分からなかった。


 だから今、俺は職員室に来ている。彼女の家の電話番号を聞く為に。


「何だ秋色。文化祭の準備はどうした?」


 ジュンコ先生に見つかって、俺はぎく、と足を止めた。


「いや、まぁ……野暮用で」


「何だ? また問題を起こしたんじゃないだろうな? ガラスでも割ったか? ソレともまた喧嘩か? イチイチ気まずい思いをするあたしの身にもなれ!」


「違いますよ!」


 そう否定するついでに、俺は優乃先輩のクラスの担任教師の席はどこか尋ねた。


「何だ。三年の担任にお前が何の用があるっていうんだ?」


「お願いします。教えてください」


 そう深々と頭を下げると、ジュンコ先生は何も聞かずに教えてくれた。が、結局先輩の担任に聞いても彼女の欠席の理由は分からなかった。しかしソレでもしぶしぶながら電話番号は何とか教えてくれた。


「秋色、欠席してる先輩の電話番号なんて聞いてどうするんだ。まさか、見舞いに行くとか言って弱ってるところをオトそうって作戦じゃないだろうな?」


 ジュンコ先生がジト目でひでぇことを言ってくる。あんた俺をどんな目で見てるんだ!


 既にここでの用は果たしたと、俺が職員室を後にしようとすると――


「キミ、ちょっと待ってくれ。ゆの……久住の欠席のことで何か知ってるのか?」


 ――若い男性教師が俺を引き止めた。俺のクラスの受け持ちではないな。知らないヤツだ。


「いや……俺も知らないんで、コレから電話しようと思ってるんですけど……」


「本当か? 本当に何も心当たりはない?」


 何だこいつ。先輩の担任でもないのに。


「ありませんよ」


「そうか……ありがとう。引き止めてすまなかったね」


 そう言ってそいつは自分の席に戻っていった。


「ジュンコ先生……誰あいつ?」


 何となく気に入らないモノを感じて、俺はジュンコ先生にそう尋ねる。


「コラぁっ! 誰があいつだ! 原田先生だよ。音楽の先生だ。確かにウチのクラスの受け持ちじゃないが、名前くらい知っとけ!」


「ハラダ……音楽教師……あ、もしかしてフォークギター部の顧問ってあいつ?」


「だからあいつって言うな! そうだよ。若いのに生徒からの人望もあって、教師達の間でも人気者なんだぞ」


「ふ~ん。じゃあモテモテなんだ。ジュンコ先生も狙ってんの?」


「バーカ。ガキは知らんでいいことだ。ソレに原田先生はもうすぐ結婚するんだよ」


 そう言われて見てみると、確かに野郎の左手の薬指には指輪が光っていた。


「あらら、残念だったね先生……よかったな賢」


「だから違うってのに! さっさと行け!」


「へーへー。……違う女と結婚するくせに、先輩を呼び捨てにしかけやがったのかあいつ」


「何言ってんだ。あたしだってお前を呼び捨てにしてるだろ。普通だよ」


「女の先生が男子生徒を呼ぶのはいいんですよ。じゃ、失礼しました」


 そう言って俺は職員室を出て、すぐ脇に曲がったとこにある公衆電話に駆け寄った。


 もらったメモに書かれた番号をゆっくり確実に押し、受話器を耳に当てる。


「……くそっ!」


 誰も出ない。結局手掛かりはなしか。一体何があったっていうんだ……先輩。


 風邪でも引いて寝ているだけならいいんだが、俺は妙な焦燥感に駆られていた。


 ……まさか、俺が告白したせいじゃないだろうな。


 もしかしたら入れ違いで来てやしないだろうかと、教室に戻る前に屋上を覗いてみたが、俺を迎えてくれたのは夕焼け空のみだった。


「一人で見ても意味ねーんだよ……」


 結局この日も先輩に会えず、俺は鬱屈した気分を抱えたまま、家路に就くこととなった。






 翌日。


 朝学校に来ると、俺の下駄箱に見慣れないモノが入っていた。


 ケースに収まったMDだ。一体誰が、何だってこんなモンを俺の下駄箱に? こんなモンを借りる約束はしていなかったし、そもそも俺はMDプレーヤーなんて持っちゃいない。


 ソレに今の俺はもっと気になっていることがあったので、とりあえずこの差出人不明のMDは鞄に放り込んで、最上階へと階段を駆け上った。


 ……が、結局、今日も優乃先輩は学校に来ていなかった。昨日と同じ人がさすがに二日連続で来た俺の顔を覚えてくれた様で、すぐに教えてくれた。


