第十七話

「……ふう」


 そう一息吐いてギターから手を離し、指を揉んだり伸ばしたりする優乃先輩。


 文化祭まであと一週間。土曜日の半日授業が終わった。来週から授業も免除で文化祭の準備が出来る。


 が、俺はクラスの出し物も、宗二のバンド練習の誘いもそっちのけで屋上にやって来たのだった。今日も心地いい風が俺の頬を撫で、先輩の髪をなびかせる。


「いい感じじゃないですか」


「……ホント?」


「はい。最初の内はモタついてたとこも、今じゃしっかり出来てるみたいだし」


「えへへ……才能が開花したのかな? ソレか……」


「……? ソレか?」


 そう聞く俺に、いつもの柔らかい笑顔を向けて――


「キミのおかげだね」


 ――優乃先輩はそう言った。


 俺がここに顔を出す様になってソレなりの日にちが経つが、何回見ても、この笑顔には見惚れてしまう。そのおかげで、いつもはぐらかしたり誤魔化すタイミングを見失うのだ。


「俺は、何もしてないですよ。見てただけです。優乃先輩の努力の成果ですよ」


 視線を逸らしながら、俺はテレくさそうに言った。


「その見てるだけってので充分なんだよ。誰かが見てると『もっとうまく弾ける様にならなきゃ』って思えるモン。だから頑張れたんだ」


 そう言って優乃先輩は左の掌を俺に向けて広げた。


「……ん?」


「指先、触ってみて」


「……あ」


 彼女が所属する部は、名称こそフォークギター部であるが、使用しているのは学校に置かれたクラシックギターである。このクラシックギターはナイロン弦が使用されている為、スティール弦に比べ、まだ比較的、指先を痛めつけないで済むのだ。


 にもかかわらず、彼女のしなやかな指先は、皮が厚く、固くなっていた。


「努力したってことですね……やっぱり先輩、偉いです」


 多分家に帰ってからも相当の練習をしているんだろう。俺は尊敬の念を抱いた。


「んーん。やっぱり頑張れたのもキミのおかげだよ。ありがと」


 ニッコリ笑って先輩がそう言ってくれる。


「あ、はは……そう言ってくれると、何か俺も誇らしいです」


「…………」


「……?」


「……え、と……」


「あ、すみません! 手、掴んだままでした!」


 どこかテレくさそうな彼女の視線で、俺は彼女の手を両手で包んだまま、離していなかったことに気づいた。慌てて手を引っ込める。


「……ソレはいいんだけど、女の子なのに皮が厚くなっちゃって、恥ずかしいじゃない?」


「そ、そんなことないですよ!」


 俺は反射的にそう言い返していた。


「先輩の手、すごい白くて、しなやかで、長くて、とても女性らしいと思いますよ! ……あ、いや、そんなに女の子の手をまじまじ見たことないけど。ひんやりしててやっぱ男のとは違うんだな、って……その、思い、ました……」


 自分が熱弁を振るっていたことに気づいて、尻すぼみになる俺の声。引かれたかな?


 見ると、彼女は最初驚いた様な顔をしていたが、やがて目を閉じ、頷き、最後にはいつもの柔らかい微笑を返してくれた。


「……秋色くんの手、あったかいよね」


「……え!? あ、ああ、バカだから体温高いのかもしれないですね! ははは……」


「……ふふ」


 なおも彼女は微笑を浮かべたまま俺を見ている。何だろう? 妙にテレくさい。


「今日、ちょっと寒いよね」


「そうですか? 俺にはいつもど――」


「寒いの」


「――はい」


「だから、指先が冷えて弦を押さえる時、痛いなー……」


 ……コレは、どういうことなんでしょ? ホットコーヒー買って来い二年、と続くのか?


「……あっためてよ」


 そう言って彼女がまた左手を差し出してきた。


「……は、はい」


「……ん、よろしい」


 俺はその手を出来るだけ優しく両手で包んだ。見ると、微笑を浮かべる先輩の頬に、僅かに赤みが差してる気がした。


 ……やっぱり俺、この人が好きだ。今日でもっと好きになった。


「秋色くん。色々ありがとね」


「いや、何もしてませんて」


「……本番まであと一週間か。何とか人に聞かせられるモノになりそう」


「……そうですね」


「来週の土曜日だから、息抜き出来る週末は明日で最後か……どうしよっかな?」


「…………」


「秋色くんにも、何かお礼しなきゃね」


 俺は優乃先輩の手を先程までよりも、やや強く握り締めた。


「デートしませんか?」


「……へ?」


《……ふへ?》


 久しぶりにリライの声を聞いた気がする。でも今は言葉を紡ぐことの方が重要だ。


「もし何かお礼してくれるんなら……デートして欲しいです」


「…………」


「そ、ソレに、先輩の息抜きにも……なるし」


「……うん」


「お、俺と一緒にいて息抜きになれば……ですけど」


「……ん」


「だから、休日も先輩とデートする権利が欲しい……です」


「……ん」


「……ど、どうでしょ?」


 あぁ、また尻すぼみだ。最初の勢いはどこにいったのやら。こういうのを竜頭蛇尾っていうんだこの二十五歳童貞め。


 ……優乃先輩は変わらず微笑を浮かべたままだ。乗り気なのか引いてるのか、全然分かんねー!


 あ、やべ。手に汗かいてきた。ぬるぬるしないかな? キモいかな? 


「結構前に、返事したよ」


「……え!?」


 フワッツ? え? いつした? 何てした? どっち?