 その先輩にお礼を言って、俺が自分の教室に戻る歩を進めた時、朝の予鈴が鳴り響いた。






 昼休み。


 屋上に顔を出すが、先輩はいない。鍵が施錠の形を取っていた時点で期待はしていなかったが。


「……何やってんだよ……優乃先輩」


《……アキーロ》


「先輩に会いてぇよ……リライ」

《…………》


 俺は教室に戻る気分にもなれず、いつかの様に屋上の床に寝転がった。その時、ドアが開く音がして誰かが入って来た。


「……あ、いた」


 先輩が来たのかと、俺ががばっと上体を起こして入り口を見ると、視界に入ったのは賢と宗二の二人だった。


「……明らかにがっかりした顔すんなよ。『何だおめーらかよ』って顔に書いてあるぞ」


「……正解」


 俺はぶっきらぼうに答えて、再び床に倒れこんだ。


「……今日も先輩来てねーの?」


「ああ」


「電話しても出ないんだろ?」


「ああ」


「一体どうしたんだろうな?」


「…………」


 俺は仰向けの寝た姿勢のまま両手で顔を覆う。


「宗二ぃ……賢ぃ……」


『ん?』


「辛えよぉ……優乃先輩に会いてぇよぉ……」


『……秋』


「……やっぱ」


『ん?』


「……やっぱ告白なんてしなければよかったのかな? 俺が告白なんてしたから……」


「そんなワケねぇだろバーカ!! この間七回フラれた俺に諦めんなって言ったのはお前だろ。人を好きになって好きって伝えんのに、間違ってることなんて一個もねぇんだ!」


「……宗二」


「俺はさっきフラれてきたばっかだ。八回目だぞ! でもぜってぇ諦めねぇ! トモミが俺と付き合ってくれるまで告白する! もしまた不安になったらまた秋に叱りつけてもらって甦る! だから今は俺の番だろ!」


「……ん」


 俺は上体を起こし、学ランの袖で乱暴に涙を拭った。


「……で、どうしたんだ? 賢まで」


「……言えよ」


「……お前が言ってよ」


 真顔のままお互いを肘で突き合う二人に、俺は怪訝な顔をする。


「……だって最近……秋、全然教室にいねーし。どうしてんのかなー……って」


「な、何だそりゃ……」


「いや、心配で……」


「はは……ありがとう」


「……秋! やっぱバンドだよ! 文化祭のステージを奪って男魅せようぜ! ライブやるからってその先輩も呼んでさ!」


「やんねーって。大体あと三日しかねーじゃんか。正確には二日と半日だぞ」


「そこは気合で猛特訓だよ!」


「……気合、ね」


 俺は溜息を吐いた。


「最悪俺らの演奏した曲を録って、校内放送で流しちまうんだよ! 文化祭中のBGMですって!」


「……アホか。大体、録音機材がないだろうに」


「そこはノープロ! 賢が持ってる! な?」


「イエース」


「え、えぇ?」


 俺が怪訝な顔を向けると、賢は心なしか誇らしげな顔になって、


「……ホレ」


 肩に掛けていたバッグから、録音、再生機能付きのMDプレーヤーを取り出した。


「えぇ? お前、コレどうしたの? 高いべ!?」


「ふふん、兄貴のお下がりだべー」


「な! やろうぜ秋! コレなら音もいいべ!」


「べーべーうるせーな……あ」


 俺はあることを思い出し、自分のバッグを漁り、下駄箱に入っていたMDを取り出した。


「おお!? どうしたのソレ? すでにデモ用意してたの? やる気満々!?」


「いや、朝来たら下駄箱に入ってた……賢、ちょっとプレーヤー貸してくれ。聞いてみる」


「おお……何だろな、下駄箱に入ってたなんて……告白MDとか?」


「いや……もしかしたら呪いのMDかもしんねーぞ! よせ秋! 呪われちまうぞ!」


 各々の見解を述べる二人。そう言えば宗二は怖い系のモノが苦手なんだよな。このイケメンの唯一の弱点かもしれない。


「聞けば分かることだ。再生はコレ?」


 俺はMDをセットし、イヤホンを着け、再生ボタンを押した。


『……プツっ……ザー……』


 雑音から始まった。どうやら何かしら録音されてるみたいだ。ソレもちゃんとしたレコーディングスタジオとかでのモノじゃなくて、素人の録音の様だ。ノイズが酷い。


『……秋色くん。……聞こえていますか?』


 ……優乃先輩!?