「……ぷぷ……くふふふ……」


 笑い出す優乃先輩。真顔のまま、またも滝の様な汗を流す俺。


「……あたし、ネズミの王国行きたいなっ!」


 優乃先輩がこの日最大級の笑顔でそう言った。


「き……」


「……き?」


《……き?》


「キタ――!!」


 俺はダッシュで屋上の端まで行き、燦々と燃える太陽に、あらん限りの力で叫んだ。






 翌日。


 地元の駅での待ち合わせに俺は二十分前にやって来たが、驚いたことに優乃先輩は先に来ていた。


「えっへへ~。勝ち」


 そう言って無邪気な笑顔で、驚く俺にビシっとVサインを突き出してくる。


 何日か一緒にいて分かったことだが、結構負けず嫌いなとこがあるよな、この人。


「行こっ! 今日は思いっきり息抜きするんだから!」


 駆け足気味に改札口に向かう彼女のスカートがふわりと揺れる。私服も可愛いなぁ……!


「お、思いっきり息抜きって……何か変な感じですね」


「そお? 普段過ごす俗世で溜め込んだストレスを発散して本当の自分を出す! 気合入れなきゃ」


「あっははは……じゃあ俺も頑張んなきゃですね」






 電車に乗って数十分。俺達は目的地であるネズミの王国に辿り着いた。


「うえ。さすが日曜日。めちゃくちゃ混んでますね……」


「大丈夫大丈夫。想定内だもん。気合気合!」


「き、気合ですか……よし! 俺も気合入れます!」


「ふふ、そうだよ。秋色くんから誘ったデートでしょ?」


 そう言って先輩は俺の横に並んで、ここ最近何度か見た、恥ずかしがる俺の反応を楽しむ様な、少し意地悪な笑みを浮かべた。


「そうでした……では精一杯のエスコートをさせて頂きます。姫」


 俺は紳士よろしく、芝居がかった動きで恭しく頭を下げる。すると、


「……ふふ、くるしゅーない!」


 そう言って優乃先輩が俺の手を取った。


「……!!」


 ……手! 手ぇ繋いでますよコレ! いいんですか? 俺童貞ですよ!? 先輩恥ずかしくないんですか? 周りの人が『見て見て、あの娘、童貞と手ぇ繋いでるわよ』とか『童貞と手ぇ繋ぐなんてかわいそうに』なんて笑ってるんじゃないですか!?


「……ちょっと、そんな真っ赤な顔されると、こっちも恥ずかしくなってくるじゃん。エスコートしてくれるんでしょ? 嫌なの?」


「い、嫌じゃなくなくなくなくない!」


「……どっち?」


「……で、出来る限りの務めを果たさせて頂きます……」


 そう言って俺は先輩の手を握り返した。


 ……うおー! みんな見てくれ! 俺童貞だけどこんな素敵な人と手を繋げました! だからみんなも頑張ってくれ! 人の夢は終わらねえ!


 そんな感じでエスコート相手から最高級の気合を頂戴したワケで、俺は緊張を通り越してハイになった。何なら少し舞い上がってたくらいかもね。


《うおー! 何ですかコレわ! うおー!》


 やら、


《ふひゃー! 何ですかアレわ! どひゃー!》


 など、俺に負けじとやたら興奮気味のリライが声を上げる。俺にしか聞こえないが。


《すげーです! アキーロ! 何ですかここわっ!?》


「……ここは、まあ遊園地みたいなモンだ。アレはジェットコースターだ」


 無視していると際限がなさそうだったので、俺は小声で答えてやった。


《こ、こ、コレって、元のアキーロの時代にもあるですか!?》


「……あるよ。今のコレより豪華になってるんじゃないか?」


《そ、そーですか! そーなんですか……へー……》


「……はぁ。分かった。全部上手くいって、時間があれば連れてってやる」


《マヂですか!? 嘘ぢゃねーですか!? ゼッテーですよ!?》


「あぁうるさい。マジだよ。でもお前終わったらすぐ戻るんじゃないのか? 俺ごと……」


《……ちょ、ちょっとなら大丈夫ですよ。情報の補完の為にとか言えば……》


「そか。じゃあ連れてってやるから楽しみにしてろ。そして今は黙って――」


《ゼッテーですよ! 約束ですよ!》


 頭がぐわんぐわんしてきた。この遊園地とやらは、リライにとって並々ならぬ興味の対象となったらしい。


 まあ、喜んでいるなら結構だ。


「……くん、大丈夫?」


「えっ?」


「秋色くん?」


「あ、はい」


「大丈夫? 急にブツブツ喋り出すからびっくりしちゃった。ソレもニヤニヤしながら」


 うおおマジかぁ……見られたぁ……! 


 しかも俺ニヤついてたっていうのかぁ……ハタから見たらキモ過ぎんぞぉお!! マイナス八十点だ!


「もしかして、ジェットコースターで気分悪くなっちゃった?」


 パニック状態の俺は、ワケも分からずに反射的に何度も頷いていた。


「もう、そうならそうと言ってくれればいいのに! アレでしょ! エスコート役だからとか思って無理したんでしょ!」


「す……すみません」


「じゃあ、ちょっと早いけどお昼にしよっか? 行こっ!」


 そう言って俺の手を引く優乃先輩。何とか誤魔化せたみたいだな。


 ……しかし、明らかにキモかったであろうに、ソレでも手を離さないでくれるなんて……秋色感激!

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