 俺は驚きに目を見開いた。二人が心配そうでいて、興味深そうな視線を送ってくる。


 予想だにしない展開ってヤツだ。てことはコレを下駄箱に入れたのは先輩なのか?


『……えー……キミには、謝らなきゃならないことがあります』


 心臓が高鳴る。


 ……落ち着け。落ち着け秋色。


 俺は深呼吸をし、イヤホンから聞こえてくる想い人の声に、意識を集中した。






「うぅぅああああぁぁ――っっっ!!」


「アキーロ! しっかりするですよ! アキーロ!」


 狂った様に手足をバタつかせ、暴れまくる俺の身体を、必死に押さえ付けようとしているのはリライだ。耳元で彼女の必死な声がする。


「アキーロ! お願いだから落ち着くですよ!!」


「ぐぁぁあああっ!」


 ソレでも俺は叫び声を上げ、リライを振り払った。


「……ニャっ!」


 見慣れた俺の部屋の床にリライが尻餅をつくのが、何とか滲んだ視界に映った気がする。


「……ぐぅっ!」


 俺はこの狂おしい衝動を拳に乗せて、思い切り壁を殴った。そうでもしないとホントにイカれてしまうと本能的に分かったからだ。賢を殴った時以上の痛みが拳に走る。


 しかしソレでも湧き上がる衝動は治まらなかった。


「……んがぁぁっ!」


 次いで、俺は壁に思い切り頭を打ち付けた。


 予想以上の勢いがついていた様で、打ち付けた反動で俺は後方に倒れこんだ。


「アキーロ! アキーロ!」


 俺の頭が着地したのはどうやらリライの膝の上だったらしい。柔らかい感触がソレを教えてくれた。危うく後頭部をしたたかに打つとこだった。


「大丈夫ですか!? 自分が誰か分かりますですか!? あんたの名前言えるですか!?」


「……お前は、リライで……俺は、戸山秋色……」


「……よ、よかったですよ……」


 温かい雫が頬に落ちる。


「……リライ」


「……はいですよ」


 涙声でリライが答える。涙ぐんでいるリライの顔が、俺自身の涙で滲んだ視界にぼやけて見え、やがて真っ赤に染まって見えなくなった。どうやら頭部から出血したらしい。


「……一体……何が起こったんだ?」


「……詳しくわ分からねーですが、前とわ比べモノにならねーくらいアキーロの心が乱れたですよ。だから危険だと思ったけど、自分が接続を断ちましたですよ」


「乱れた……? 何で?」


「分からねーです。アキーロ、覚えてねーですか?」


 確か……屋上で……先輩がいなくて……そしたら宗二と賢が来て……ソレから……えーと、ちくしょう頭が痛い。


 ソレから……そうだ、MDだ。MDプレーヤーを賢が持ってて……そのMDに先輩の声が……先輩? 先輩……って――


「アキーロ、無理に思い出さねーほーが……」


「――ゆ、優乃先輩っ!」


「……ユノがどーしたですか?」


「……ぅう!」


 そこまで思い出したところで、猛烈な吐き気が襲ってきた。


 俺は滲んだ視界のまま、手探りで何とかトイレに駆け込んで嘔吐する。


「あ、アキーロ!?」


 リライが慌てて近寄って来る。


「せ、背中さすってくれ……」


 俺の言った通り、リライは優しく俺の背中をさすってくれた。どっちかというと暖める目的でこする様な感じだったが。


「……げほっ! ごほっ!」


「アキーロぉ……大丈夫ですか?」


 ひとしきり吐き終えると、ようやく呼吸が落ち着いてきた。すでに視界は真っ赤で、顔中の穴という穴から水分が出てる気がする。


 ……だけど、こんな目に合ったおかげで、


「……分かった」


 ……そう。分かった。


「ふへ?」


「俺が何で自殺したのかも……そして何でその記憶を閉じ込めてたかも、優乃先輩のことも、全部、全部分かった!」


 俺は便器にしがみついた情けない有様のまま、叫んだ。

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